第15話
その後、京香は瑠璃とパーク内を歩いた。
森と湖に挟まれた、のどかな場所だった。所々に見える建物は全て木造であり、景観を損なわない。
「なんだか、外国に来たみたいね」
京香は率直な感想を漏らす。
自然に囲まれていても、この国ならではの古びた建物が無いからだろう。田舎とも――アニメの世界とも感じることはなかった。
「そうですか? この国の人しか、見当たりませんけど」
「……水を指すようなこと言うの、やめてくれる?」
瑠璃の言う通り、客の人種としては間違いなく自国だ。何なら、のどかな雰囲気に反して大勢の人々とすれ違っている。
京香は非現実へと離れられず、結局は現実に連れ戻された。
「京香さんは、そっちゅう海外に行ってるんですか?」
「言うほど行ってないわよ。昔は家族旅行で、まあ何回か……」
瑠璃から訊ねられ、正直に答えた。
社会人になってからは、家族旅行の機会が減った。様々な理由から、個人では行く気にはなれない。
「どこか、行きたい国でもあるの?」
「あるにはありますけど……そんなお金ありませんし、外国はなんか怖いです」
瑠璃の答えに、京香は思わず笑った。この派遣社員と違い、経済的な制限が無いにしろ――
「私もよ。やっぱり、怖いわよね」
主な理由が同じであったのだ。
偏見に近いものだと、自覚している。極めて稀だと理解しているが、犯罪やトラブルに巻き込まれたニュースを聞く度、そのような印象が強くなっていた。
「特に、あんたみたいな痴女ならヤバいんじゃない?」
「京香さんみたいなお金に物言わせる変態さんには、天国かもしれませんけどね」
日中の明るい世界で――のどかな地で、実にくだらない会話を繰り広げながら歩いた。すれ違う人々に聞こえないよう、声の大きさには互いに注意した。
森に入っても人口密度は変わらない。だが、薄暗い道に木漏れ日が差し込み――京香は心なしか静かに感じた。
ふと、いくつもの明るい影が道に落ちていた。京香は空を見上げる。
「うわぁ。凄いわね」
木々に挟まれた道に、いくつものカラフルなビニール傘が浮かんでいた。三メートルほど上空で吊るされていると言った方が正しい。後で知るが、約千二百本のビニール傘が使われていたようだ。
圧巻だった。相変わらず多くの客で混雑しているが――日常生活での何気ないアイテムをこのように使われ、非日常を感じる空間だった。
「なんだか、飛べそうですね」
瑠璃は手を伸ばすが、当然ながらどの傘の柄にも届かない。
しかし、傘を広げて飛んでいく瑠璃の姿が、京香は安易に想像できた。漫画やアニメのキャラクターのように可愛いと思った。
京香は携帯電話を取り出し、瑠璃を写真に納めていた。
「ちょっと、何撮ってるんですか!?」
「ふふっ。いいじゃない」
恥ずかしがる瑠璃と共に、幻想的な道を歩いた。
京香は心が踊っていた。
森を出た頃には、昼時だった。
混雑しているとわかっていたが、最寄りのレストランで四十分ほど待ち、昼食にした。
腹を満たした後、グッズ販売をしているショップに足を運んだ。
キャラクターフィギュアや絵本、キーホルダーまで、様々なグッズが取り扱われていた。
「天国ですか、ここは」
目を輝かしている瑠璃と共に、京香は店内を見て回った。
どれもよく出来ていると思っていると――あるコーナーで足を止めた。
主に土産として販売されているのだろう。クッキーやチョコレート等の菓子折りが、京香の目に留まった。
瑠璃も立ち止まり、京香を伺う。
「職業病ですね」
「そんな大層なものじゃなくて、ちょっとしたリサーチよ」
仕事のやる気が無いと、京香は自覚している。だが、どのような店であろうと菓子折りの類を見かけると、つい確認してしまう。その場で何も学べなくとも、情報として持っておきたい。製菓会社の跡継ぎとして、幼少期より親から仕込まれた習慣だった。京香は悪しきものだと思っている。
「あんたならさ……この中でひとつ買うとしたら、どれにする?」
連れが居るため、ふと訊ねた。
栄養管理士として妙泉製菓での勤務はまだ一ヶ月ほどであるため、瑠璃はどちらかというとまだ消費者に近い。貴重な意見になると思った。
「んー。やっぱり、これですかねぇ」
瑠璃はほとんど迷うことなく『屋敷』をキャニスター缶に模したクッキーを手に取った。
「どうしてそれにしたの?」
「え……」
困惑する瑠璃に、意地の悪い質問をしている自覚が京香にはあった。
安物の買い物をする際、消費者の多くは深く考えることなく直感に従う。理由を訊ねても、このような反応を見せるのが自然だ。
「強いて言うなら、デザインです」
しかし、瑠璃はしっかりと答えた。
確かに『屋敷』はこのテーマパークを象徴するものだ。実際にツアーアトラクションを体験した身としても、思い入れがあるだろう。
京香はそのように理解する一方で、疑問もあった。
「もしも中のクッキーがとんでもなく不味かったら、ガッカリする?」
「ガチで仕事モードじゃないですか……」
瑠璃は呆れるも、言葉を続けた。
「そりゃ、ガッカリはすると思いますけど、下げ幅は狭いというか……容器のデザインで選んでる以上、最低限の
