第10話

「もちろん。話聞くって言ったし」


 周囲を見回して、お冷を店員さんに注がれない程度まで飲む。誰かに聞き耳を立てられるのは避けたかった。

 夏恋はオムライスを美味しそうに食べて、軽やかに口を開いた。


「私ね、小学校と中学校でいじめられてたんだよね」


 未熟な覚悟が高速で一気に締めつけられて、痛みが暴れる。急に殴られたときってこんな感じなのかもしれない。

「なるほどね」と、我ながらあやふやな返事をした。


「冬真くんに問題です。私はなんでいじめられたでしょう。話を進めるための質問だからぜひ答えてほしいな」


「見当つかないし、答えたくもないから無回答で」


「逃げないで。私は冬真くんに理解してほしいの」


 なんでだよと反論したいのに、否定の言葉が全く出てこない。僕は、もうすでに夏恋の一部として取り込まれている。抜け出す余地はない。


「可愛いから嫉妬されたとかかな」


 とりあえず、頭の中にあった答えを素直に吐き出した。夏恋は嬉しそうに目を細めて笑った。夏恋はそのままの笑顔を崩さず言う。


「残念でした、不正解。全くの真逆だよ」


「真逆って言葉の意味がよく分からないんだけど」


 夏恋のことを見つめてみても、容姿端麗を否定する要素が一つも見当たらない。

 夏恋はオムライスを再び口に運んで僕を見つめ返した。生体としてのリズムが掌握される。


「ねぇ、冬真くん。橋で出会ったとき、私に対して仮面被ってる気がするって言ってたよね。あれ、なんでそう思ったの? 」


「なんとなくだよ。納得してもらえるような理由はないな。感じたことをそのまま言っただけ」


「そうなんだ。その直感をたどれば真逆って言葉の意味が分かると思うな。ヒントあげすぎちゃったかも」


 夏恋の口調は極めて淡々としていてどこか狂気も孕んでいる。魅力的で危険な香りだ。


 単純にさっきの答えを逆にしてみる。可愛くないから嫉妬されない。

 視界の情報が自分の思考を痛烈に批判する。逆なわけないだろ。どう考えても。


「ちなみにこの問題って不正解だったらなにか罰とかある? 」

 

「罰はないけど、もうお手上げなの。もっと考えてよ。冬真くんなら分かるだろうから」


「分かんなくていいよ。時間使って正解したところで喜べないだろうし。本当は夏恋も正解してほしいわけじゃないんでしょ」


 夏恋に目を合わせないよう、冷たくなってきたライスと対峙しながら言った。目を合わせたら夏恋に従うしかなくなる。


「いや、正解してくれたら私はとても嬉しい。本当の私を理解してくれてるんだなって思えるから。私の中で証明になる」


「だから、本当の私とか証明って一体なんなの。分かんないよ。まさか、はぐらかしてこのまま話さないとかないよね。そうなった場合、ちゃんと怒るよ。モヤモヤだけ残されて、たまったものじゃない」


 思うまま一挙に告げると、夏恋は笑いながらなだめるように言った。


「ごめん、ごめん。じゃあ、答え合わせするよ。嫉妬の真逆ってことは望まれたり、褒められたりすらしないってこと。つまり、馬鹿にされるってことだよ」


「夏恋の言うことを素直に解釈すると、容姿を馬鹿にされたってことになると思うんだけど、嘘じゃないよね」


 言語的な情報と視界の情報が正しく照合されない。どうしても現実的な視覚情報が優位になる。


「嫌だなぁ、嘘ついてるわけないじゃん。本当のことだよ。小学生の高学年ぐらいだったかな、みんな見た目に対する関心が高くなる中で、私は一重をからかわれてたんだよね。夏恋ちゃんって可愛くない、絶対彼氏できないよってね」


 脳からの司令を受ける前に、視線が夏恋のまぶたに吸われた。まぶたにはくっきりとした層が存在している。いわゆる二重だ。

 ということは、まさか、仮面って言葉は。


「ねぇ、辛いなら無理して話さなくていいよ。簡単に話してほしいとか言ってごめん」


 早めに敷いた防御態勢が、夏恋に見つめられて崩壊する。後悔が法定速度を遥かに超過して駆け抜ける。


「大丈夫だよ。折角ここまで話したんだから、最後まで聞いて。だんだん冗談半分のいじりがエスカレートしてきてさ、中学に進学した頃には、色んな人に顔全体のことを言われるようになった。それで、担任の先生に相談したんだけど、大事なのは容姿じゃない、内面を磨けばからかわれないよって言われた。しまいには、親からもらった顔なんだから大切にしろなんて筋違いの説教されちゃってさ」


