第12話 穏やかな悪夢

「急なホラーとか、心臓に悪いんですけど……?」


 フミカは石床を踏み鳴らす。

 閉塞感のある、陰鬱な通路だ。

 

 シチュエーションは昏き谷底と似ているが、あそこにはきしょ花がいた。

 言ってることはキモいけれど、意思疎通の図れるNPCが。

 それに、マルフェスを殴るという行為をした結果、辿り着いた場所だ。

 

 きちんと因果が巡っている。だが、ここに至った経緯が謎すぎる。

 その意味不明さも、恐怖に一役買っていた。


「眠るのがアウト……? いやそんなまさか」


 転移前にしたことは、宿屋に泊まっただけだ。

 そんな単純な仕掛けで、転移が発動するだろうか。

 

 だとしたら、開発陣は意地悪にも程がある。

 フミカは経験者だからいいものの、初心者なら涙目間違いなしだ。

 

 カラン、と音が鳴る。

 髑髏に足が当たった。

 心臓がキュッとする。


「楔の花を見つけて、脱出しないと」


 盾をしっかりと構えて、じりじりと進む。

 ぱっと進んでぱっと出るのが一番だが、そこまでの勇気が湧いて来なかった。

 

 ホラーは好きだが、苦手だ。

 矛盾しているが、そういう人も結構多いんではなかろうか。


「ん……?」


 遠方で何かが煌めいた。

 青い炎がゆっくりと近づいてきている。

 

 フミカの身体が、小刻みに震え始めた。

 何かは知らない。

 ヤバいことはわかる。


「人魂、鬼火、幽霊!? なんでもいい、かかってこいや!」


 強気の言葉と弱気の身体で備え、


「やっと会えた! 待ってたよ!」


 愛らしい笑顔を受けて、脱力する。

 ゴスロリ調の衣服に身を包んだ幼女が、そこにいた。



「かわいっ」


 にへらと笑みをこぼしながら、フミカは隣の幼女を見つめる。

 幼女はハイルと名乗った。

 

 青い炎が灯ったカンテラを持つハイルは、謎めいたダンジョンを案内してくれている。

 鮮やかな黒髪と儚げな表情が、照り返しで映えていた。


「ふんふふーん」


 ハイルは鼻歌交じりで上機嫌だ。

 自然とフミカの機嫌も良くなる。

 何より、心細さが消え失せた。

 

 念願の同行者、それも幼女だ。

 SNSで、ハイルのファンアートを見るのが楽しみである。


「けど、本当に何もないな……」


 ダンジョンというには、とても空虚な場所だ。

 ちっぽけで、暗い。

 転がるのは骸骨だけで、敵も出て来ない。


「楽しみだな、楽しみだな」


 ハイルは何かに期待して、ワクワクしている。

 一本道だった通路に、脇道が現れた。

 

 ゲーマー魂が探索したいと唸るが、ハイルは直進しようとしている。

 進行先はそちらなのかもしれない。


「いや、我慢できない! 探索するっ!」


 フミカは辛抱できずに、脇道へ逸れた。


「そっちに行くの? 待ってるね!」

 

 ハイルが待ってくれている。

 なんて愛らしいのだろう。

 進行無視したプレイヤーを、律儀に待ってくれるとは。

 

 そんな子を、いつまでも待たせるわけにはいかない。

 小走りで進むと、話し声が聞こえてきた。


「じゃあ、ちょうだい?」


 愛らしい声で、誰かが何かを要求している。

 声の主は、部屋の中にいた。

 ハイルと似た風貌の幼女と、白い外套の、フードを被った何者か。

 

 遠目なのでよく見えないが、女だ。

 手を伸ばす幼女に、女が提供する。


「え」


 ナイフを、顔面に。

 一切の躊躇なく。

 

 その光景に、身の毛がよだった。

 ただ殺すのなら、まだいい。

 ゲームではよくあることだ。

 

 ここでサイコパスチックに笑うなら、そういうキャラクターだと理解できる。

 ゲームやマンガでたまに出てくる、快楽殺人鬼だと。

 そういう敵を義憤に駆られながら倒すのも、ロールプレイの一種だろう。

 

 だが、敵と思しき女は違った。

 微笑んでいる。

 狂気の笑みとか、そういうものではない。

 

 ただ花でも愛でるような穏やかさで。

 愛らしい幼女を、惨殺したのだ。


(――ガチ、だ。ガチモンだ)


 その場の雰囲気と合わせて、フミカの恐怖度は極限にまで高まった。


「ひっ……」


 怯えた声を漏らすと、殺人鬼はこちらに顔を向けてきた。

 穏やかな顔。

 現場を見られたという焦燥感も、獲物を見つけたという獰猛さもない。

 

 ただの、日常。

 ご近所さんに、挨拶するかのような……。

 

