第11話

「せっかくだから最後まで聞くよ」


 拒否する術がなかった。夏恋の全てがあまりにも魅力的だった。

 夏恋は嬉しそうに頷いて、悲しさとか寂しさとかの一切を消した。まるで世間話をするかのように話し始める。


「ちょうどそのころ、中学三年生になってすぐだったかな。空き家になってたお母さんの実家に引っ越して、学校を転校したんだ。心機一転頑張ろうとしたんだけど、どうしても友達ができなくて。もし、整形してるのがバレたらって怖かったんだよね」


「中三はある程度の人間関係構築済みだもんね。入り込む隙がない」


 夏恋が納得と否定の中間で頷いた。そうかもねぐらいの塩梅だった。

 

「私が友好的になれなかったのが一番の原因だけどね。それで、ちょっとずつ学校に行きづらくなって、SNSやりながらネットで友達作ってたんだ。なにしてんだって話だけどさ」


「いや、現代では当然の流れだと思う。その友達っていうのはどんな人なの」


「同じ地域に住む高校生の男の子だった。ネットで繋がってるうちに仲良くなって、いつからか現実の付き合いが始まった。そしてデートを重ねるうち、付き合ってほしいって告白されたんだ。可愛いなんて言われたことなかったからさ、すごい嬉しくて夢見てるようだったな」


 冷静に考えると恐ろしい展開の速さのように感じられるが、僕らが生きている世界はもう一つの世界で圧縮されている。だから、至って普通のことだ。四コマ漫画の速度ですらもう遅いかもしれない。


「告白は受け入れたの? 」


「もちろん。その人のこと本当に好きだったよ。私一人っ子だからさ、お兄ちゃんみたいな感じで接してくれて嬉しかった。それに、優しくて、背が大きくて、ものすごく格好よく見えた。でも、私は都合のいい存在に過ぎなかったみたいでさ」


 好きだったよという言葉には、温度の分からない絶妙な響きがある。熱を帯びていた感情に、冷ややかで凍ったものを上から被せたような。


「その人にはもう既に彼女がいて、夏恋は浮気相手だったとか? 」


「流石冬真くん、察しよくなってきたね。半分当たりで半分ハズレ。セフレだよ」


 空気を切り裂く単語に、慌てて辺りを見回す。幸いなことに、周囲の客は自分たちの世界を楽しんでいる。


 ついに僕の口から言葉がなくなった。衝撃で脳の処理が一度止まったらしい。見かねた夏恋が豪華なおまけをつけてくる。


「ある日、本当に突然彼に伝えられたんだよね。彼女にバレたからこの関係終わりにしてほしいって。もう、二度と会えないなんて言ってさ」


「都合、よすぎるね」


「初めての彼氏だって浮かれてたのにさ。でも、毎回のデートでセックスせがまれて、都合のいい相手として扱われてるのは薄々勘づいてたはずなのに、私は自分を誤魔化した。傷つきたくなかったし、好きを裏切られたくなかった。自業自得だよ」


 極めて冷静な夏恋の言葉に、こちらもだんだん冷静になってくる。もし、夏恋に取り乱されていたら、僕はどうしていたのだろうか。


「善悪は、切り取り方によって変わってくるだろうからなにも言えないな。その相手が大馬鹿だってことだけは間違いないけど」


「冬真くんらしい答えだね。冬真くんって簡単に善悪の判断をしないよね。私好きだよ。冬真くんの感性」


 夏恋の演技じみた表情が解けて、安心すると同時に本題をすっかりと忘れていたことに気づく。


「でも、今の話って橋で出会ったときの話じゃないよね」


「私、どうしたって都合のいい存在以上になれないみたいでさ。もう、分かるよね」


 夏恋は、ただ一言感傷的に言って言葉の続きを僕に託した。さっきまでの冷たさはなく、語尾が震えていた。


 夏恋が欲してる正解を出さなければいけない気がした。

 ちゃんと答えないと、もう二度と心を開いてくれることはないだろう。直感的に分かる。


 都合のいい関係って一体なんだ。話の流れから考えればセフレで間違いないだろう。

 セフレ。恋愛的な結びつきはなく、互いに適当な塩梅の関係。どちらかが本気で好きになってしまえば、そこで関係は終わりに向かう。

 ああ、なるほど。まさに都合がいいから夏恋は都合のいい存在以上にはなれないのか。


 夏恋は、整形した自分の顔を嘘だと捉えている。

 個人的には整形イコール嘘ってことにはならないと思うけど、夏恋は嘘だと思っている。

 嘘が好きだと言いながらも時折自己嫌悪を口にする様子から察するに、夏恋は嘘を愛されてしまうと罪悪感が芽生えて苦しくなるのではないだろうか。欺く感覚があるのかもしれない。

