第5話
勢いよく木の蓋を開けると、鉄鍋から一気に蒸気が立ち、森のキャンプは芳醇な香りで満たされた。
アイラの料理七つ道具のうちの一つ、出汁袋――乾燥した昆布と鰹に似た魚の節を粉砕したものを詰めた――を煮出した海に、採ったばかりのファタケシメジ、ニャラタケ、ウェノキタケにニュメリスギタケが泳ぐ。
傍らの深型スキレットでは、からからと音が立ち、フキノトウ、タラの芽、コシアブラ、ウドの天ぷらが次々と油の水面に浮かび上がってきている。
ずずずと汁を啜り、何度も咀嚼してキノコの旨みをしっかり堪能したシグルが、ゆっくりと口を開いた。
「うまい! やはり拙者、宮殿の料理などより、アイラ……閣下の作る素朴な料理が好きで……――」
春とはいえ、北部の夜の森はまだまだ冷える。白い吐息が、宵闇の黒で塗りつぶされていく。
「へぇー……。シグル君は、一体どこで私の料理を食べたのかな?」
温かく、美味い料理があれば酒は進む。先に揚がったフキノトウの天ぷらをあてに、森の大地には、蒸留酒の瓶が既に三本も転がっている。
酔いが進んだとろりとした色っぽい目で、アイラはシグルの瞳を見つめていた。
「え、エルド殿下に聞かされたのでござるよ!」
言葉と所作の波状攻撃に、シグルの心臓はトクンと跳ねる。
「ふぅん?」
アイラは、赤面したシグルにさらに顔を近づけていく。
「と、時にアイラ閣下! 先の戦闘でのアレは一体、どういう理屈だったのでござるか?」
顔を逸らせたシグルは、堪らず話題を切り替えた。
「アレ……? ああ、シグルの目と鼻を潰した攻撃のこと?」
「左様でござる! 毒袋がどこにも見当たらず、魔力も感じずで、まこと不思議な一射でござった! 拙者には加……いや、東方で習得した秘術で通常の毒は通じん故、油断しておったのもあるが」
「うん。シグルには毒は効かないって知ってたからね。これを使ってみたんだよ」
(エルドの持ってる加護は、弱い毒くらいは無効化しちゃうもんねー……)
いやらしく口端をつり上げたアイラは、先端に無数の黄色いつぼみが膨らむ植物を一束、エルドに手渡した。
「これは、雑草……でござるか?」
「切ってあるところの匂い、嗅いでみなよ」
「匂い……とな? うぉっ!! 拙者の眼を潰したのは、確かにこの臭いでござった!」
言われるがまま切断面に鼻先をつけるとすぐにエルドは、悲鳴と共に草の束を放り投げ、その手で鼻をつまむ。今度は手に付いた匂いが目に沁みる。最悪のループである。
「へへっ。驚いたでしょ? 私の生まれた村の近くの森にはね。春になるとその花が沢山咲くんだ。……カラシナって呼んでて食べられるんだけど、この世界のはずっと強烈。茎を切ると、傷口から強烈なガスが出てくるの。ギザ刃で切れば、もっと沢山ね」
先の戦闘で放った鏃を、自慢げにアイラは炎の光で照らして見せた。
「……信じられぬ。よもや、植物一つに拙者の加護が破られるとは」
「毒性が無いのがポイントね。でもでも、植物の力って、とっても凄いんだよ! 改良した品種だけど、着蕾期のアブラナの茎を粉砕して、私の故郷では畑の土の消毒にも使ってたんだ」
「土の……消毒でござるか?」
「そうそう、そうなんだよ! 聞いてよシグルっ! 畑で同じ科の作物ばかり育ててると生育が上手くいかなくなる連作障害っていうのが起こるんだけどその原因は主に肥料成分の集中とか線虫の密度が上がることなんだけどね――……」
息継ぎもせず、アイラは捲し立てていく。
「ばか勇者……。植物の話は悪手でしょ? お嬢のスイッチが入っちゃったじゃないか」
「あ……。拙者はただ――……」
クッキーが、シグルをジト目で睨み付けた。
シグルが人の言葉を話す巨大な犬型の生物に弁明しているこの間も、アイラは何やらペラペラと話し続けているのだ。
「はいはい。じゃあ、ボクは先に寝るからね。勇者の責任だよ。最後までちゃんと相手してあげてね。途中で寝たりしたら、一ヶ月は尾を引くんだから。……じゃ、お休み」
前後にぐいぐいっと身体を伸ばしたクッキーは、少し離れた岩陰を目指して移動を始めた。
「ちょ! 待たれよ、拙者を一人にしないでござるよ、クッキー殿ぉお!!」
『隠微』の魔法でも使ったのだろう。尻尾を何度か振ったクッキーの淡い緑色の姿は、闇の中にふっと溶けて消えた。
「カラシナが属するアブラナ科の茎にはグルコシネレートって言う辛み成分があるんだけどそれを土壌中で加水分解するとイソチオシアネートが放出されてこれは悪い線虫や病原菌も皆殺しにするんだよその秘密は土壌消毒に利用されていた農薬と同じ成分が……――」
真夏の太陽のようにギラギラと、アイラのひまわり色の瞳が輝きを放っていた。アイラがこうなると止まらないことは、勇者パーティーでは知られていたことだ。
「か、かくなる上は――ッ!!」
覚悟を決めたシグルは眠気覚ましの丸薬を飲み込み、血走るほどに目を見開くのだった。
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