第13話
首に巻きついている腕を何度も叩いて降参の意を示す。
腕が解かれると、楓が駆け寄ってきた。
「おい、おい、なにしてんだよ
「やぁ楓、ちょっと恋敵を発見したから減らしておこうと思ってね」
「物理で減らしたら犯罪だろ。お前もスパイ映画やってんのか。冬真、平気か」
差し出された楓の手を取って立ち上がる。
息を整えて声の主に振り返ると、小柄な女の子が恨めかしそうにこちら睨んでいた。
どう反応すればいいか分からずに固まっていると、女子生徒は唐突に楓の胸ぐらを掴んだ。
「なんで冬真くんなんかに夏恋ちゃんを取られなきゃいけないんだあああああ」
「なんで僕の名前を? 」
「どうしてクラスメイトの名前も覚えないような変な奴にいいいいい」
女子生徒が勢いよく楓を左右に振る。振られる楓が苦笑いをしながら僕を見た。
「おい、冬真、変に刺激するな。高萩のこと覚えてないか。昨年の記憶どうにかたどってくれ。早くしないとこいつ止まんねぇぞ」
慌てて記憶の貯蔵庫をひた走る。昨年度、三月の終業式まで遡ったところで足が止まった。
「
ポツリとつぶやくと、陽凪は楓から手を離した。楓が驚いた顔をする。
「おっ、正解。よく思い出せたな。珍しい」
「メッセージアプリのアイコンに使える似顔絵描いて、クラスメートから金巻き上げてた記憶ある。確か美術部だよね。今年は違うクラスだったっけ」
「金の亡者なんかじゃないのに、どうしてそんな酷いイメージになるんだあああああ」
陽凪がまた楓の胸ぐらに飛びかかる。今度は楓が陽凪の腕を掴んで防御した。
「落ち着けよ。冬真に記憶されてただけでも喜ばしいことだぞ。喜べよ。そんなことより、なんで冬真と西川に関わりがあることを知ってるんだ。しかも恋敵ってなんだよ」
「この前の土曜日、画材を買いに行ったら、冬真くんと夏恋ちゃん見つけて尾行してた」
陽凪と格闘している楓と目が合う。
たった今、僕は突如として崖っぷちに追い込まれた。不安ってこんな早く現実になるんだ。言い訳降ってこい。神様、どうか僕に説得力のある言い訳を下さい。さもないと僕の平穏な学校生活が。
「証拠は、証拠はあるの? 」
苦し紛れの言い訳が口から出る。別に出したくはなかった。
陽凪は、楓との格闘をやめて制服のポケットからスマホを取り出した。そして、僕に向かってほくそ笑んだ。勝ち称えて誇るように。
「はい、冬真くん終わり」
見せられたスマホの画面には、笑顔の僕が夏恋に手を引かれている画像が表示されていた。おそらく、エレベーターから駆け出した直後だ。恥ずかしさが全身で暴れる。
「うわ、冬真と西川こんなことしてたのかよ。ひゅーひゅーじゃん」
「でしょ。信じらんないよね」
楓がご機嫌に陽凪と言葉を交わす。最大の敵は味方ってこういうことだ。
「現代って、フェイク画像いくらでも作れるよね。その画像いつのやつかな。僕、基本的にクラスメイトと遊んだりしないからその画像ちょっと疑わしいな」
「映像もあるよ。公開してほしい? 」
僕の陳腐な言い訳を、ゼロコンマ二秒ぐらいで陽凪が上から叩き潰した。足をつけた地面が海に崩落していく。本当に崖っぷちだ。
「公開してほしくないです。下手くそな言い訳繰り返してすいませんでした」
「この画像と映像がばらまかれたら、大変なことになるのは分かってるんだよね? 」
「はい、分かってます」
陽凪が楓から離れて一歩ずつ詰め寄ってくる。身長差十五センチぐらいはあるはずなのに、威圧感を感じて一歩ずつ後ずさりする。
「ウチと契約を結んでくれたら悪いようにはしないよ」
「なんで本当にスパイ映画みたいなことになるんだよ」
僕の背中に冷や汗が流れる中、楓が半分呆れて言った。
陽凪が片手でスマホを揺らしながら口を開く。落として壊れろ。どうか。お願い。
「まず、冬真くんには夏恋ちゃんの情報提供をしてほしい」
「情報提供って一体どんな情報を伝えればいいの? 」
「夏恋ちゃんについて知ってること全て。どんな食べ物が好きとか、どんな色が好きかとか、どんな服を着ていたのかとか、些細なことまで伝えられること全部」
苦い顔した楓と視線を合わせる。言葉を交わさずとも味覚は一緒だった。
僕ら見た陽凪が不思議そうな顔を浮かべた。楓がその様子を見て口を挟む。
「確認だけど、高萩って冬真の首を絞める前の俺らの会話聞いてたか? 」
「聞いてないよ。なに、隠してることでもあるの。二人とも苦虫噛み潰したような顔してるけど。もう契約違反するつもり。冬真くん、覚悟しなよ」
「そうじゃない。冬真がきちんと契約を全うするために質問したんだ」
「なにそれ。わけわかんないこと言って、はぐらかすようだとまた冬真くんの首絞めるよ。ウチ、昔空手習わされてたからいつでも絞められるからね」
陽凪は、獲物を狩るような目で僕を見た。多分彼女は狩猟民族だ。
「分かった。契約結ぶことにするよ。自発的にあれこれ伝えるのは気が進まないから、基本的には高萩さんから質問して。あまりにも質問攻めされるようだと気が滅入るけど」
「それは安心して、冬真くんが嫌になるほど追い詰めたりはしない。ウチ、人としての節度は守るタイプだから」
「突然人の首を絞める奴のどこに節度があるって」
「楓うるさい。ちょっと黙って」
