3話 戯れとお遊戯

 その日はどこか騒がしく、少しだけ空気が張り詰めていた。

「どうしたの?」

 珍しく早起きをしたルカの身支度を手伝ってあげながら、職員は緊張した声音で言う。

「上位存在である天使さまがやって来るんだよ」

「天使さま……」

「そう、天使さま。この施設ができた当初は通っていたそうだが、最近はめっきり来なかったんだよ。君がこの施設に馴染んできたから、遊技場で遊び相手になって欲しいらしいんだ」

 職員の言葉にルカは頷く。案内された遊技場は、過多な装飾を施された部屋の一室だった。柔らかな布で覆われた天蓋のベッドは、鎖やリボン、宝石などで煌めいている。

「それじゃあ、よろしくね。普段通りにしていればいいからね」

 ルカはベッドの上に下ろされて一人で天使さまを待つ。やがて扉が開かれ、一人の男が入ってきた。

「やあ、初めまして」

 まさしく天使だ、とルカは思う。美しい髪と憂いを帯びた整った顔立ち、そして彫刻のような綺麗に引き締まった身体が御伽噺に出てくる天使のようで、ルカは天使さまに見惚れてしまう。

「ルカ、と言ったかな。私は天使だ。今日はどうかよろしく頼むよ」

「はい、天使さま。よろしくお願いします」

 ルカは深々とお辞儀をして天使さまを誘う。天使さまは満足そうにベッドの上に乗り上げた。

「今からお前と戯れたいと思う」

 天使さまの言葉に、ルカは少しだけ躊躇いを見せる。

「なんだ、拒む気か?」

 天使さまの言葉に、ルカはじぃ、と天使さまを見上げて言った。

「天使さま。僕には最愛の人がいます」

「ほう」

「僕は僕の愛しい人に誠実でありたいです」

 それを聞いた天使さまはにこりと笑う。不機嫌になった様子もなく、ルカは内心でほっと安心する。

「その心がけは素敵だと思う。けれどお忘れかな?」

 天使さまはもう一度にこり、笑みを作る。

「ここで私たちが会ったことは記憶処理される。そして君は、私たち上位存在である客の言うことに逆らってはいけない」

「あ」

 そういえばそうだった、と思い出して小さな口を開けて呆けたルカ。天使さまはルカを押し倒して無邪気に笑った。

「ルカ、私の月。じっくりと楽しもうじゃないか」


 気がつけば、ルカは自室にいた。

「……」

 ぱくりと頭から食べられた気分だと、ルカは思う。記憶処理のおかげで何があったかは思い出せないが、多分甘美で愉しい時間だったのだろう。少なくとも最後に見た天使さまは満足そうに笑っていた。

「期待以上のかわいらしさだった。また会おう、私の月」

 天使さまの言葉が、ルカの頭を微かに掠めた。


 別のある日。それは己のことを使者だと名乗った。

「上位存在の一つ、使者と呼ばれている者です。愛しの来訪者よ、どうかお見知りきおきを」

 つらつらと言葉を連ねる男に、ルカはよく口が絡まないな、とどうでもいいことを思っていた。

 ベッドの上に座って無垢な顔で使者さまを見上げているルカを見つめて、使者さまはベッドの上に乗り込んでくる。

「……ルカ」

 使者さまはルカの顔を覗き込んだ。使者さまの暗い黒の瞳と、ルカの色違いの柘榴色と空色の瞳の色が混ざり合い溶けていく。

「私が早く見つけていれば、あなたは私のものだった」

 使者さまは感情のままに、ただルカへ後悔を吐露して呟く。

「私は天使が憎たらしい。最初期の来訪者であり、特別な存在であるあなたを手に入れたあいつが憎らしい」

 どれほど焦がれているか、こんなにもお前のことが愛おしいのだと、使者さまはルカに教え込む。

 だからこそ、ルカは至って冷静に口を開いた。

「僕は誰のものでもないよ」

 ルカの言葉に、使者さまは目を丸くした。そして弾かれたように豪快に笑う。

「は、はは。そうだな、あなたは誰のものでもない」

 一通り笑った後で、唐突に使者さまはルカをベッドに投げ出した。

「けれど。私にだってあなたと戯れる権利はあるはずだ」

 使者さまは独占欲に満ちた目つきで、ルカを愉しそうに見つめていた。


 ルカが記憶処理を施され、疲れて自室で眠り込んでいる頃。上位存在である天使さまと使者さまは局長の元に訪れていた。

「おや。一体何事かな」

「ルカのことについてだが」

「ああ。頼んでいた体の作りと反応についてだね」

 検査を重ねても、身体の作りの深いところを調べるには施設側では口実が足りなかった。上位存在がそれを行なったということは、これからはそのような検査や実験も施設側でも行えるということだ。

「それで、どうだった? 身体の作りは本で見たような人間そのままの作りだったかい?」

 局長が問えば、天使さまも使者さまも頭を横に振る。

「ルカは気づいていなかったが、あれの作りは人間と少々違う」

「ほう」

 天使さまの言葉を引き継ぎ、使者さまも感想を述べた。

「彼は人間より人形に近い体の作りをしているな。曖昧な体、とでも言った方が適切か」

「ああ。おおよそ人間と言っても過言ではないが、彼には人間に備わっているいくつかの要素が欠けている。それこそ人形のように、まるで綺麗で理想的な部分だけを写しとって形にしたようだ」

 局長は二人の言葉を一字一句逃さずカルテに書き込んだ。天使さまが局長に忠告した。

「これから様々な現象が、ルカや新しい来訪者たちに現れるだろう。もしお前たちの手に余るようだったら私たち上位存在を呼びなさい」

 それはルカたち来訪者が、物語のかけらたちが未知なる存在ゆえの危険性を示していた。だからこそ局長は笑う。

「私たち研究者を舐めてもらっては困るな。大抵の危険など、どうとでもなる」

「だが、まだまだ施設も安定しないだろう?」

 言外に含まれる心配や忠告、それは局長もわかっている。そして局長だからこそ譲れない領域があることを、天使さまや使者も知っていた。

 だからこそ彼らは言葉の外で約束を交わすのだ。もしもの緊急事態の時にいつでも駆けつけて助けられるように。局長は己の庇護下にある職員や研究員たちを守るために。

「話はそれだけだ。それでは、良い研究生活を願っているよ」

 天使さまと使者さまは音もなく去っていく。後に残された局長は肩を回して机の上のカルテを手に取った。

「随分と彼らに気に入られたものだ。さて、これからのことを練り直さないとな」

 そうして終わらない夜は過ぎていく。ルカの知らないところで思惑が絡まったまま、続いていく。

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深層標本ー瓶詰めの物語たちー ヨルトキト @yorutokito

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