エピローグ:親愛なる友人へ

 『グッモーニンインチョー、寝坊助さんだね!』

 「あー、はいはい、そういう」

 

 朝目覚めると、エコロの顔があった。ただし、寝起きの目に痛いブルーライト付き。座ったまま寝ていたらしく、背中がバキバキだ。ちょっと機嫌が悪そうな声になる。

 エコロの部屋の学習机の上に、水野さんがお古だとあげていたゲーム用のPCの電源がついていて、そのディスプレイにエコロの顔がドアップで映っている。いつもの茶髪パーマの上に今日はシルクハットを被って、気合が入っている。ドッペルゲンガー騒ぎの時と同じだ。何か仕掛けているらしい。

 

 「昨日夜遅くまで騒いでた割に元気ですねえ。誕生日パーティーの前日に徹夜ゲーム大会って言われた時は正気を疑いましたけど。水野さんの」

 『……あの人、誰よりも楽しんでたよね。1 vs 2でボクたちをボコボコにしたあげく、4人の方がいいってインチョーのお姉さんド深夜に呼び出してさ。2 vs 2かと思えば1 vs 3だし』

 

 そんなわけで、母さんの怒りが臨界に達して井上家に永住したわけではないので、悪しからず。「それで何を」と聞くと、エコロは「おっほん」と軽く咳払いして。

 

 『インチョーにはこれから謎を解いて、この部屋から脱出してもらいます!』

 「……自分の誕生日になにやってんですか」

 『パーティー昼じゃん。それまで暇なんだもの』

 「じゃあせめて、顔を洗うなり朝の支度をしてからでいいですか」

 『ダメでーす。おねーちゃーん』


 学習机から見て右後ろ、陽菜子さんの部屋に繋がるドアの前に、本人が立ち塞がる。ブーツはもう履いていないし、伊達メガネも着けていない。夢生と同じ三つ編みツインで、その表情は、なんというかザ・板挟みって感じだった。

 「付き合ってあげて。あの子、今日のためにいろいろ考えこんでたから」

 「……すみません、準備はお任せしますね」

 『最初の謎は、廊下に繋がるドアの前にある棚の、一番上の引き出しを開けて取ってね。それじゃ、クリア後に会いましょー』

 

 学習机の右にある、廊下に繋がるドアはちゃっかり胸ほどの高さの棚で封鎖されている。労力かけすぎだろ。

 言われた通りに引き出しを引くと、出て来たのはA4用紙一枚。なにやら図があって、一番上には《愛する人を銃で撃てば脱出できます》と書かれている。物騒。


 図に注目すると、横線5本、縦線4本が交差した表だ。4×3のマス目の羅列、その中にアルファベットが並んでいる。左下と右下にはアルファベットが入っておらず、代わりに左下はアスタリスク(*を90°回した感じのヤツ)、右下は#(シャープじゃなくてハッシュ)が書かれている。他のマスに入ったアルファベットは左上から右下に読んでゆくと、K,A,M,N,D,E,R,U,T,I。 そして紙の端っこに『梶正幸より』と書かれている。


「なるほど」

『もう分かったの?』

「急に出ないで下さいビックリするんで」

『どひゃーは?』

「やかましい」


 PCの画面に再びドアップで現れたエコロを睨みつつ、興味津々な彼女にスマホを見せて、答え合わせ。画面に表示したのは、電話を掛ける一歩手前の画面。

 

 「左下と右下にある記号から、このマス目は電話のボタン配列に見たてることができます。あとは『梶正幸より』とあるので、梶さんの電話番号をなぞってアルファベットを拾えばよいのです。梶さんの電話番号は090-5243-6872なので、その通りにマス目のアルファベットを並べれば、《ITIDANMEURA》となりますので──答えは、引き出しの一段目裏です」

 

 そう、先程引いたばかりの棚の引き出しを引いてしゃがむと、セロハンテープで貼り付けられた紙があった。テープを剥がし取った紙には、五線に音符が書かれていて、楽譜であると分かる。これまたA4サイズの楽譜の冒頭に書かれた曲名を見て、僕は絶句した。


 『さあ2問目、取り出したる楽譜は言わずと知れた野球応援の定番曲、《エル・クンバンチェロ》です! インチョーはこの何の変哲もない楽譜から答えを探せるのでしょーかー!』