陽凪が楓の正論に理不尽で勝った。正しさは簡単に敗北する。もはや負け筋しか見えない。
「話はもう終わりかな。そろそろ教室戻ってもいいよね」
「ちょっと待って。あと、ウチと夏恋ちゃんが遊べる機会を作ってほしい」
「二人だけで? 」
「いや、二人は難しいと思うし、ウチも心の準備しないといけないから二人にこだわらなくてもいいよ。冬真くんとか楓がいてもいい」
陽凪の態度と、喋っている内容の矛盾に違和感を覚える。首絞めるくせにどうも及び腰だ。
「遊びの約束は自分で直接とりつけるほうがいいんじゃないの。どうしてそんな間接的な方法取るのさ」
「そうだ。契約どうこうって言う前に、高萩のことについて話してもらわないと意図が汲み取れない。正直、恋敵ってのも完璧に腑に落ちたわけじゃないぞ。今のところ冬真を理不尽に脅迫してるだけだ」
楓が理路整然と僕に同調した。陽凪が肩を落とす。
「そうだよね。わけわかんないね」
「急に元気なくなるじゃねぇか。話したくなかったら話さなくてもいいけどさ」
「ううん、いいよ。どうしても秘密にしておきたいってわけではないから。二人は受け入れてくれそうだし」
陽凪の芯に触れたような気がして、優しく努めて尋ねる。
「愚問のようだけど、高萩さんは夏恋のこと恋愛対象として捉えてるの? 」
「そうだよ。入学式で夏恋ちゃんを目にして一目惚れした。みんなが恋愛するみたいに、ちゃんと好きだよ。デートしたり、通話したりしてみたい。ウチは夏恋ちゃんが好き」
真剣な目で語る陽凪の耳が朱く染まった。
一方の僕は、体から熱が逃げていく。
一目惚れ。惚れた顔で夏恋が苦しんでいることを知ったら、陽凪は好意を持ち続けられるのだろうか。夏恋に対して、怒ったり失望したりしないだろうか。好きが反転して、嫌いに変わってしまわないだろうか。夏恋の事情を正直に伝えて、残るものはあるのだろうか。
当然、適当な嘘を使って誤魔化すことはできる。
でも、一度ついた嘘は、ずっと貫き通さねばならない。
嘘で傷つけられてきた僕に、そんなことができるのだろうか。
下を向いて地面とやり取りしていると、楓の能天気な声が届いた。
「結構長いこと好きなんだな。もう一年以上じゃん」
「キモいよね」
「気持ち悪くない。俺はなんとも思わないけどな。高萩、もしかして自分に引け目感じてるから冬真を使って西川に近づこうとしてるのか? 」
楓が陽凪の自虐を一蹴する。楓は自分を傷つけて安心するような言動を許してくれない。
陽凪は含みのある苦笑いを返した。
「引け目って言葉で収まればよかったんだけどね」
陽凪が地面を見ながらつぶやいた。
言葉の奥に無限の寂寞を感じた。あまりにも暗く、放り出されるような響きだった。僕も知っている感情だった。
「じゃあ、とりあえず土曜日に至るまでの経緯を伝えるよ。今日の放課後、僕らの教室で。部活あると思うけど、課題でもやって時間潰すからゆっくりでいいよ」
「分かった。どうもありがとう。教室にいなかったら許さないから」
「心配しなくていいよ。自分が背負ってるリスクは理解してるつもり」
陽凪は、一度落ちた声のトーンを復活させて、明るい笑顔で廊下に消えた。
「ややこしい話になってきたな。高速でフラグ回収したのなんか、どうでもよくなるぐらい混沌とした状況だ。どう処理していけばいいんだよ。西川の事情を知って、驚いてる真っ最中だったのにさ」
楓が頭を掻きながらぶっきらぼうに言った。そして、飲み終わったコーヒーの缶を洗い始める。
「単純に考えれば、高萩さんに弱みを握られて言いなりになるってだけ。そんなに難しい話じゃない」
「いやいや、困難極まりないって。今、西川は都合のいい関係から抜け出せてないんだろ。だから、高萩の感情はどこまでも一方的なものになる。しかも、西川とお前の関係にどう高萩を絡ませればいいのか全く分からん。正直、西川が冬真に抱く感情の方向性もよく分かんねぇし、歪な三角関係だ」
客観的で冷静な楓の言葉に、黙って頷くしかなかった。楓は蛇口をひねりながら続ける。
「あと、高萩は恋愛感情あって、西川と恋人の関係になりたい。冬真は恋愛感情ないけど、西川のことを元気づけたいっていう絶妙にかけ違えた目的にモヤッとするんだ。お前は道の途中にある話で、高萩は終着点の話だ。冬真が西川のこと好きなんだったら、単純な西川の争奪戦って理解ができるんだけどな」
「ない。絶対にない。うるさいようだけど、人を好きになるっていうのは、相手への勝手な期待を膨らませる行為だろ。そんなの僕にはできっこない。楓もよく分かってるはずだ」
楓は蛇口を閉めて立ち上がった。いつになく真剣な目をしていた。
「じゃあ、もし高萩とか他の奴が西川に告白して付き合うことになったら、冬真はそれでいいのか? 」
「もちろんだ。僕は夏恋が苦しまずに笑うことを願ってる。最終的には僕が隣にいなくたっていい。とにかく、夏恋の嘘偽りない笑顔があるならそれでいい」
素直な気持ちのまま言うと、楓は朝露を運ぶ初夏の風のように、抜けよく微笑んだ。
あまり見たことがない表情だった。
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