第14話

 京香は携帯電話でQRコードのチケット画面を表示させると、瑠璃と共にゲートをくぐった。そして、人の流れに乗って進む。

 入場してすぐ目についたのが、道沿いに並んだ写真撮影用のオブジェだった。ゲート付近はフォトスポットのようで、それぞれに行列が出来ている。

 この光景がテーマパークならではだと、京香に彷彿とさせた。少し昂った。


「ねぇ。どれで撮る?」

「後回しです。帰りに撮りましょう」


 提案するも、京香は瑠璃に手を引かれてこの場を横切った。

 つい先ほどまで幼い子供のように目を輝かせていた瑠璃が、今はとても白けているように――否、冷静に見えた。たった数分で何があったのかと思うほどの豹変だった。

 ただの否定だけでなく一応は代替案が出るものの、京香は納得できなかった。


「え? どうして?」

「そんな余裕、どこにあるんですか? スタートダッシュが勝負なんですから……」


 言葉の意味がよくわからないが、瑠璃は何やら急いでいるようだった。走りこそしないものの、早足で歩く。

 やがて、ある建物が見えた。青い円柱と赤い屋根の家――いや、看板には『屋敷』と書かれている。

 おそらく、このテーマパークを象徴する建物だろう。幼少の頃アニメで見た建物が、実物で再現されている。京香は感動すら覚えた。

 そして、入口から続く行列と『三十分待ち』と書かれた看板に、瑠璃の言動をようやく理解した。ふたりで列の最後尾に並んだ。


「ベスト尽くしたのに、出遅れましたね」


 瑠璃が息を整えながら、周りを見渡す。

 確かに、最短でここまで歩いたつもりだった。先に並んでいる客とは、入場ゲートの順番や足の速さで差がついたのだろうと、京香は思った。


「まあ、三十分ぐらいなら、いいじゃない。連休のテーマパークなんて、絶対にこうなるわよ」

「そうですね……。休日なら、九十分とか二時間とかになるみたいですから」

「マジで? それなら、御の字じゃない」


 とはいえ、建物を内覧するだけのアトラクションなら、きっと回転率は良いはずだ。どうしてここまで待つ必要があるのか、京香は疑問だった。

 瑠璃に訊ねると、何名かのグループがガイドに案内されるツアーアトラクションらしい。そのため待ち時間が発生するだけでなく、ガイド代として別途千円のチケット代が必要になる。


「納得できるような、できないような……。商売が上手いのか下手なのか、よくわからないわね」


 京香は折りたたみの日傘を広げながら、率直な感想を漏らした。チケット代が痛いわけではないが、回転率を犠牲にしている点が解せない。グループガイドではなく、各自で進行していく方が良いと思う。


「なんていうか、経営者っぽい意見ですね。ガイドはたぶん、中の設備を触らせない『見張り役』なんでしょ」

「なるほど」


 瑠璃の意見に、京香はようやく納得した。

 外から眺める限りサイズも忠実に再現しているようで、中はそれほど広くないだろう。内装を柵で制限してはさらに狭まるうえ、景観も損なう。案内表示まで付けると、なおさらだ。そのように考えると、ツアーアトラクションの形式は理に適っていると思った。


「あんた、意外と賢いわね」


 自分が浮かばなかった意見に、京香は素直に関心した。

 この場に限ったことではない。長年、商品開発でアイデアを出す仕事に携わってきたからだろうか――誰に対しても、そのような傾向にあった。


「意外とは余計です……」


 瑠璃は呆れた様子を見せるも、恥ずかしそうに俯く。


「速攻でここに来たのも、そうじゃない。いろいろ調べて、計画立てたんでしょ?」


 結果的に少し並ぶことにはなったが、まだ短時間で済みそうだった。入場してすぐフォトスポットで写真を撮っていたなら、どうなっていたのかわからない。今も後ろに列が続いている。