 目で陽菜子さんを問い詰めるも、彼女も顔を真っ青にしてぶんぶんと首を横に振る。どうやら彼女がうっかり漏らしたわけでもないらしい。となると──


 「ちょっといいですか」

 『ヒント聞いちゃう?』

 「……さっきの暗号もそうですけど、これって梶さんと一緒に考えましたか。こないだ、梶さんの様子見に行ってましたよね」

 『ソンナコトナイヨー』

 「ありますよね」


 誕生日のサプライズ計画は、梶さんの件が片付く前に陽菜子さんと計画だけ詰めていた。おそらく、伊達メガネの隠しカメラで曲名だけ知った梶さんの仕業だろう。やってくれる。さて改めて楽譜を見ると、明らかに本来の楽譜と書き換えられた小節がある。『練習しているならこのくらい分かるだろうね』と嫌味な声が聞こえてきそうだ。おまけに小節終わりには素知らぬ顔で《P.C》と書かれている。改変だらけじゃん。どこが何の変哲もない楽譜だ。クリオネの暗号の時と同じ、基準音とアルファベットの対応も書かれている。その通り変換すると、「LOVEKOKORO」となる。

 

 僕はPCの前に向かい、エコロと顔を見合わせた。

 『……愛するボクのこと、撃っちゃう?』

 「誰が。画面邪魔なんでいったんどかしますね」

 

 テレビ電話アプリの画面を小さくしてPCのタスクバーを見ると、PDF閲覧ソフトが開かれていた。クリックすると予想通り《このファイルは著作者により保護されています》とあったので、パスワードを「LOVEKOKORO」と入れて解錠する。


 『これでボクのこと撃ったら散々からかってやろうと思ったのにー』

 「いや何ですかP.Cって。D.C(ダカーポ、最初に戻る)なら分かりますけど。音楽記号捏造しといてなにが何の変哲もない楽譜だってんですかもう」


 PDFを開くと、真っ先に目に入ったのは、背景にある特徴的な手のポーズ。親指と人差し指と中指を立て、隣同士の指の開きに90°の角度がついた、『フレミングの左手の法則』だ。その下に、デフォルメされた人がふたり描かれていて、手で作った銃で撃たれた真似をする大阪あるあるの寸劇をしている。


 背景の絵にかぶせて、文章が書いてある。

 『キミは二丁の銃を持っている。FBIから貸与された銃と、《FOWLER INDUSTRIES》カスタマイズを施した銃だ。凝り性なキミは貸与されたFBIから貸与された銃を使わない。撃鉄を降ろして、銃口を閉じてしまおう。そうすれば幸運の在り処が分かる』


 まずフレミングの左手の法則は、力(F)と磁場(B)と電流(I)の向きを示すものだ。親指がF、人差し指がB、中指がI。そして《FOWLER INDUSTRIES》は、今しがた調べたところ銃器パーツのメーカーらしい。その略称は、《FI》。


 「絵からして、影絵みたいな手遊びでの銃を意味しているんでしょう。《FBIから貸与された銃》は、フレミングの法則と同じかたちで、《カスタマイズを施した銃》は、フレミングの法則からB、人差し指を抜いたもの」


 フレミングの法則と同じ、中指、人差し指、親指を立てる。『撃鉄を降ろして』なので、親指をしまう。残ったものは、人差し指と中指を立てた、ピースサイン。じゃあ、『銃口を閉じてしまおう』ってなんだ──


 (……あっ)

 

 ふと、思い出した。銃口を閉じる……指を、クロスする。


 ──『ピースサインのさ、指をこう交差させると、グッドラック《幸運を祈る》って意味になるんだって』

 

 「……幸運の在り処が分かる」

 『覚えていてくれたようで何より』

 学習机の上のPCからエコロの声が聞こえて、僕はテレビ電話のアプリを開く。彼女は人差し指と中指をクロスした同じポーズで、にっこりと微笑んでいる。

 

 『ボクはこれからやらなきゃいけないことがあるから、席を外すよ。ノーヒントになるけど、頑張ってね。グッドラック』

 「今まで一切ヒント出してないでしょうに何を上から」


 よそ見して口笛を吹いた姿を最後に、通話が切れる。

 さて、このサインこそが《幸運》を指すのであれば、その在り処はひとつだ。学習机のすぐ横にある、壁に貼られた暗号表へと向かう。するとグッドラックのサインと同じ、人差し指と中指を立てた指のかたち、アルファベット変換で『F』の位置にフェルト布でポケットが張り付けられていた。

