第16話

 秋の暗闇はどこへやら。


 数日かけて中央広場に組まれた巨大な薪組が作る赤い尖塔が、小さなネール村の隅々にまで、夕方ほどの明るさと、ささやかな暖を届けている。

 稲刈りも一段落した初秋のある日。王都から招いた神官によって朝早くから、一番に刈って天日に干しておいた稲を、母神フィオーレと地神ダイチに捧げる祭事が執り行われた。


 すっかり日が落ちた今、村の中央広場に設えた竈ではお下がりの米が炊かれ、一帯は甘く芳醇な新米の香りで満たされている。

 ふと、ネール村秘伝の甘辛タレが焼ける芳ばしい香りが飛んできた。腕を上げた村の衆が獲り、熟成させておいた野ウサギやボアの肉を、惜しげも無く振る舞っているのだろう。米の香りと混ざり合えば、腹の虫が黙ってはいない。


 炎を囲むように並べられたテーブルの上には、美味くはないが乾燥地でも育ち、栄養豊富なトマトの原種と、乾燥地でも深く根を張り、地中深くの水を蓄えて大きく育ったスイカが彩りを添えている。さらには王都から取り寄せたご馳走が所狭し並び、収穫祭らしい華やかさを演出していた。

 秋が深まれば、田畑は礼肥を撒いて秋起こしをしなければならない。来年のための堆肥作りや、冬に備えて羊毛紡ぎ、狩猟や保存食作りが本格化すると、農家はまた忙しくなる。自然の行進が遅くなるこの時期は、一時の農休みにちょうど良いのだ。


 夜風にも似た優美な篠笛の音色に、いつしか威勢の良い太鼓と角笛の音が混ざり、やがて豪快な歌声が全てを塗りつぶした。ゲストとして招いたグリム達の仕業に違いない。

 クッキーやマカロンは村にすっかり馴染み、子ども達から遊び相手として大人気だ。今も、酒精のせいで繰り返される大人の話に退屈した少年少女を背中に乗せ、稲刈りを終えた広大な田を駆け回っている。

 ホムラとフランシスの許には、ロウニャから舞い戻り、弟子入りしたネールの若者がひっきりなしに酒を注ぎに来る。妖艶な美貌のホムラはもとより、フランシスもまた、村の異性に大人気なのだ。満更ないという表情を浮かべ、今も上機嫌に酒をあおっている。


 どこで嗅ぎつけたのか、相変わらず見合いの案内はホムラに届くし、フランシスの許には、魔塔の偉い人が何度も尋ねてきた。このところ、その頻度は上がり続けている。


 この上なく楽しい日々だが、別れの時は着実に近づいてきているようだ。

 その時が来れば、きっと涙してしまうだろう。けれど、ビールや日本酒の醸造に成功すれば、みんながまた遊びに来てくれるに違いない。寂しさが、アイラの中に新たなエネルギーを生み出していた。


  ▽


「……ねえ、シグル?」


 天頂からネル山の麓へと爪先ほどの三日月が滑り始めた頃。アイラとシグルは肩を並べ、アイラ式マンボの水を村中に届ける用水路に、足を浸して座っていた。


 視界に入る山ほどの稲わらは、来年は畜産にも活用されるだろう。牧人達は潰して減ってしまった山羊や羊を、どこで買い求めようか議論を重ねているようだ。

 籾殻は堆肥としても使えるし、くん炭を作れば土壌改良材としても活用できる。家畜の堆肥なども使って多様で高品質な作物を作ることが出来るようになれば、近隣の街との交流が生まれ、新しい人の繋がりが生まれるに違いない。


 全ては水から、そして、一粒の種籾から始まる。それは地球であっても、今いるローレルであっても、今も昔も変わらない。

 しかし、人は、環境は変化していく。話したいたいことがあって口火を切ってみたものの、様々な思いが溢れ、アイラは口を噤んでいた。


「――……イラ閣下?」


「あ! ごめんごめん」

「大丈夫ござるか? お疲れであれば、家まで送るでござるよ」

「ありがと。私は大丈夫。……未来のこと、考えてたんだ。まだまだ夢が一杯あって、幸せだなー……って。ねえ、二人の時くらいその演技はなくても良いんだよ、エルド?」

「そうはいかんでござるよ。ネールでの閣下と拙者は、主人と従者。それに確か、壁に耳ありなんとやら……でござろう?」

「『障子に目あり』、ね」


 相変わらずな受け答えが愛おしく、アイラはくすりと笑った。


「ニホンのことわざ、たくさん覚えたでござるよ」

「ぜんぶ中途半端だよ。それに私、シグルに教えたことなんてあったかなー……?」


 アイラは悪戯な笑みを浮かべ、泳ぐシグルの瞳を追う。


「え、エルド殿下に習ったのでござるよ!」

「ふーん……」


 実際、シグルはエルドに会うからと、慌てて王都に向かった事が何度もあった。

 帰ってくるといつも「大したことはないでござる」と笑い飛ばしてはいたが、アイラは救世の英雄で次期国王である彼を辺境につなぎとめていることに、後ろめたさを感じていたのだ。