 だからこそ、逆に怖い。

 ヤバい怖い無理無理無理無理。


「ひええええっ!!」


 情けない悲鳴を上げて、逃走する。


「あら……?」


 殺人鬼は、不思議そうに小首を傾げていた。



 ※※※



「見つかったか?」

「それが、どこにもいねえんだよ……」


 戻ってきたナギサに、困惑しながらカリナは答える。

 宿屋の前で、カリナたちは困り果てていた。

 

 宿屋に泊まるというミッションは、クリア済み。

 なので迎えに行ったが、フミカの姿はどこにもない。

 じゃあ村で買い物中かと思えば、そういうことでもなかった。


「一人で、先に進んじゃったんじゃないの?」

「いや、それはないだろ。フミカに限って」


 他人事のようなミリルに言い返す。

 エレブレ4のフィールドは広大だ。楔の花による転移システムもある。

 合流地点を決めておかないと、再会できないなんて可能性も十分にあった。

 

 初心者であるカリナたちならともかく、ベテランのフミカが、何の理由もなく単独行動をするわけがない。

 否、経験の有無は関係なく。


「あいつ、昔から面倒見いい奴だし。何も言わないってことだけはねえよ」


 あるとすれば、緊急事態のせいで言えなかった、とかか。

 よく知らないが、期間限定のミッションを見つけたり、だとか。

 或いは……。


「そういえば、以前、隠しダンジョンに閉じ込められたことがあったかな」

「どういうことだ?」


 ナギサの問いに、ミリルはくるりと回った。


「そのままの意味だよ。マルフェスを殴ったら、谷底に真っ逆さま。で、転移が不能の、攻略しないと出られない場所だったの」


 カリナとナギサは視線を交わす。


「行くぞ」

「ああ」


 宿屋の主人は、愛想よく二人を出迎えた。


「いらっしゃい、お客さん。宿泊ですかい?」

「てめえ、フミカをどうした?」


 カリナは詰問するが、ドスの効いた声でも老人は動じない。


「宿泊するならお金を払って頂かないと。冷やかしは勘弁してくだせえ」

「NPCだ。何をしても、設定された会話しか返ってこない」

「チッ、わかっちゃいるけど不便だな」

「フミカ君が行方不明になった原因がこの宿屋なら、同じことをすればいいだけだ」

「そうだな」


 冷静になったカリナは、宿泊代を払う。

 割り当てられた二人部屋に入ると、主人が話しかけてきた。


「ところでお客さん……あなたに似合う、もっといい装備があるんじゃないですかねぇ」

「てめえあたしの考えた魔法少女コスをバカにしてんのか!?」

「言っただろう、無駄だと。さっさと寝るぞ」

「チッ……覚えてやがれ」


 ベッドに身体を滑り込ませる。

 今優先すべきことは一つだ。


「待ってろよ、すぐ助けに行く!」


 カリナとナギサは、即座に眠りに落ちた。

 満足げに笑うミリルを、気にする様子もなく。



 ※※※



「戻ってきたね、さぁ行こう!」


 ハイルの元気な声を聞いても、フミカの恐怖心はなかなか消えない。

 ゲーマーとしては、あの殺人鬼も倒さなければならない敵である。

 ああいうタイプに限って、いいアイテムを落とすのが定番だ。

 

 だとしても、単独で挑む気はすっかり失せていた。

 臆病者と罵られようと別にいい。

 誰かと……カリナやナギサといっしょに、戦いたい。

 

 正規ルートを進みながら、ちらちらと後方を確認する。

 ここが、あの女の行動範囲外であることを願うばかりだ。

 途中でいくつか脇道を見つけたが、探索する気には全くならない。


「この部屋だよ!」


 ハイルの案内が終わった。促されて、部屋へ入る。

 ここも例外なく暗い。

 広い部屋であることしかわからない。

 

 再び、ハイルが歩き出した。

 ついていくと、部屋の真ん中で振り向いてくる。

 期待を膨らませた、眼差しで。


「ずっとずっと、待ってたんだよ。……いつもの、くださいな」

「いつもの……?」

「やだなぁ、とぼけないでよ。花蜜だよ、花蜜」

「これのこと?」

「そうそう、それそれ!」


 フミカの持つ花蜜の瓶に食いつくハイル。

 差し出そうとすると、顔を上げてきた。


「え?」

「ねぇ、飲ませて?」


 そう言って、口を開ける。

 戸惑いながらも、フミカは瓶の蓋を開けた。

 

 ハイルの口元に持っていく。

 注ぎ口を、柔らかな唇に触れさせた。

 こぼさないように気を付けながら、ゆっくりと注いでいく。

 コクッコクッ、と小気味よくハイルの喉が鳴った。


(なんか、ちょっと……背徳的な香りが……)


 幼児に食べ物や飲み物を与えるのとは違う。

 ハイルは、自分の意志で飲食ができるはずだ。

 できないからやってあげるのと、できるのにやるのは、同じ行為でも意味合いが変わる。

 