 その中に四つ折りの手紙と、大きく「↓」とだけ書かれた紙が入っていた。矢印に従って足元を見れば、大きな銃型のクラッカー。説明書が同封されている。曰くクラッカーには短冊状のメッセージを記入した紙を詰めることができ、紙吹雪と共に発射することができるそうだ。


 さて、肝心の手紙の内容はというと。

 ──『フレミングは愛を知っている。愛せる者は、己と同じ中身を持ったもの』

 ──『キミの持つ銃は、愛を知ったフレミングに勝てる。愛を知ったフレミングは、幸運に勝てる。幸運は、キミの持つ銃に勝てる。迷ったら友人に聞くといい。一歩も動かずとも謎が解けることを教えてくれる』

 ──『銃弾は、キミの持つ銃で勝てる相手の箱にある。箱は、一日の終わりと始まりに手に入る』

 ──『一つ弾を込めたらフレミングに倣い、キミの愛する者を撃て』


 とりあえず、『一日の終わりと始まり』がベッドを表すのだと直感して向かうと、確かに下に箱が3つ用意されていた。引っ張り出して見ると、それぞれ蓋に数字が書かれていて、『24』『52』『109』とある。僕はさっさと『52』の箱を手に取り、中の紙をクラッカー銃に込めた。すると、視界の端で、びくりと小さな人影が動く。陽菜子さんだ。


 「怖くても逃げないでくださいね。流石に直接当てはしませんから」

 「……もう分かったの?」

 「頭捻って考えたエコロには悪いけど、メタ読みです。あの人、意味もなくこんな遊びをできる人じゃありませんから。人を動かすときは、大義名分を欲する人です。ということで」


 陽菜子さんの頭上に向けて引き金を引くと、耳をつんざく轟音と共に、先に込めた短冊が飛び出てくる。そのメッセージを目で追うより早く、陽菜子さんの背後のドアが開かれて、そこから出て来たエコロが、陽菜子さんを力の限り抱きしめる。


 「「お誕生日おめでとー!!」うございます」



 謎を解き終え、階段を降りる。一階のリビングからはすでに良い匂いがしている。準備を任せきりにして申し訳ない気持ちがちょっと芽生えて、でも、すぐ消えた。先に階段を降りていたはずの陽菜子さんが、10人くらいの大人に胴上げされていたから。

 「……なにこれ」

 「……なんか、水野さんがいっぱい友達連れて来たみたいで」

 エコロの帽子はいつの間にかシルクハットからパーティー帽に変わっていて、『本日の主役』のタスキをかけている。彼女のタスキと陽菜子さんの間で視線を往復させると、エコロは「まあ、姉さんも主役だし」と苦笑して肩をすくめる。

 

 陽菜子さんは胴上げされながらなんだかんだ嬉しそうだ。邪魔するのも違うかなと思い、壁に寄りかかって胴上げの様子を眺める。エコロが隣に寄りかかる。

 「ところで、なんでヒナ姉を撃ったのか、教えてもらっていいかな。メタ読みって言ってたけど、ボクたちが同じ誕生日だってことは言ってなかったよね」

 拾ってきた短冊のメッセージを広げると、『ヒナ姉誕生日おめでとう』とある。小さなキャラクターの絵がちりばめられた、温かみのある手描きの文字だ。僕は頬を緩めながら。

 「グッドラックのサインをほぼノーヒントで出してきたことから、これまで貴女が言った言葉を覚えている前提で問題が組まれていると思いました。そうなると、『愛』はこうなります」

 小指と人差し指と親指を立てるハンドサインをつくる。2進数暗号では『19』であり、アルファベット暗号では『S』、アメリカの手話を発祥としたサインで、意味は『I LOVE YOU』。

 「同じように『フレミング』、『幸運』、『キミの銃』も、それぞれ指で表すことが出来ます」

 『フレミング』はフレミングの法則の指。『7』であり『G』、『幸運』はグッドラックの指。『6』であり『F』、『キミの銃』はフレミングの法則から人差し指を除いた指。『5』であり『E』。

