第06話

 ピザの箱を持った瑠璃がリビングに戻ってくる。

 良い匂いが立ち込め、京香の腹がうずいた。

 テーブルに並んでいるウイスキーの瓶からバーボンを取り、ふたつのグラスにそれぞれ半分注ぐ。そして、立ち上がってキッチンに向かい、冷蔵庫のコーラーで割った。


「はい、ハイボール。ピザにはやっぱり、これよね」

「わたし普段はストロング系しか飲まないんで、ウイスキーの味はわかりません」

「コーラーと変わらないわよ。飲みやすいんじゃないかしら」

「そうですか」


 京香はソファーに戻り、瑠璃にグラスを手渡した。アルコールを断らないのだと思った。

 箱を開け、温かいピザを一切れ取る。瑠璃も手を伸ばしていた。


「んー! このジャンクな味が、たまらないわね!」

「カロリーの塊ですけどね」

「そういうこと、言わないの」


 小言を漏らしながらも、瑠璃はフーフーと息を吹きかけて冷ましながら、少しずつピザを食べていた。

 子供っぽい仕草が、京香は可愛いと思った。


「ねぇ。あんたさ……痴女なの? エロい自撮りを世界中の人に見て貰いたいから、あんなことしてるわけ?」

「それ、食事中にする会話ですか? エロいこと言うのはいいんですね……」


 瑠璃は半眼で京香を見上げるが、手に持ったピザを置かず、食べ続けた。

 確かに、今は相応しくない内容だと京香は思う。だが、衝動的にピアスホールを開けているように――自分には理解できない行動に、単純に興味があった。

 瑠璃は京香から視線を外し、ピザを一口食べた。


「お金欲しさにやってるだけですよ。まっとうに働いても稼げませんから、副業みたいなものです」


 実につまらなさそうな口調だった。

 意外な答えに、京香は驚く。否定するための適当な嘘だとは思えなかった。派遣社員の身分を知っている者として、説得力がある。

 しかし、腑に落ちない部分もあった。


「身体を売るなら、もっと稼げる方法あるんじゃないの?」


 キャバクラや風俗等の水商売、最近では『パパ活』という言葉も、京香は耳にしたことがある。

 中途半端に派遣社員として働くより、それらに時間を全て費やした方が効率が良いように思えた。


「そんなの、怖いじゃないですか。こっちのペースで下着見せるぐらいが、わたしの限界です」

「あんたの基準がわからないわ……」


 舌にピアスホールを開けたくなかったり、モザイク加工しても下着を脱ぎたくなかったり――瑠璃の恐怖を感じる境目が、京香には理解できなかった。

 しかし、それが面白かった。笑いながら、ハイボールを煽った。


「それじゃあ、ほぼ見ず知らずの私とエッチするの、怖いわけ?」

「まあ、そうなります……。初対面の人とヤるなんて、そう感じるのが普通ですよ。痴女さん以外」


 瑠璃は相変わらず気だるい様子だが、口調が早くなる。

 感情を表に出さないタイプだと、京香は思っていた。だから、わかりやすく動揺しているのが可愛かった。


「そうかしら? あんたみたいな可愛い子とヤれるなんて、私は超嬉しいけど」


 微笑みながら、瑠璃の頬にそっと触れた。


「部長さんは痴女さん、ってことになりますね。ていうか……しょーもない自撮りでも稼げるのなんて、若い現在いまだけだと思ってます」


 反撃と言わんばかりに――瑠璃は京香の全身を眺めた後、にんまりと笑った。

 京香は少しだけ苛立ったが、笑みを崩さなかった。


「私はあんたみたいに、変態じみたことをするつもり無いから。まあ、いいわ……。お腹膨れて酔ってきたら、楽しみましょうね」


 その後もくだらない雑談を続け、やがてMサイズのピザ一枚をふたりで食べきった。時刻は午後八時過ぎだった。

 グラス一杯のハイボールで瑠璃はまだ素面のようだったが――二杯飲んだ京香は、軽い酩酊状態だった。シャワーを浴びることも、歯を磨くことも、面倒だった。そのまま寝室に移った。


 八畳の寝室には、キングサイズのベッドがある。ベッドサイドライトのみを点け、部屋を薄暗くした。

 並んでベッドに腰掛けた。

 弱みを握ってここまで漕ぎ着けたが、京香は緊張していた。酩酊に振り切れなかった。それどころか、冷静だ。

 ろくに面識の無い派遣社員と、これから性交を行う。特定した時から、渇望していたことであった。

 しかし――間際になり、思っていたのと違うと感じた。

 京香はこの弱者を所有物として、雑に扱うはずだった。嫌がろうと強引に従わせるはずだった。それなのに、共に食事をし、酒を交わして喋った。

 仕事を終えて駅で拾ってから、新鮮で楽しい時間だったと振り返る。

 瑠璃が諦めた様子だったからだろう。嫌々ながらも従われると、京香が無慈悲になることは無かった。

 この結果が、悪いわけではない。むしろ、どちらかというと良いだろう。一概に支配する者とされる者ではなく――なんだかおかしな関係だと、ぼんやりと思った。

 とはいえ、どこか曖昧に感じる一方で、緊張感は消えない。


「あの……よくわかりませんけど、脱いだ方がいいんですか?」


 瑠璃が気だるい瞳で、京香を見上げた。


「ううん。脱がせたい」


 京香としては、どちらでもよかった。緊張感から、反射的に否定したまでだ。

 瑠璃が、幼い子供のように両腕を上げる。京香はトレーナーの裾に手をかけ、引き上げた。


「わぁ。本当に普段から、こういうの着てるのね。てっきり、撮る時だけだと思ってたわ」


 おそらく、自身が着けているものより値が張ると、京香は思った。ランジェリーとも呼ぶべき高級感溢れる、官能的な黒いレースのブラジャーだった。小柄な身体からは想像もできないほど肉感のある乳房を、包みこんでいた。『ぁぉ∪』で、この手の下着を散々見てきた。ルーズな衣服とは不似合いだが、やはりそのギャップに京香は興奮した。