 奇妙な気分だ。

 恍惚とする、ハイルの表情も相まって。

 私ってロリコンだったっけ? いやそんなはずは。

 などと自問自答している間に、瓶は空になった。


「全部飲めたね。えらいね」


 なんとなしに、褒める。

 しかしハイルは俯いていた。

 先程までは、喜びに満ちた表情をしていたのに。


「ハイル……?」

「……がう」

「え?」

「違うッ!」


 それまでの純朴な態度とは一転。

 顔を上げたハイルの表情は、憤怒に満ちていた。


「嘘つき嘘つき嘘つき! 騙した! 私を騙したんだ!!」


 あまりの剣幕に、気圧される。

 ぞわりとした。

 ハイルの怒り方は尋常じゃない。

 さっきとは別人みたいだ。


「酷い酷い酷い酷いどうしてこんな酷いことできるの? ねぇ、偽物さん! 期待させて、裏切って、本当に酷いッ!!」

「ど、どうしたの!?」


 フミカの問いかけに、ハイルは応えない。

 言葉が通じていない。


「殺すしかないね。うん。殺す。死んで詫びてよ、ねえ!! 殺すコロスころすこロすコろす!!」

「ひぃ――ひえええ!」


 思わず逃げ出すと、ハイルが追ってくる。

 可愛らしい瞳は、血のように赤く染まっていた。

 飛び掛かってくる。恐ろしい形相のまま。


「な、なんで――うわああああ! 助けて! カリナ!! ナギサさん!!」


 フミカの助けを求める声が、暗い部屋を反響した。



 ※※※



「よーく寝た! よし!」


 気持ちよく起床したカリナは、意気揚々と立ち上がる。

 部屋から外に出ようとした。

 急いでフミカを探さなければ。


「待て、カリナ」

「んだよ、速く助けにいかねえと」

「宿屋のままだぞ」


 諭すナギサ。そんなバカな、とカリナは窓の外を眺める。

 明るく、のどかな風景が広がっている。

 

 風車の村だ。

 寝る前と何一つ変わりがない農村だ。


「どう? 気持ちよかったでしょ? 信じられないくらいに」


 ミリルがパタパタと飛んできた。

 能天気な妖精に、付き合っている暇はない。


「どうなってんだよ!」

「やはり、ただ眠るだけじゃダメか。条件がわからない」

「くそっ!」


 カリナは必死で頭を巡らせるが、わからないものはわからない。

 前提となる知識も経験もない。

 それはナギサも同様だった。

 

 知識に疎い初心者が知恵を出し合っても、結果は自明の理。

 余程の賢さがあれば話は別だろうが、カリナは天才の類ではないし、ナギサの才能は戦闘方面に振り切っていた。


「どうすりゃいい……!」

「こういう時、あの人がいてくれれば」

「誰だよ?」


 ナギサは口惜しさを滲ませる。


「私を、このゲームに誘った友人だ。彼女も私と同じく初心者だが、聡明で機転も効く。きっと正解を導き出せる」

「でも、いないんだからどうしようもないだろ!」

「そうだな。すまない」


 カリナは焦燥しながらも必死に頭を回す。

 しかし皆目見当もつかなかった。



 ※※※



「死ねッ! しね、シネ、しネ!」


 金切り声と共に、カンテラが振るわれる。

 フミカへ馬乗りになったハイルは、がむしゃらにカンテラを叩きつけてくる。

 スタミナゲージもなくなり、フミカは抵抗できない。

 

 何より、精神的に追い詰められていた。

 怖すぎる。

 ハイルも、この場所も。

 

 じわりじわりとライフが削られて、死に近づいていく。

 死んだらどうなるか。

 あの宿屋に、また戻れる?

 

 いや、そんな保証はない。

 また、ここに戻される。

 

 そしてハイルに殺されるのだ。

 何度も、何度も。

 何度も……。


「む、無理! 嫌だぁあああ!」


 恐怖のあまり目を瞑ったフミカ。

 絶叫と共に死を迎える。

 死のループに嵌まってしまう――。

 

 そう思い込んだ矢先、悲鳴が轟いた。

 自分のもの、ではない。

 

 恐る恐る目を開けると、ハイルの胸元から何かが突き出ていた。

 豪華が装飾が施されたナイフだ。

 

 壊心のナイフ。

 ミラ姫の武器だ。


「許さない――許サなイィぃィ!!」


 怨嗟の叫びを上げて、ハイルが掻き消える。

 ナイフの持ち主と目が合った。

 真っ白な外套に身を包む、フードを被った少女――。


「ひいぃぃぃ!」

「怯える必要はありませんわ。わたくしは、あなたを助けに来たのですから」


 聞く者を惹きつける魅惑的な声音には、聞き覚えがあった。

 落ち着きを取り戻したフミカの前で、少女がフードを外す。

 麗しい尊顔と、ふんわりとした赤髪が露となる。


「生徒会長……?」

「気づいてくださいましたか」


 見る者を魅了する穏笑を放ち。

 生徒会長――光明院こうみょういん夜明よあけがそこにいた。

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