第17話
「――……ッ!?」
「これは、お別れのキス。エルド王子様に伝えておいて。『アイラは、ネールで初めての恋をしました』って」
「……」
無言のシグルは、唇にほんのりと残る熱を指先で確かめている。
「『村で一緒に、汗と泥まみれになって働いて、収穫の喜びを分かち合ったシグルっていう、東方訛りの変な武人の事が好きになっちゃった』……って」
「……エルドには、とても顔向けできないな」
青白い月明かりと、焚き火の赤が混じり合って分からないが、シグルもアイラも耳先まで真っ赤なのだろう。
全てはきっと、酒精のせいだ。
「だからごめんね、エルド。私はエルドと一緒になることは出来ない。私はずっとシグルの影を追うって決めたから――」
アイラはゆっくり立ち上がり、お尻についた土を払う。
「結婚式には顔を出すから呼んでね? 『式は農閑期に挙げろ』って、念押し! ……それで、本当にお別れ」
戯けるように両手を後ろに組み、渾身の笑顔を作ったアイラの瞳の中では、向日葵色の太陽と青白い星々が海に溺れていた。
反対に、無言でシグルは地面に両膝を突く。そして、何を思ったか、東方風の上衣を開いて、鍛え上げられた腹部を夜風に晒した。
「きゃっ!?」
思わずアイラは目を覆った。
指の隙間から見えるのは、眼前に据えられた見えない短刀を取り上げ、それを勢いよく脇腹に突き立てるシグルの姿。
「――……ッ!!」
「ば、ばかシグル。何やってるのよ?」
「……今、この瞬間。王子でしかないエルドは死んだでござるよ!」
「ふえっ!?」
片膝を突いたエルドは、涙を浮かべるアイラの、震える小さな手を取った。
「拙者、改めて誓いを立てるでござる。アイラ閣下の側を片時も離れず、命の限りお仕えすると」
「ダメ……だよ……。それ以上は、ダメだよぉ――……!」
雫が落ちた。
「だとえホウリックが王国から見放され、敵領として攻め込まれたとしても、君の剣となり盾となり、最期まで戦い抜くと。向かい来るのがたとえ父であっても、母であっても、弟であっても……――決して、決して剣を下ろさぬと!」
「ばかばか! 何言ってるのよエルド! そんなのダメ! あなたが愛した王国民はどうなっちゃうのよ!」
「何とかするでござるよ。例えば……そう! 魔王が復活した、と流言を広めるのはいかがでござろう? したらば、勇者エルドが失踪したとて、不思議ではござらん」
「もう、それじゃあ私もネールに居られなくなっちゃうよ。変なわがまま言わないで。私を困らせないでよぉ……」
「拙者は……いや、僕は本気さ。君と一緒にこれからの人生を歩んでいきたいんだよ、アイラ。それが、それだけが僕の欲した未来なんだ――」
今度は、エルドがアイラの両頬に手を添え、唇を重ねた。これまでの思いを爆発させるような、長い、長いキスを。
小さな音を立て、唇同士が離れる。
「……うん。エルドの気持ち、とってもよく伝わったよ。それじゃあさっそく明日、王都に宣戦布告だね!」
「え、ええぇ! あ、アイラ!? さっきのは喩えであって、その前に色々と打てる手は――」
「ふーん。エルドって、釣った魚に餌はやらないんだー……?」
「いやいやいや! 断じてそういうわけでは無いのでござるよぉ!」
「心配しなくっても、大丈夫だよ! 私とエルド、それに、クッキー達がいれば絶対に勝てるから! フランシス爺と、ホムラ姐さんも絶対絶対、私たちとの友情を選んでくれる……――でしょ?」
近くの手頃な石を拾い上げたアイラは、何もないところへそれを放り投げた。悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「痛っ!」
闇の中で、聞き慣れた女性の声が聞こえた。ダメージにより〈隠微魔法〉が解除され、ホムラとフランシスの姿が明らかになる。
「なっ!? 二人とも、いつからそこにいたんだ!?」
「……『壁に耳あり』のあたりかの?」
「ほとんど最初からじゃないかぁ!」
エルドはがっくりと肩を落とす。
「アイラは初めから気づいていたようだが。……やはりエルド、お前は聖剣がなければただの人だな。道具に頼りすぎるなとあれほど言っただろう? 覚悟するのだな、明日からまた特訓をつけてやる!」
「ぐぅう……。しかし、僕はアイラの愛と新たな武器、スコップのネデュラを得たんだ! ホムラ師にも負けはしない!」
「ほっほ! かように熱い接吻を目の当たりにしたのはいつ以来じゃったか……。儂も若返ったようじゃわい。この村で新たに伴侶を求めるのも良いかも知れぬの」
「ほんとっ!? ネールの人、みんないい人でしょ? フランシス爺が本気なら、領主の私が全力でサポートするよ!」
ふんすと息を吐き、ドワーフ流でアイラは力こぶを作って見せた。
「ならば、私との見合いの権利を争う剣術大会も開いてくれ! 優勝者は私と試合をし、勝てば見合いが出来るというのはどうだ!?」
「面白そうだけど、剣でホムラ姐さんに勝てる人なんて居ないよね? でもでも、ルールを工夫して参加者に希望を持たせれば、村おこしに使える……? ううん。ホムラ姐さんと戦えるってだけでも戦闘狂にはかなりの価値が――……」
「くっく。マネジメントはアイラに一任すとしよう。さあ、今は王都を落とす計略を練るとしようではないか。平和すぎて私は退屈していたんだ。……フランシスならどこから攻める?」
「そうじゃのぉ――……」
ホムラは、アイラとエルドにワインを手渡すと、王都の概略図をまだ草の生えない大地に描いた。アイラとフランシスはそれをのぞき込み、あーでもない、こーでもないと論を戦わせ始めた。
「ま、まさかアイラ、初めからセレニアル王国を手中に収める事が目的だった……とか?」
「そうだよ? ネールで安心して暮らすには、王都の軍事力は邪魔だもんね!」
口端を緩め、即答するアイラ。もちろん、アイラは金や権力、政治や外交などにはまるで興味が無い。
「だ、だから拙者、そうなる前に色々と手を尽くすでござるよぉ……。まずは僕の影武者に毒殺される芝居を打ってもらって……。それから、弟たちを教育すれば――」
「だーめだめ。そんなんじゃ時間が、かかり過ぎちゃうよー。ねえ、エルド? 私の気持ちが冷めちゃってもいいの?」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
村中には無数の人の輪。環指で羽を休める秋蛍が二つ。
それこそが、至高の宝石だ。
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お読みいただき、誠にありがとうございます。
本作品はこれにて完結です。
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それではまた、次作で。本当にありがとうございました!
辺境領地で究める農の道!~魔王を倒した英雄、大地に「魔法」をかける~ kaede7 @9_6_3373
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