 僕は、『幸運』の指を作った、つまりは中指と人差し指、チョキの形。

 「さて、注目したのはこの文です。『キミの持つ銃は、愛を知ったフレミングに勝てる。愛を知ったフレミングは、幸運に勝てる。幸運は、キミの持つ銃に勝てる』。こうした三すくみの関係が出てきたとき、まず思い浮かぶのがじゃんけんの関係です。『幸運』がおあつらえ向きにチョキの形をしているものですから、真っ先に思いつきました」

 

 グーはチョキに、チョキはパーに、パーはグーに勝てる。

 

 「しかし、チョキ以外の再現は不可能です。『愛を知ったフレミング』はおそらく『19(愛)+7(フレミング)=26』で『Z』、小指と薬指と人差し指で、『キミの銃』は中指と親指、どちらもグーにもパーにもなりません……そこで目を引いたのが、『迷ったら友人に聞くといい、一歩も動かずとも謎は解ける』という記述です」


 視線の先で、ゴードンと京子さんがちらちらとこちらの様子をうかがいながらピザをつまんでいる。お祝いの渦中にいる陽菜子さんのことは知らず近づきがたいけど、顔見知りの僕らのところに行こうにも、謎解きの種明かしの邪魔はしたくない、といった様子だ。


 「ゴードン──苗字は剛堂、合同に聞け、一歩も動かずとも、は暗号表の範囲から抜け出さない。まとめると、暗号表の範囲に落とし込むように合同数を使っている、という意味です」

 エコロはケラケラコロコロ、楽しそうに笑う。

 「いやほんと、いざひとの口から聞くと無理やりだ。良く分かったよねホント」

 「本当に。そうなると、『グー』は二進数暗号で数字に変換すると『0』で、『26 ≡ 0 (mod 26)』ですから、26の『愛を知ったフレミング』です。『パー』は同じく二進数暗号で『31』で、『31 ≡ 5 (mod 26)』ですから、5の『キミの銃』です。すると、『銃で勝てる相手』は『グー』ですから、選ぶ箱は『52 ≡ 0 (mod 26)』の箱。これで弾が手に入ります」

 それが、彼女の持つ短冊の入手法。

 

 「あとは残りの文章について考えます。『フレミングは愛を知っている。彼の愛する者は、己と同じ中身を持ったもの。一つ弾を込めたらフレミングに倣い、キミの愛する者を撃て』──フレミングの中身は二進数暗号で『7』です。そして、貴女がおっしゃっていた蘊蓄に、こんなものがありました」

 

 ──『7がなんでラッキーな数とされてるかっていうとね、シカゴ・ホワイトストッキングスの優勝が懸かった野球の試合の第七回に、フライが風に飛ばされてホームランになったからなんだって』


 「それを思い出した時、あのわざとらしい言い方に、合点がいきました」

 

 ──『さあ2問目、取り出したる楽譜は言わずと知れた《野球》応援の定番曲、《エル・クンバンチェロ》です!』

 「フレミングの愛せるもの、フレミングと中身が、『7』の数字が同じものは、PDFアプリのパスワードを指定していたあの楽譜です。あとは、『フレミングに倣って』、自分が撃つ対象を探すだけ」

 部屋の隅を指さして。

 「フレミングの左手があった学習机上のPCは部屋の右奥、楽譜のあった棚は部屋の右手前です。これのフレミングに倣って──弾を込めた部屋の左奥のベッドを自分に置き換えたとき、楽譜のあった棚は何になるのかといえば、貴女に左手前のドアの前に立つよう頼まれた陽菜子さんだ、というわけです。そんなわけで、陽菜子さんを撃ちました」

 

 まあ、さっき言った通り実際はメタ読みが大部分で、なんとなく陽菜子さんを撃つものだと初めから予感していたんだけど。エコロは満足げだ。「はなまる、はなまる!」とニコニコしている。「ああ、うん、うん!」とぴょんぴょん飛び跳ねて。


 「自分の言いたいことが、完璧に伝わったときって、生きてるって感じがする!」

 「そりゃ結構なことで……お、水野さん」

 「ハローお二人さん。心ちゃんは私なんて気にせず飛び跳ねてていいのよ?」

 「うるさい」

 