「私のために、ここまで頑張ってくれたのね」

「いや、京香さんのためじゃなくて、自分のためです」

「……」


 真顔でけろりと答える瑠璃に、京香は引きつった笑みを浮かべた。


「ねぇ……。今日びの若い子って、忖度無しで何でもかんでも正直に話す風潮でもあるの?」

「どうなんでしょう。単に、わたしが空気読めないだけかもしれませんけど」

「その自覚はあるのね。それじゃあ、せっかく褒めてあげたんだから……リテイクしましょうか。誰のため?」

「だから、わたしのためですって」


 キャップとマスクで顔を隠していても、瑠璃が悪戯っぽく笑っているのが京香にはわかった。

 何も言わず、キャップのツバを指先で弾いた。


「たとえ、あんた自身のためでも……真剣になることあるのね。ちょっとだけ、見直したわ」


 入場ゲートからここまで手を引かれたことを思い出す。

 瑠璃は、いつもの気だるい様子ではなかった。計画を立てていたことからも、一刻も早くこの場所にたどり着くという、明白な意思があった。


「よくわかりませんけど、好きなものに真剣になるのは当然じゃないですか?」

「そうなのかもね……」


 京香は瑠璃から首を傾げられるが、その意見には肯定できなかった。自嘲気味に小さく相槌を打つ。

 妙泉製菓の跡継ぎとして――敷かれたレールの人生にも、与えられた仕事にも、真剣になれなかった。これまで怠惰に生きてきた。

 派遣社員である瑠璃とは対極の位置に立っているが、その点では似ていると思っていた。自分の意思を持たない、流されているだけの存在だ。

 だから、瑠璃のこの行動には感心や称賛よりも――驚いた。そして、金銭による支配下の女性が、いずれこの手から離れていくような予感がした。

 そう考えると少し寂しくもあり、少し羨ましくもあったのだ。

 瑠璃は周りを見渡すと、背伸びをして京香にそっと耳打ちした。


「わたしを脅迫してきた京香さん、ガチだったじゃないですか。ぶっちゃけ、超怖かったです」


 小さな声に、京香はハッと驚いた。

 現在でこそ奇妙な――割と気さくな『ママ活』の関係だが、発端はSNSでの身元を割ったことによる脅迫だった。絶対に拒否できない状況を作り出し、迫った。

 瑠璃を必ず手に入れるという意思があった。あのような行動だったが、確かに真剣だったと言える。


「ぷっ」


 京香は恥ずかしかった。だが、あまりにバカげているため、小さく笑った。

 瑠璃もまた、マスクの下でおかしく笑っていた。

 つまらないことに真剣になっている者同士、やはり似ていると京香は思った。


 この後もくだらない雑談を続けていると、三十分はすぐだった。

 京香は瑠璃と共に、やっと屋敷に入ることが出来た。

 カバのような『妖精』は居ないが、彼ら一家が生活している様子が、家具や小物で再現されていた。まるで、別の世界に入り込んだかのようだった。

 京香は幼少に観たアニメの記憶を掘り返しながら、ガイドの説明を聞いていた。細かい部分までこだわりが見える展示物だと、感心した。

 素直に聞き入っている京香の一方で――


「京香さん! あれ、ヤバくないですか! めっちゃ可愛いんですけど! ほら、あれも!」


 瑠璃は大興奮していた。携帯電話からシャッター音が、絶えず鳴り響く。

 キャップとマスクの間から瞳を輝かせ、屋敷内の様々なオブジェに感動しては、写真を撮っていた。ガイドの声など、耳に届いていないだろう。ひとりで完結していた。


「ちょっと、落ち着きなさい」


 ここまではしゃぐ瑠璃を、京香は初めて見た。黒いマスクが全く機能していないほど、感情が露わになっていた。まるで別人のような彼女を、小声で注意した。

 そして、ガイドはおろか同じツアーの客達からも白い目で見られているのを、京香は感じていた。連れとして、苦笑して誤魔化した。

 アトラクションとしては割と楽しかったが、とても恥ずかしかった。


 ようやくツアーが終わり、三階建ての建物から出た時には――京香はどっと疲れていた。なんだか開放感があった。

 瑠璃はとても満足そうだった。だが、それも束の間。


「京香さん! 出てきましたよ!」

「え?」


 京香は瑠璃から腕を掴まれ、屋敷一階のベランダへと連れていかれた。

 他の客達も、黄色い声をあげている。何事かと思うと、カバのような妖精の着ぐるみが、ベランダに愛らしい姿を見せていた。

 瑠璃と共に、最も早くベランダへとたどり着いた。そのまま瑠璃が着ぐるみに抱きつく勢いだったが、柵に阻止された。


「写真撮りましょう! 京香さん、そっちに!」


 次々と他の客も集まる中、瑠璃がそう提案した。ちょうど着ぐるみの左右にふたりが立つ配置だ。

 写真を撮るとはいえ、悠長にしていられない状況だった。京香は慌てながらも、瑠璃の指示に従った。

 瑠璃が携帯電話を取り出し、腕をぐっと伸ばす。


「京香さん、もうちょっと寄ってください」

「こ、こう?」


 身長は瑠璃が最も低いため、構図として下方から上方を撮ることになる。

 瑠璃は着ぐるみの顔を隠さないよう注意しつつ、瑠璃の携帯電話を覗き込んだ。シャッター音が聞こえると、ふたりでこの場を離れ、次のグループに譲った。

 瑠璃の行動は、実に手際が良かった。自撮り技能が功を奏したと、京香は思った。


「見てください、完璧ですよ」

「ほんとね。よく撮れてるじゃない」


 とても慌ただしかったが、それも含め確かに遊びに来たのだと『記録』を見て京香は実感した。ここまで来て良かったと思った。


「ねぇ。楽しい?」


 ふと、瑠璃に訊ねる。わかりきったことを、確かめたかった。

 思っていた通り――瑠璃は京香に振り返ると、無邪気な笑顔で頷いた。


「はい!」

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