第37話 正妻たる瑠璃子の制裁ムーブ

 瑠璃子が来てくれた。


 もしものため、と瑠璃子は事前にスイッチを渡してくれた。この屋敷は圏外であるから、最適の連絡手段だった。


 何度もループするなかで、瑠璃子はこういう事態にも備えられるようになったのだろう。


 ともかく、危ないところだった。


 俺の拘束はいったん緩んだ。次になにがあってもいいよう、執行から距離をとった。


「途中からだけど、話は聞かせてもらったわ」

「志水様の知り合いかは知りませんが……部外者は退出願います」

「れっきとした関係者よ。まだ付き合ってはいないけれど、とても大事な人」

「正式に交際がないのなら、お嬢様が付け入る隙はあるということ。わたくし執行、折れませんよ」


 執行はなんとしても筋を通したいらしい。無茶な話だ。


「流川さん、あなたは間違っているわ」

「私が、間違い……? 志水くんに結婚をせがむことの、なにが」

「出会って数日でビビンときちゃった? 甘いわ」

「なによ、私を知らないくせに」


 ふっ、と瑠璃子は嘲笑した。


「知っているわ。あなたは俗世間と距離を感じている。ようやく見つけた良さそうな男、志水一誠。彼を手に入れるためなら、手段を選ばない。動くとなれば、いつも通り使用人の執行をを頼る。だって、自分だけで夢を掴むのは怖いんだものね」


 長年のループの末、流川という人間についてもおおかたわかっているのだろう。


 流川への評価としては、俺も頷けるところが多かった。


「う、うるさい! やめてよね、見透かしたような口ぶり。失礼よ」


 口を隠すようにして、流川は主張した。


「図星ね。あなたは、本心を隠すときに口元を隠す癖がある」

「なっ……」


 すぐさま口元から手をどける流川。


「それだけじゃない。目線が執行の方に向いている。発言に自信がないとき、頼りの綱である執行さんにすがりたいって本心が透ける。そうでしょう?」


 流川の顔から色が引いていく。


 瑠璃子の目がきまっている。指摘する姿は、袋小路にネズミを追いやる捕食者のそれだ。威圧感に満ち満ちている。


 培われた観察眼から導き出される推論には聞き入るほかなかった。


「あんた誰よ? まるで私以上に私を知っているみたい……悪魔も同然よ」

「悪魔ね。いい呼び名。何度も地獄から這い上がってきた私には似合ってる」


 別世界を何度も繰り返す。人間のことわりから外れた存在、それが瑠璃子。


 事情を知らない人間が見たらどう思うか。


 もしかしたら、人間の皮を被った別物――悪魔かもしれない。


 次々と本性を言い当てられた流川からすれば、そう思っても仕方ないだろう。


「あなたが一誠くんを求めるのはご自由にどうぞ。でもね、やるなら必ず真正面から戦わないと。無理なら、一誠くんから手を引いて」

「くっ……」


 流川はいいかえせないようだった。痛いところを掴まれている以上、変に反論しても逆効果だと悟ったのだろう。


「いかがなさいますか。私という飛び道具なしでは、お嬢様は……」

「撤退しない。前進よ」

「ご乱心ですか、お嬢様」

「乱心? とっくに乱れているでしょう。最後の手段とはいえ、好きな相手を眠らせ、監禁しようと企てたこと自体」

「うんうん、よくわかっているじゃない」


 瑠璃子は煽るように語りかける。


 そういうあんたも、一度は監禁という脅しに出たよな、というのは口にしないお約束。


「香月さん、だったかしら。正直、底が見えなくて恐ろしいわ。これまで会ってきた、業界人という人たち以上に」

「でしょうね」

「あなたのような余裕、私にはないわ。でも、過ごした時間が短くたって、私に勝てるところがある」

「なにかしら?」


 瑠璃子の問いを受けて、流川はすこし考える素振りを見せた。


「うぶなところよ」

「……そうね」

「香月さんは達観している節があって、大人の余裕を感じる。だけど、出会って数日の新鮮な気持ちは取り返せない。過去のものだもの」

「考えたのね。いくら時間があっても、得られるものばかりじゃなくて、失うものもあるものね……」


 瑠璃子の目は、遠くに向けられていた。過去への目線だ。きっと、思うところがあったのだろう。


「香月さん、志水くん。卑怯な真似は今後しないと約束したいの」

「考えを改めたんだな」

「あなたを手に入れば、手段は選ばなくていいと思ってた。でも、相手を無視して手にした結果に、意味はないと思ったから」

「よかったよ」


 執行さんは、流川の改心に口を挟む真似はしなかった。


 むしろその逆で、「承知しました。私はお嬢様に追き従うだけですから」とのこと。


「そういうわけだから。私、志水くんを狙っていくからね」

「あぁ、わかった」

「話もどうにかまとまったし、この辺で解散ということにしない?」

「いいね」


 流川のひと言で、俺と瑠璃子は屋敷を後にした。

 後にしたといっても、執行さんの車で最寄り駅まで送ってもらった。なお、流川も同じ車に乗っていた。執行さんの「お嬢様をひとりにさせておけません」という重い思いのためである。


「本当に助かったよ」


 車から降りてしばらく経ってから、俺は深々と礼をした。


「どういたしまして。通信機、役に立ってよかった」

「ほんと危機一髪だった」

「鳴ってからすぐに屋敷に潜入したんだけど、なかなか部屋にたどり着けなくて。あと数秒送れてたら、と思うと背筋が寒いよ」

「これぞ結果オーライってやつだな」


 結果オーライ。流川の暴走を止めた。なんとか改心させて、それで……。


「待てよ」

「どうしたの?」

「流川ルートのフラグが立ってるな」

「監禁ルートは止めたじゃない」

「つい話の流れで、ヒロインレースの参加をお待ちしてます、的なニュアンスの話をしてしまった……流川だけに」

「あー! 本当にそれ。結局、流川さんとの関係は断ち切れなかったわね」


 だが、他にどうしろというのだ。


 席が隣である以上、これをもって絶縁だと告げるなんてできない。


 本当にヤンデレを回避したいのならやりかねなかったが。


 皐月の一件が響き、冷徹な判断など下せなかった。


「過去は変えられない。同じクラスメイトとして接するしかないだろう?」


 我ながら楽観主義だとは思う。


 瑠璃子という最強の盾であり、矛である存在あっての楽観主義なのだけれど。


「ま、ともかく善処しましょう。この後は、水泳でのトラブルも起こりうるんだし」

「そうだな」


 誰かしらが海で危ないことになり、そこがルートの分岐点になる。


 三代美少女、流川、そしてそれ以外の勢力。


 相手が誰であっても、油断はできない。

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