 水野さんが来たことで、陽菜子さんを胴上げしていた集団がこちらを向いて、エコロは頬を赤らめ、それでもスンと澄ました表情を繕おうとする。だいぶ遅いと思うけど。水野さんは微笑んで、「ほい誕プレ」とウサギの描かれた図書カードを心に渡す。現実的だ。そのまますぐにひらひら手を振って、廊下の奥へと消えてゆく。それを合図に、大人たちも廊下に吸い込まれていく。

 リビングから大人が消えて、僕とエコロと、ゴードンと京子さんが残った。


 「全員和室に行ったみたいだね?」とエコロ。廊下を覗きつつも、リビングから出ようとはせず、なにやら目配せし合う僕たちを楽しそうに見る。廊下から、「私の分は?」「あるわけないでしょ歳考えろ」と、水野さんと陽菜子さんの殴り合いが聞こえる。なんかもう、いろいろグダグダだ。楽しくて、笑みがこぼれる。


 「まずは、僕らからもプレゼントです、どうぞ」

 取り出したるは、4人で金を出し合って買ったヘッドフォン。忘れがちだが、こうしないと彼女は可聴音が聞こえないのだ。京子さんが近寄ってかけてやる。陽菜子さんに頼んで、サイズはばっちり。

 

 「つけたままにしておいてくださいね」と言い聞かせ、廊下の先の、和室へ誘導。入り口には安物のカーテンがかかっている。その先に大人たちがいるのはバレバレだけど、無いよりマシ。エコロはキラキラした瞳でカーテンを見る。何が出てくるんだろ、って感じだ。僕たちは、廊下にいる。二階に繋がる階段が、視界の右にある。


 「それでは──」

 合図の言葉を口走ると、打ち合わせ通りに陽菜子さんが、4人分のマイクを持って階段を駆け下りてくる。呼吸を合わせて、息を吸い、投げられたマイクをキャッチする。

 

 「「「「歌います」」」」


 「えっ」



────


 「なんでもする、とおっしゃったの、まだ有効でしょうか」

 梶さんの家に乗り込む計画を立てる途中、陽菜子さんにそう声をかけると、彼女は「えっ」と固まった。該当する発言を思い返すように視線を宙に動かして、見つかったか顔を赤らめそれから青ざめ、僕の肩をがしりと掴む。


 「幼女趣味も年増趣味もやめときなさい」

 「自己評価が悲しいことになってますけどいいんですかそれで。幼女なんですか年増なんですか」

 肩を掴む手をそっとどけて。

 「もうすぐエコロ、誕生日じゃないですか。渡すプレゼントを考えていたんです」と言えば、「なんでも喜びそうだけどねー」と陽菜子さん。そう、なんでも喜びそうなのだ。となれば、やるしかないだろう。喜びを越えて、驚きを。下手をしたら滑ってしまう、大規模なサプライズを。


 「もしもし水野さん、先日おっしゃっていた、陽菜子さんの友達を呼ぶ話なんですけれど、できれば先んじて会わせて頂けませんか」

 「……何するの?」

 「陽菜子さんピッコロ吹けるって話でしたよね。ついでに同級生と歌ってくれませんか」

 「ホントに何するの!?」


 自分が張り切ることで、何かを台無しにしてしまうんじゃないかって思うことが、しばしばある。でも、それで縮こまってちゃいけない。ミスをしたなら、出来うる限り尻を拭って、次は無いように、強くなる。単純に、それだけでいい。


 自分を痛めつけることが無いように、強く、強く、気を保て。


────


 陽菜子さんとゴードンと京子さんと、パートを分けて練習したハッピーバースデーの歌をハモらせる。陽菜子さんは得意の声帯模写で水野さんやエコロの声へ次々変わる。ゴードンはぶっちぎりで上手く、京子さんはそつがない。僕は電子キーボードで伴奏を兼ねている。ゆっくりと、思い出すように指を動かす。