「なるほどねー」
難しかっただろうが瑠璃が考えを言語化し、京香はようやく納得した。
要するに、この商品を少なくとも瑠璃は、菓子折りとして見ていない。
「それで……中身を捨てた後、その容器どうすんの?」
「そんな非道いこと、しませんけど……部屋に飾ったり……ていうか、普通に映えそうですよね」
「映える、ねぇ」
キャニスター缶を満足そうに手にしている瑠璃の意見に、京香は釈然としなかった。
昨今の写真映え文化は、生菓子に多いという印象を持っている。そして、撮り終えると口にすることなく捨てるという印象も持っている。一部の人間の行動だと知っていても、文化自体に嫌悪感があったのだ。
それでも、たとえ焼き菓子だろうとそのような売り方があるのだと、一応は参考になった。
「いろいろ言ってくれて、ありがとう。ご褒美に、それ買ってあげるわ」
「本当ですか!?」
嬉しそうな声をあげる瑠璃に、実に単純だと、京香は微笑ましかった。
クッキーの他にぬいぐるみ、トートバッグとマグカップも――瑠璃の欲しがったものを買い与えた。
買い物を楽しんだ後、ゲートのフォトスポットで写真を撮り、テーマパークを出た。
そして、隣接する商業施設に足を運んだ。販売されている雑貨や食べ物は、海外のものだ。見て回るだけでも、楽しかった。
施設内のカフェで休憩し、午後三時過ぎに自動車に乗り込んだ。
近くに名所がいくつかあるが、どこにも寄ることなく帰路を走った。この時間帯だからか、道はまだ空いていた。
京香の予定では、せめて陽が暮れるまで遊ぶつもりだった。繰り上がったことが残念ではない。名残惜しくもない。
既に、とても満足していたのだ。
隣の助手席から、小さな寝息が聞こえる。赤信号で停車した際に京香は見てみると、とても無防備に瑠璃が寝ていた。単純に、遊び疲れて体力が切れているように見えた。幼い子供のようだった。
京香は特に腹を立てることなく、キャップ越しに頭をそっと撫でた。
一時間ほど走り――瑠璃をどこで降ろそうか悩んだ末、京香は電車の駅へと向かった。
瑠璃の自宅を訊ねようにも、眠っている。それに、なんだか知りたくなかったのだ。
「ほら、着いたわよ。起きなさい」
ハザードランプを点灯させ、ロータリーに一時停車する。そして、京香は瑠璃の肩を揺すった。
やがて瑠璃は目を覚まし、ぼんやりと周りを見渡した。
「あれ……ここでいいんですか?」
少しの間を置き、瑠璃は京香に訊ねた。
京香さんの自宅じゃなくていいんですか――そのような意味合いだと、京香は察した。身体を求められると思っているのだろう。
「ええ。今日は私も疲れちゃった」
それは確かに事実だが、主な理由は気分だった。満たされた今、性欲は落ち着いていた。強引に掻き立てるのも野暮であり――余韻を大切にしたかった。
「それに……今朝、盛大にネタバレ食らったし」
京香は瑠璃に本心を語れず、適当に理由をつけた。
「そうですか……。わかりました」
瑠璃はどこか腑に落ちない様子で頷いた。
性交を好んでいるわけではないと、京香は以前から感じている。ここで解放されることが意外なのだと思った。
「今日は超楽しかったです。連れて行ってくれて、ありがとうございました」
マスク越しでも、瑠璃が微笑んでいるのが――穏やかな目から、わかった。
きっと、言葉に嘘偽りは無い。本当に楽しんだのだと、伝わる。
瑠璃のそのような表情を見るのは、京香にとって初めてだった。まさに、不意打ちだった。
まるで、本当にデートの別れ際のようだと思う。胸の鼓動がうるさく聞こえる。
だが、流されてはいけない。ふたりの関係を明確なものにしておかなければいけない。
京香は後部座席から鞄を取ると、財布から一万円札を三枚抜いて、瑠璃に差し出した。
「私も楽しかったわ」
強引に微笑んで見せる。
瑠璃はつまらないものを見るような目を、万札に向けた。
何かを言いかけたのか、マスクの下で唇が僅かに動いたのが、京香には見えた。ピアスの付いた唇はどのぐらい柔らかいのだろうと、ふと思った。
やがて、瑠璃は万札を受け取ると、自動車から降りて会釈した。
「それじゃあ、また……」
「気をつけて帰るのよ」
遠くに離れていくウサギのリュックサックを、京香は眺めた。
今日は楽しかったんだから、そんなの貰えませんよ――もしも瑠璃がそのようなことを言ったとしても、強引に受け取らせていた。たとえ、脅迫することになろうとも。
今日の満足に、京香は対価を支払っておきたかった。いつものように『餌』を与えたまでだ。
そのように、自身に言い訳をする。
実際は、揺れる気持ちを抑えるための手段だったのだ。
京香は鞄から携帯電話を取り出す。今日いくつか撮った写真の中に、一枚だけ瑠璃のものがある。アルバムのアプリを開いて、確かめようとするも――携帯電話と鞄を助手席に置いた。
下唇を軽く噛むと、ハザードランプを消して帰路を走った。
(第05章『無邪気』 完)
次回 第06章『自己嫌悪』
京香は開発一課の課員に個人面談を行う。
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