 夏恋にとって、学校は苦しくてたまらない場所だろう。嘘を愛されすぎている。


 そこで、都合のいい関係だ。相手に本気で好かれることはないから罪悪感が芽生えないし、適度に依存できる。

 それに、あまり考えたくないけど生理的にも満たされる部分があるのだろう。まさに都合がいい。


 でも、あまりに寂しすぎないか。本当は関係の浅さが露呈するたび、傷ついているはずだ。腕の傷が全てを物語っている。


 多分、夏恋は橋で会った日も関係が終わって傷ついていたのだ。

 好きになってしまったか、好かれたのか、はたまた違う形で裏切られたのかは定かじゃないけど、残酷に現実が襲ってきたのだろう。

 あの日の夏恋は嘘と本当の狭間にいたのだ。自分に起こったことを赤裸々に話して助けてほしい気持ち半分、強がり半分。

 連絡先を求められた理由が今やっと理解できた。僕は出会った時点で夏恋の本当に触れていたのだ。


 夏恋にとっては天啓のような出来事だったのかもしれない。

 いや、傲慢だな。僕は神じゃないし、ただの偶然だ。


「あの日も、今話してくれたようなことに似たことが起こっちゃったって理解でいいのかな」


「正解って言ったら冬真くん怒る? 」


「別に。僕は価値観や正義感で相手を測って、怒りを湧かすほど自分を信用してない。どうせ、僕が綺麗事を言っても本当の夏恋には届かずに距離を取られるだけ。違う? 」


 夏恋は僕の目を見て頷いた。心底嬉しそうな柔らかい視線だった。


「正解。冬真くんを誘って本当によかったよ」


「たまたま橋で出会ったことの意義は理解できたんだけど、夏恋の事情を打ち明けるのは他の人でもいいよね。どうして僕なんかにこだわるのさ。なにもしてあげられないよ」


 褒められると、偏屈な言葉が口から出てくる呪いを発動させてしまった。偏屈具合に夏恋は笑って、首を横に振った。


「ううん。橋で会った夜、冬真くんは私の容姿について一言も口にしなかった。大体の人は、私の内面を見るんじゃなくて、私の外見から私の内面を作る。なのに、冬真くんは私の内面に目を向けてくれた」


「意識して容姿に言及しなかったわけじゃない。尋ねなきゃいけないことたくさんあったし」


「そうかもしれないけど、私にとってはすごく安心できる態度だったんだよ」


 虐げられがちな無関心もたまには人の役に立つらしい。


「特別なことなにもしてないから褒めるに値しないよ」


 夏恋はむず痒くなるぐらい僕を肯定しにかかる。


「私が汚いかって尋ねたとき、冬真くんは綺麗とか汚いとかじゃなくて、なんか変だって答えた。同じ質問したとき、大体の人は可愛くて綺麗だよとか、暗い顔して急にどうしたのなんて言う。本当の私になんて見向きもしない。だから、冬真くんの態度は特別なんだよ」


「ありがたいけど、こんなひねくれた人間を特別視しないほうがいい。夏恋も変になるよ」


 夏恋は無視して続ける。


「しかも、冬真くんは私の腕の傷にまで気づいてくれた。今まで気づいてくれる人いなかったのに。冬真くんなら、本当の私に気づいて、見つけてくれると思ったんだ」


 どう返答したらいいのか分からずに黙ってしまう。周囲の喧騒が背景のように感じられた。


 僕が特別だなんておかしな話だ。

 こんな能力及び価値がなくて、無力で絶望してる人間を特別だなんて、どうしたっておかしい。普通に近づくのすら困って苦しいのに。誰かの特別になんてなれやしない。なる権利もない。なっていいはずがない。


 僕は僕が嫌いで仕方ない。できることなら他の人になりたかった。夏恋が褒めてくれるほど、素晴らしい人間じゃない。


「いこっか」と、沈黙をあえて破るように夏恋が席を立ち、僕は会計に向かった。

 


 レストランを出て、夏恋の後ろを歩く。

 夏恋はこの後の予定について、なにか考えているのだろうか。解散するにはまだ早い時間のような気がするけど、中々口に出せない。


 夏恋に次いで、下りのエレベーターに乗る。他に乗客はいない。


 天井を見上げながら、恥ずかしさで重たい口を開く。言葉は僕の中に眠っていた。


「せめて、手首の傷から消せるようになろう。夏になったら隠すの大変だろうから」


 目線を降ろすと、夏恋とぴったり目が合った。

 無意識なのか、夏恋は左手首を擦っていた。


 手を伸ばして、擦っていた右腕をそっと掴む。シャツの質感に混ざって、華奢で細い腕の体温が伝わってくる。


「えっ」戸惑いでも、否定でもない、純粋で浄化した雫のようなつぶやきが夏恋の口から漏れた。素直な反応ということだろう。


 驚く夏恋の目をまっすぐと見る。朱くなる頬の色を冗談でかわされてしまわないように。嘘で塗りつぶされてしまわないように。


「いいから、これ以上嘘つかなくていいから。どこか行きたいとこないの。連れてってよ」


 自分になにができるのかはよく分からない。どんな言葉をかけても、どんな行動を取っても、夏恋の寂しさや苦しさに触れることはできないのかもしれない。

 ただ、なにかしていたい。夏恋のために力を注ぎたい。できることがあるのなら、してあげたい。

 中学三年生のとき、車内で泣けもせず無力さに打ちひしがれた夜は未だに忘れられない。 

 夏恋には自然と姉の面影が重なってしまう。


「僕は、絶対に夏恋を傷つけたりしないって約束する。ただただ、夏恋が元気な状態になってくれることを願うから。もう、無力だって嘆くのは終わりにしたいんだ」


 偶発的に本当の西川夏恋に触れた僕がしなくちゃいけないのは、きっと、素直な感情を引き出すことだ。他はなにもできない。


「だから、だから、せめて今日だけでも、素直な夏恋でいようよ。そのために呼んだんでしょ」


 どうにか言い終えて顔を覗くと、朱に透き通った爽やかな青空が見えた。


「ありがとう。じゃあ行くよ! 」


 一階です、とタイミングよくエレベーターの扉が開く。


 夏恋が僕の腕を勢いよく引いた。つんのめって転びそうになりながら駆け出すと、エレベーターに乗る客のいたいげな視線を感じた。

 恥ずかしさが爆発しそうになって、清涼感が爽やかに打ち消しにかかる。


 もう、今日は恥とか見栄とかどうだっていいか。幸せとか不幸だとか、くだらないこと考えなくていいや。

 とにかく、今は苦しみのない世界で生きていたい。


 夏恋が僕を眩しくて見えないような世界に連れ去った。

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