 エコロは、カーテンの向こうを気にしながら、それでも背を向け、こちらに身体を向ける。


 『『『『Happy Birthday to you』』』』


 きっと、僕はこの日を忘れない。

 未来は分からないけれど、貴女と過ごした思い出が、これからの力になると確信している。きっとどうにかなるだろうと、珍しくもポジティブに、この瞬間は思えている。


 『『『『Happy Birthday to you』』』』


 貴女はどうだろうか。

 唯一無二の特性で、散々ひどい目に合ってきた。

 将来には暗雲が立ち込めているかな。自分の秘密を明かせる人が、あと何人できるかな。


 『『『『Happy Birthday dear Kokoro』』』』


 冷静になると、心配はある。そのうち来る独り立ち、たぶん貴女とも離れることになる。

 また、自分を責める日々に戻ってしまいそうで、不安は尽きない。どうやって生きるのかを僕自身が決めて、それで同じように考える人が集まって、そういう人と言葉を交わして、ようやく、少しは安心できるんだろうな。


 だから。せめて前を向けるように。話をしたいって思えるように、自己暗示しながら、あなたにも伝えよう。

 今はそうじゃなくたって、味方になりうる人は、案外沢山いるんだよって。


 『Happy Birthday to────』


 手を挙げて、グーにする。ロングトーンを演出する指揮者のように手を震わせて、三人の声を止める。

 エコロの眉が、疑念に寄った、いま、背後を隠していたカーテンを落とす。


 大人たちが姿を現す。ひとりひとりが、楽器を持って。


 『──Cumbanchero!!』

 

 

 エル・クンバンチェロ──『太鼓を叩いてお祭り騒ぎをする人々』の意味がある曲を、大人たちも合わせて全員で演奏する。前奏のうちに和室に移動を果たした僕たちも混ざって、一人ひとりが別々の楽器を担当している。厚みは薄いが、それでも合奏。エコロは、あんぐり口を開けている。ふと、我に返ったかと思えば、壁を反射してテレパシー。

 『楽器とか、どうしたのこれ』

 ヘッドホンに繋がったマイクに声が拾われると面倒なので、口パクで応える。

 『ちゃんと演奏聴いてます?』

 『聴いてるよ聴いてる。びっくりしちゃって、というかよく演奏しながら喋れるね』

 『打楽器なので口空いてますからね。あと死ぬほど練習したので染みついてます』

 『……そっかあ』

 『楽器は各人にお金を出してもらって、楽器屋でレンタルしました。ひと月分で中古品が二千円程度、気を病むほどの額ではありません。梶さんにネタバレされかけた時はヒヤリとしましたけど、気づいていなかったようで何よりです──改めて、お誕生日おめでとうございます。楽しい一年にしましょう』


 スティックを振りながら、思い出す。


 ──『ここまで育てるのに、どれだけ苦労したと思ってる!!』

 ──『騙していてごめんね。私の命で許してください』


 強烈な腹の痛み。蹴られて肺から空気が根こそぎ抜けて、胃液に塗れ怒号が耳をつんざく中で、死を覚悟した幼きあの日。

 じくじくとした、手の甲の痛み。選択を誤って他人を自殺させてしまったと、己を責めた、幼きあの日。

 傍から見たら、しょうもないトラウマだ。今ではそう思う。でも正直、金髪になった陽菜子さんのことは未だに怖いし、毎日毎日、選択のたびに変な汗をかく。幼少期の記憶はオーバーに、命を守るべく脳を操る。

 それでもきっと、僕たちはこれから何をしようと自由だし、これまでだって、決して捨てたもんでもない。と、思いたい。

 

 指揮者のいない合奏が終わると、エコロは感極まったように立ち上がって、顔の前で拍手して。

 「ありがとみんな! もう一回できる?」


 ざわざわと騒ぐ大人たちの中で、思わず吹き出してしまう。

 あれならたぶん、大丈夫。

 厚かましく、楽しくあろう。


 自分に正直に生きていれば、似た考えのひとがきっと集まってくるから。


 「ボクも混ざる。ピッコロ吹く。ソロパート吹く。お姉ちゃん教えて」

 「楽器の予備あったっけ」

 「持ってるから大丈夫!」

 「陽菜子ちゃんどうした?」

 「頼られたショックで気絶してる」

 

 ここから先は、お祭り騒ぎ。そうそう落ち着く機会はないだろうと、スマホを取り出し、和室に向ける。エコロがこっちを見て、歯を見せた満面の笑みでピースする。ゴードンと京子さんがあれこれ横からうるさいけど、1枚くらいは好きに撮らせてくれよ。


 僕は口を三日月にして、カメラのシャッターを切った。

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井上心の脱獄計画 乳酸菌太郎 @sytra_plana

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