 これまで画像でしか見ていない光景モノが、目の前で確かに実在している。


「いちいち着替えるなんて……そんな面倒なこと、しませんよ」

「それじゃあ、仕事も『中身』はこれなのね?」


 京香の問いに少しの間を置き、瑠璃はコクリと頷く。


「ていうか、そんなに見ないでください。恥ずかしいです……」

「隠さないで――命令よ」


 俯いて、両腕で半裸の上半身を隠そうとする瑠璃を、京香は強い言葉で制止する。

 さらに手を伸ばして腕に触れると、瑠璃は渋々退かした。


「恥ずかしいって、なに? あんた普段から、世界中の人間に見せびらかしてるじゃない?」

「だから、自分のペースで一方的に見せてるのとは……状況が違います」

「あんたの基準がわからないわ……」


 京香は今夜何度その台詞を言ったのか、わからない。

 やはり面白い人間だと思うと同時、無数のピアスが付いた耳まで――顔を真っ赤にしている瑠璃が、可愛かった。微笑みながら、瑠璃の頭をそっと撫でた。


「私ね……女の人とこういうことするの、初めてなの」


 瑠璃の緊張を解くための優しさだけではない。

 あらかじめ、正直に話しておきたかった。初めてで性的快感を与えられる自信が、京香には無かった。つまり、ただの予防線いいわけだ。


「わたしも、初めてです……」

「そりゃそうでしょ」

「セックスが、ですよ!」


 瑠璃が顔を上げ、真っ赤な顔で訴えた。

 言葉の意味を理解するまで、京香は少しの時間を要した。


「えっと……あんなエロい画像上げておいて、こんなエロい下着を着けておいて……処女ってこと?」

「当たり前じゃないですか!」


 京香は今夜何度言ったかわからない台詞を口にしそうになるが、黙った。

 込み上げる笑いを堪えることに、必死だった。今夜一番面白い内容だ。

 やがて息を整え、改めて瑠璃と向き合う。

 瑠璃の処女を奪うことが、たまらなく嬉しかった。


「初めてが私なことを、光栄に思いなさい」


 だが、気持ちを口に出来なかった。

 ピアスの付いた唇に目がいくが――敢えて、ピアスだらけの耳を唇だけで甘く噛んだ。瑠璃の小柄な身体がビクリと震える。

 唇にキスをしたい欲望が、無いわけではない。だが、重ねてしまうと一線を超えてしまうように京香は思った。あくまでも瑠璃とは、おかしな関係を望む。

 瑠璃の耳、首筋、そして乳房の上部と、順にキスをしていく。


「ん……」


 瑠璃はくすぐったい様子だった。

 無理もないと、京香は思う。初体験でこれしきのことで感じるなら、本物の痴女だろう。

 きっと、この女はそうでないのだ。



   *



 京香が自分の性欲を満たし終えたのは、午後九時過ぎだった。

 全裸のままベッドの上で、心地良い脱力感を味わっていた。四月だが、この時間にこの格好は少し肌寒い。

 そんな京香を余所に、ベッドから瑠璃が立ち上がり、床から自分の下着を拾った。


「帰るの?」

「はい」


 瑠璃の表情には満足も不満も、怪訝も無い。相変わらず、気だるげだった。

 泊まるのを誘うには早い時間帯だと京香は思った。まだ一緒に居たい気持ちはあるが――いきなり詰めすぎず、適度な距離を保つことが大切だと、自身に言い聞かせた。

 ふと、瑠璃が『自撮り』していた理由を思い出した。

 京香はベッドから起き上がることなく、サイドテーブルに手を伸ばす。携帯電話と共に置いていた財布を取った。

 開けると、中には一万円札が二枚入っていた。二枚とも引き抜く。


「はい、これ。タクシー代」

「……」


 差し出した万札を、下着姿の瑠璃は黙って見下ろした。少しの間を置き――クシャリと、乱雑に受け取った。


「いい子ね」


 瑠璃から感謝の言葉は向けられない。受け取ったことを京香は褒めた。これで構わない。

 性交の『合意』或いは脅迫の『口止め』と見なすことが可能だろう。しかし、そのような解釈は京香の頭に無かった。

 ただ純粋に、自分好みで可愛くて面白い『所有物』を可愛がったまでだ。


「おやすみなさい。気をつけて帰りなさいよ」

「はい。それでは……」


 瑠璃は衣服までを着ると、会釈をして寝室を去った。しばらくして、玄関扉が閉まる音とオートロックが作動した音が聞こえた。

 ひとりきりになった京香は、ベッドで全裸のまま余韻に浸っていた。

 ふと、瑠璃の連絡先を訊き忘れたことに気づいた。『次回』のことも、特に約束していない。

 しかし、悔いることなく笑みが浮かんだ。


「まあ、会社で会えるか……」



(第02章『ぁぉU』 完)


次回 第03章『強制ママ活』

京香は瑠璃を外食に連れていく。

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