第36話 手段を選ばぬ主従関係

 執行の語りは止まらなかった。


 屋敷の中の案内に加え、流川家の歴史についてつらつらと語っていた。


 三代前に成り上がり、いまや大きな一家を築いているとかなんとか。


「お嬢様の性格を鑑みるに、しっかり面倒を見てくださる方が適任と思ったのです」


 やめてよ、と氷華が制止する。赤面でもしているのだろうか、顔を隠している。


 もうこれ以上はごめんだ。勝手に婚約者扱いされても困る。


「ここまで長々と話してしまいましたが……どうでしょうか、認めてくださいますか」

「悪いが、答えは否だ」


 執行の顔が驚愕で歪む。


「そうですか。理由をお聞かせ願いますか」

「どう考えても唐突すぎるだろう。出会って数日で結婚を申し込むなんて、正気の沙汰じゃない」

「私たちは本気なのです。ねぇ、お嬢様?」


 こんな身勝手な婚約要求は、執行の暴走なんだよな?


 そう祈りながら、流川を見つめる。


「……その通りです。私は、志水くんを求めています」

「冗談よしてくれ、流川」

「そうですか、冗談ですって? 私の気持ちを踏みにじるの?」


 流川の声は冷たかった。そして、向けられた目は黒くよどんだものを感じた。


「ねぇ、志水くんは相性とか直感って意識する?」

「ある程度は」

「そっか。私はとっても信じてる。君と出会い、隣の席だと確定した瞬間、強い運命を感じた。あぁ、引き寄せられているんだ、と」

「……」


 原作のストーリーという名の運命が存在する以上、否定はできない。


「ようやく手に入れた自由。ふつうの男の子と久々に触れ合うなんて久々なの。変に気取ったお坊ちゃまはもうたくさん」


 ふつうの男の子、か。


 きっと流川にはそう映る。実のところは、一度死んだ身で、元別世界の人間なのだけど。


「流川の気持ちはよーくわかった。いままでの閉鎖的な環境に飽き飽きして、手に入れた自由を前に、目が眩んでいるんだ」

「なにがいいたいの? はっきり答えてよ」

「俺への好意が、ただの思い過ごしじゃないかって話だ」

「は? ありえない。私が思い過ごし?」


 流川は、ふつうの人々と関わる経験がすくなかった。


 ゆえに、俺と比べる相手がすくない。選択肢が限られている分、相対的に輝いて見えるだけなんじゃないか、と。


 流川の反応を見つつ、さりげなく進言した。


「ふぅーん、志水くんってそういうこというんだ」

「いや、一時の熱に浮かされたら悪いと思って……」

「ッ、最低!!」

「え!?」

「人の恋心を軽く見ないで。惚れっぽい? 恋は盲目なの。眩しすぎる太陽を直視ししたら、周りが見えなくて当然でしょう?」


 まさかの開き直り、である。


「私が世間知らずかもしれない、ってのは承知の上。でも、いいじゃない。恥も外聞も捨てて、一世一代、駆け落ち覚悟の恋をしたって」

「そ、そうか」


 狼狽した俺の様子を見て、近くにいる執行さんは優しく微笑んだ。


「ご安心を。資金は潤沢にありますし、万が一に備え、私がいつでも見守ります。学校でも、デートのときでも」


 ちょっと待て。


 やべーのは流川だけじゃないっぽい。


 そばにいる執行も同等かそれ以上のヤバさを秘めている。


 原作では、ここまで自を出していなかった。流川と一緒にいる分には、いい主従関係だなって見過ごしていたんだけどな……。


「そういうわけです、志水一誠様。結婚に至れば、お嬢様は厄介なしがらみから完全に解き放たれます」

「だから……結婚を前提に付き合って?」


 つぶらな瞳で見つめられても困る。


 流川としては、一目惚れした以上、離したくないんだろうけど。俺にも俺の事情がある。頭を悩ませるのは、三大美少女で事足りている。


「ごめん、流川。すぐには答えを出せない」

「なんで? なぜゆえ? どうして?」

「その……先約があるというか、これ以上踏み込むのもあれというか……」


 我ながら歯切れの悪いことだ。


 三大美少女に目をつけられていること。


 ゲームの性質上、流川に深入りするとヤンデレの激化がほぼ確実であり、俺の身に危険が及びかねないこと。


 なんて、バカ正直に話せるわけもない。瑠璃子のような、似た事情の相手でもない限り。


「それのなにが問題? 最悪、駆け落ちして島も学園も抜け出せば万事解決。私と志水くん、そして生活のサポートを執行がする、三人だけの世界。幸せだとは思わない? 顔が険しい。ダメ? まだ時間がかかりそっか。じゃあしょうがないね」


 流川は執行にアイコンタクトを送った。


「あれ、よろしく」

「承知しました、お嬢様」


 執行は上着の懐を探り出した。


 取り出したのは、一本の注射器。


「おいおい、いったいなんのつもりだ」

「すこし、おやすみしていただくだけです。目が覚めた時には、屋敷の特別なお部屋にご招待しておきます」

、だった? だから、その部屋でじっくりと考えて欲しいの。身の安全は保証するから、安心してね」

「ふざけるな、どこが安心できるか」


 そういっている間にも、執行は距離を詰める。


「いけませんね、お嬢様に歯向かい、傷つけるのは。いけません、いけません」


 俺は反転し、逃げようと床を蹴り出――そうとするところを、一瞬で執行に捉えられた。


 一方的に組み伏せられ、身動きは取れない。


「舐めないでいただきたいです。お嬢様のため、護身術は完璧に身につけていますから」


 もはや逃れる術はない。目をぐるりと動かすと、かろうじて首元に近づく針が見える。


 刺されたら、終わりだ。殺されはしないまでも、結婚を認めなければ死んだも同然の生活を送ることになる。


 それは嫌だ。


 結果として流川を愛すことになっても、こんなかたちでなるのはごめんだ。


「では志水様、おやすみなさいませ……」


 細かったはずの針が、遠近法で大きく見える。


 鋭利な金属は、かつての死の瞬間を想起させる。


 怖い、怖い。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 やめろ、やめてくれ……。


 俺はまだ、やり残している。せっかくの第二の人生を、こんなかたちで終えることになるなんて、絶対に嫌だ。


 ……まだ、諦めたくない。



 それは、注射針が肌に触れるか触れないかのところだった。


 執行の手が、止まった。


「誰です?」


 執行は静かに尋ねる。


「香月瑠璃子。一誠くんを誰よりも大事に思っている人間よ」


 聞き慣れた声が耳に入った。


 あぁ、ようやく来てくれたのだ。


「……瑠璃子!」

「待たせたわね、一誠くん」

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