「他人の痛みを自分と同一視して、自分の経験と価値観から語っちゃうような人って傷つけるようなこと平気で言うよね」


「一番親に申し訳ないなって思ってるの、どう考えても私なのに。でさ、中学生なんてみんな容姿に自信ないじゃん。だから、自分に標的変わるの怖いから誰も助けてくれないんだよね。なんとなく私が辛いの知ってるはずなのに、みんな黙ってたんだよ」


 だんだん夏恋が饒舌になってきた。乗舌気味と表現したほうが正しいかもしれない。かなり早口だし、声もクレッシェンドしてきた。

 止めたほうがよさそうだ。壊れてからじゃ遅い。


「ねぇ、夏恋、もう充分話してもらった。辛い経験なのに、わざわざ僕に話してくれてどうもありがとう。もう、ここらへんで終わりにしよう」


「投げ出すような真似しないでよ。ここで逃げたら私をいじめてた人たちと同じだから」


 静止の旗を振りに夏恋の世界に入ると、冷酷な視線が向けられた。もう引き返せなくなっていることを悟る。もがけばもがくほど夏恋の暗闇に飲み込まれそうだ。


「ごめん、今の言葉撤回する」


「でさ、誰も助けてくれないし、メイクで誤魔化すのも限界あるから、学校に行ってほしいなら整形させてって親に泣きついた。そしたら、整形なんて認められないっていうお父さんと、私の味方についてくれたお母さんが喧嘩しちゃって」


「整形は人によって捉え方が違うから難しいだろうね。正解わかんないしさ」


「そうだね。いつからか親が私差し置いて意固地になってさ、結局、意見合わないまま離婚しちゃったんだ」


 夏恋の言葉を必死に咀嚼しようとするうちに、次の情報が差し出されて吐くしかなくなる。


「どうして、そんな」


「話し合いを重ねた結果、価値観の違いが浮き彫りになっちゃったんだろうね。倫理的な話から過去の不満にエスカレートしていって、互いに傷つけ合ってたから」


 冷えた温度でゆっくりと言い切った夏恋は、能天気な顔してオレンジジュースを飲み始めた。底抜けに暗く、明るい。


 少しの沈黙の後、夏恋が深く息を吸うのを確認してから、僕は勇気と一緒に口を開いた。口にするのも嫌だけど、おそらく夏恋は聞かれたがっている。


「答えたくなかったら答えなくていいんだけど、結局整形はしたの? 」


「したよ。二重手術と目頭の切開。お母さんについていって整形させてもらった。絶対整形させてあげるからって、嬉しいけどものすごく申し訳なくてさ。どうしたらいいか分からなかった」


「感情が絡み合って問題が複雑になったんだね。どうして互いに想いあって生きてきたはずなのに、期待して傷つけ合う結果になるんだろう」


 ほぼ、夏恋ではなく伊東家に向けた言葉だった。家族だからって、感情が特別にならなければどれほどよかったか。


「全ては誰かに否定されるのが怖くて口を助けを求められなかった私のせい。私が悪いの」


「整形のこと、後悔してる? 」


「いや、そのときの私は醜形障害みたいになって過剰にダイエットしてたし、自分の顔が嫌いだってずっと泣いてたから仕方ないと思ってる。でも、親は私のせいで離婚しちゃったんじゃないかなってよく考える」


 夏恋の言葉に、これまでに経験したことないような感覚が生じた。共感と表現できるほど感性が重なったわけじゃない。自分と同じような人間がいるという同調の安堵でもない。 適切な感覚は共有だろうか。互いの世界が溶け合っているような、そんな混濁。

 夏恋の過去が、まるで自分の過去であるかのようにスッと深くまで入り込んでくる。夏恋と自分の境界線が分からなくなるぐらい溶け合いたくなる。自分も夏恋の過去を持っている。


「そっか。聞かせてくれてどうもありがとう。絶対に口外しないから安心して」


 混濁した空間でまどろんでいると、夏恋は艷やかに色っぽく笑った。


「一応話の続きがあるんだけど、聞く? 」

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