「……私、ね。シグルにお願いしたいことがあるんだ」


 夜に沈んだ森を見つめ、アイラは声の調子を落とした。


「拙者、アイラ閣下の願いとあらば、いかなる事も為す覚悟でござるよ」

「知ってるよ。たった三日でグリム達を連れてきてくれた時もそうだったし、まさかマンボ掘削に協力してくれるだなんて、思ってもみなかった。……本当にありがと。シグルがいなかったら、私はとっくに諦めてて、今頃村には誰もいないと思う」

「目一杯身体を動かすのは、心地よいでござるな。何事もやってみなければ分からないとの、ホムラ師の教えは真でござった。……されど、アイラ閣下であれば拙者の力など無くとも、村の復活を成し遂げたでござろう」

「もー……みんな私の事買い被りすぎだよぉ。私は、一人じゃ何にも出来ないただの人間。今回も出来る範囲のことをやっただけ。勇気を出して新しい世界に踏み出したシグルの方が、ずっとずっと、ずーっと凄いよ」

「アイラ閣下の存在があればこそ、でござる……はっ!」

「ほらね、一人じゃなかったでしょ? 影響し合って強くなれる。……人って、そういうものだと思うんだ。グリム達とマンボに向かうシグルの背中を見て感じたの。たくさん刺激を受けちゃった」


 船を漕ぐように前後に揺らしていた身体を止め、大きく息を吸い込んだアイラは続ける。


「エルドに、伝言を頼みたいんだ」

「……して、どのような」


 長い付き合いだ、言わずとも伝わっているのかも知れない。

 少し寂しげなシグルの琥珀色の瞳は、遙か遠くの薄い月を映していた。


「うん。求婚の事、最後にもう一度、断っておこうと思って。ほら私、エルドの想いから逃げちゃったでしょ?」


 アイラの紡ぐ言葉が生み出す一時の深閑。シグルは思わず息を呑んだ。


「左様、でござるか……。エルド殿下はきっと、悲しむでござろうな」

「こめん。……正直言うと、何度も心は揺れたんだ。エルドの事、全然嫌いじゃないから。ううん、どっちかというと好き、だよ。エルドとの将来だって、想像したことはあったの」

「ンなっ!? し、したらば、なにゆえ拒まれる!?」

「迷ってたの。どういう『好き』なのかわからなくて……。でもね、この村で暮らして確信したんだ。それが勇者パーティーの、仲間としての『好き』だったんだって」

「だったらっ――……!! 君に、領地を与えるべきではなかった……のか?」


 「エルド」は唇を噛み、肩をふるわせた。


「ううん。それは違う。エルドは絶対そんな事しないって知ってるけど、もしそうなったら私、今頃地球に戻る方法を必死になって探してる。……手がかりだって、少しはあるんだ」

「アイラがいなくなったなら、きっと僕は世を捨てる……――でござるな」

「もー、重いって! やっぱり私は政治や社交をするよりも、魔王退治の使命を背負うよりも、こうやって農業をやってる方が向いてるんだなって、実感したんだよ」

「それは、拙者も感じたでござるよ。ここでのアイラ殿はとても――」

「とても……何?」


 シグルは力一杯胸を叩き、喉元まで来た言葉を飲み下した。


「止めておくでござる。エルド殿下は拙者の上司。これ以上の発言は不敬。護衛任務の妨げになってしまうでござるよ」


 ふうと息を吐き、シグルは木の腕の中で波立つ蒸留酒を一気に傾けた。


「そっか。シグルも私の事、好きになっちゃんたんだ」


 自然とアイラの口端は上がる。


「がはっ! ……がはっ!! なな、何を仰る! エルド様を差し置いて、決してそのような事は――」

「……私はね。好きになっちゃったよ。シグルのこと」


 目を丸くし、ゆっくりと振り向くシグル。アイラはそっと唇を落とした。

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