第34話 流川は餌を撒く

 流川がどんな人物か気になるな、と抜かしていた時代もあった。


 今回は優しいタイプにガラッと変わったんじゃないかと淡い期待を抱いていた。


 期待は、砂の城のように呆気なく崩れた。


 ともかく、経緯を振り返ろう。


 初日の流川は、品行方正を地でいっていた。


 横暴さなど微塵も出ていなかったので、油断してしまった。


 問題は、翌日以降にあった。


 教科書を見せるため、机と肩を近づける。学校の知らない場所には案内する。


 手厚いサポートといっていい。他の子たちもその役を担っていたが、俺の負担はそれなりにあった。


 転入から数日。流川にとって、闇病学園はあっという間にホームになっていた。


 そして、最初の特別待遇に慣れきっていた。


 猫を被るという言葉は、流川のためにあるのかもしれない。


「教科書」

「はい」

「参考書」

「どうぞどうぞ」

「演習ノート」

「おおせのままに」


 最初は「教科書、見せてもらってもいいかな?」と下手したてに出ていたはずの流川はどこへやら。


 指示は次第に省略されていき、いまでは単語が冷たく放たれるだけである。


 阿吽の呼吸で指示を汲み、果たす。


 ふと考えると、俺は流川の御用聞き、いや使用人になりかけていると気づいた。


 ……そうだ。


 彼女は、初対面の人間や高貴なお方への礼儀はたたき込まれているだろう。


 反面、付き合いの長い人間には甘えが生じ、ついつい女王様気分に浸ってしまってるんじゃないかと。


 予想は的中しているかは不明だが、ともかく流川から俺への当たりは数日で一気に強くなった。


 ひとつ忘れちゃいけないのが、ああいった態度は俺とふたりきりのときに限る、ということ。


 三大美少女や他のクラスメイトには、これまで通りの礼儀正しい態度で接している。


 よくも悪くも気を許されている、と見ていいだろう。単に舐められているのか、いやそれとも――。


 いずれにしても、たった数日で腹の中を探るなんて無理な話だ。


 モヤモヤとした気持ちが晴れない、そう思っていたところ。


 霧が晴れるきっかけを与えたのは、流川の方だった。


 授業の合間の休み時間。彼女は話しかけてきた。


「どうした? 教科書かな?」

「違う。いま必要なのは、物じゃなくて情報だから」

「抽象的なことをいうね」

「志水くんのこと、もっと知りたい。まずは家に案内したいと思って」

「おいおい、突然話がぶっ飛ぶね」


 闇病学園に常識は通用しないって重々承知なのだけれど。


 なんの前触れもなしにおうちに呼び出されるとはな。


「待ってくれ。まだ三日くらいの仲だろう。警戒心とか不信感とか、ないのか」

「あなたは信じられると思ったから。信じることに理由は必要?」

「考えすぎだったかな」

「考えすぎ。そういうことだから、放課後は車が迎えにくる」


 流川さんは車通学だ。


 親元を離れてはいるものの、運転と世話をする人ぐらいは矢見島に来ているのだ。


「目立つじゃないか」

「目立っちゃダメかな」

「あらぬ噂をたてられたり、無用なトラブルに巻き込まれたりだな……」

「トラブルは起こってから考えればいいの。とにかく、決定事項だから」


 押し切られるかたちで、流川の提案をのんだ。


 この話はむろん瑠璃子の耳にも入った。


 流川が席を外したタイミングで、瑠璃子はこちらにきた。


「動きがあったみたいね」

「地獄耳だ」

「私は地獄を体感してるから。純正の地獄耳」


 流川の家にお呼ばれした話は聞かれていた。


 話していたのは、幸運にも、悠や黒川がいないタイミングだった。話を掴んでいるのは、見知ったメンツだと、俺と瑠璃子だけということになるだろう。


「私はバレないように後をつける。なにか問題があれば」


 瑠璃子はロッカーを漁る。


 ものを掴んで戻ってくると、俺の手の中にぽとりと落とした。


「スイッチ?」

「私のやつとセットなの。押せば、こちらに異常が伝わる。フードコートで渡されるやつをイメージしてくれればいい」


 用意周到な人だ。


 何回もループを繰り返せば、不測の事態に備えてここまでできるものなんだな。


「俺とて無理はしないさ。もういっぺん死ぬような真似はごめんだからな」

「それってフラグ?」

「バカ、変なこというな。面倒ごとは三代美少女だけで充分だ」


 いって、俺は瑠璃子との会話を打ち切った。


 大丈夫、問題ないはず。


 自分にいい聞かせる。「大丈夫」という言葉だけが、頭の中をぐるぐる回る。


 本能は、実のところ流川の家を訪れたくないらしい。興味と恐怖を天秤にかけると、恐怖の方が下に沈む。


 いまさら引けない以上、心の声には耳を貸せない。


「いってくるか……」


 根拠のない自信を持つしかない。


 俺は流川家への訪問について、じっくり考えることにした。

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