第4話

 天を衝く烈火の塔が、宵闇を縦に切り裂いている。


 アイラの心を移したように燃えさかる炎の中で、薪が音を連ねて爆ぜていた。冷静なアイラは普段、このような無意味な焚き方はしないのだが、怒りにまかせて薪組みしたのだから仕様がない。

 元の野営に戻ってアイラは天幕を張り直し、男は慣れた手つきで石の竈を組み立て直した。短くはない作業の間、男は何度も話しかけるが、アイラは一言も発さなかった。


 丸まって座るクッキーに身体を預けたアイラは、昼間に釣り上げ、殺菌効果のある笹の葉に包んでおいたヤマメを串に刺し、火にかざす。


 無言の半刻。焼き上がったヤマメを男の鼻先に突きつけるとアイラは、ようやく重い口を開いた。


「……はい。とりあえず食べなよ。ヤマメ、好きだよね?」

「かたじけない」


 小さく頭を下げ、串を受け取った男の言葉に、アイラの眉がピクリと動く。


「ふざけないでよ、エルド! 私の事、本気で殺そうとしてたよね? ……特に二射目! あれ、結構危なかったと思うんだけど!?」

「すまない。僕は君と一度本気で戦ってみた――……こ、こほん! 拙者はエルド……殿下では御座らん! 見るがよい、彼の御仁とは髪色も、瞳の色もまるで違うでござろう! ほら、ほら!」


 そう言って男は、銀髪を揺らめく炎に照らして見せた。瞳の色も薄いブラウンで、金髪碧眼のエルドとは、確かに似ても似つかない。


「確かにそう……。でもね、それ以外はほぼ同じじゃない? 雑すぎだよ」

「こ、この魚はまっこと美味! 懐かしい味がするでござるな」


 両手で串を持ち、背中からパクパクと、男はヤマメを頬張っていく。


「はぁ……呆れた。フランシス爺の魔法で容姿を変えて、限界距離まで『転送』の魔法で飛ばしてもらったってところ?」

「はて、魔法……? 拙者、魔法の事はさっぱりで――……む、むぐぅ!」


 ヤマメの中骨が刺さったのだろう。胸骨のあたりをトントンと叩きながら、男は呻き声を上げた。


「それに、その話し方。東方列島のホムラ姐さんの国に行ったときの『武士』の真似だよね? 私には馴染みがあるけど、この国の人は普通、そんなの知らないんだよ。ホムラ姐さんは訛り、隠してるし」

「あ……えと」


 男は押し黙り、清流の水で割った蒸留酒を傾けた。


「もういいや、これ以上は聞かない。……エルドじゃないとしたら、あなたは一体何者? 夜の森で私とやり合えるなんて、ただ者じゃない事はわかるけど?」


 空になった男の木の椀に蒸留酒を注ぎ、上目でアイラはその瞳を覗いた。


「よくぞ聞いて下さった! 拙者、エル――……ではなく、シグル申す者! エルド殿下の命により、アイラ閣下の護衛に参った」

「……シグル、ね。一体どこから湧いてきたんだか」


 鼻をすんと鳴らし、アイラは小さく肩をすくめた。


「拙者、王命によって東方へ武芸の修行に赴いており、五年間、王国を不在にしておったでござる。戻ってみればなんと、その間に魔王が討たれたと! 戦いしか能の無い拙者、職にあぶれて途方に暮れておったところ、旧友のエルド殿下に拾われここに……というわけでござる」

「ふぅん……よく出来た設定だね。それにしても、護衛? 護衛が警護対象者を殺そうとするの? このまま王都に戻って、雇い主のエルドに突き出してあげよっか?」


 蒸留酒が良い具合に廻ってきたのだろう。とろんとした目をしたアイラが、シグルと名乗った男が纏う衣の、奥襟を掴んで引き上げた。


「い! いや、それは……! 拙者、修行を重ねたいち武人として、『風謡い』と名高いアイラ殿と、森林で一戦交えてみたかったわけであってからである故ご容赦を賜れれば幸甚にござると申すか――……」


 ごちゃごちゃ何かを言いながら、降参とばかりに両手を小さく挙げてシグルは、ひっきりなしに首を左右に振っていた。


「ま、私も楽しかったから良いんだけどね。今度は昼間の平場で、訓練に付き合ってもらう――」

「それはもう、喜んでっ!」


 喰い気味に、瞳を輝かせたシグルは言葉を被せる。


「……お手柔らかにね。ところでシグル、さっきの戦いで分かったでしょ? クッキーもいるし、私には護衛なんていらな――」

「それはなりませぬ! 如何に特例とはいえ、侯爵閣下が領地に戻るというのに護衛一人おらぬとなれば、王国の評判を地に落とすことに繋がりかねませぬ!」


 興奮した様子でシグルは、再び言葉を被せた。


「やっぱりね……。そういうところがイヤだって言ったんだよ。戻ったら、そうエルドに伝えておいてよ」

「う……ぐぅ……」


 倒木の椅子に腰掛けたまま、シグルは小さく地団駄を踏んだ。


「話は分かったよ。私だって、王様にも、エルドの顔にも泥を塗りたくなんてないんだ。あーあ、一人旅、楽しんでたんだけどなぁ……」

「!? そんな! 僕がどれだけ寂し――」

「あーあー!! 観念したよ、シグル。短い間だけど私の護衛、お願いね」


 大声で言葉を被せたアイラは、蒸留酒が入った木の椀を掲げてぶっきらぼうに頭を下げた。


「せ、拙者はいち従者にすぎませぬ! どうか頭をお上げください、アイラ閣下」

「はいはい。ところで、王国は大丈夫なの? だってエルド、勇者として、外交とか復興の指揮とか色々やることあるって言ってたじゃない?」

「ああ、それは心配ないよ――……お、おほん! その件に関しても、ご心配には及びませぬ。ドッペルゲンガーが、しっかり代役を務めてくれております故」

「ドッペルゲンガー!? そんなの神器の無駄遣いじゃない! フォルテシア様に怒られちゃうんじゃ……」

「問題ござらん。五回の使用回数のうち、一度使ったにすぎませぬ故」


 シグルは満月を望み、高らかに笑う。


「……今の、エルドが王都から出て行ったことを認める発言だってわかってる? 希望の象徴が影武者だって知れたら、一大事だよ……」

「んなっ! アイラ閣下、拙者に鎌をかけたでござるか!?」


 目を見開き、シグルは声を荒らげる。動揺しているのだろう、シグルが手に持つ木の椀の中で蒸留酒が波立ち、少しだけ外に飛び出した。


「まさかあんなのに引っ掛かるなんて思ってなかったんだよ。……エルドってそういうとこ、抜けてるよねー……」

「だから拙者は、エルド殿下ではなく――……!」

「わかってるよ。旧友だっけ? エルドとシグルってよく似てるなーって、思っただけ。それじゃあ改めてよろしく、シグル」

「よろしくでござるよ、アイラ閣下」


 二人は木の椀をこんと合わせると、天頂のまるい月が見えるほどに身体を反らせ、なみなみの蒸留酒を一気に飲み干した。


「よーし! 今日は初めましてって事で、主人たる私が、おいしい料理を振る舞ってあげよう! 春のキノコ鍋と、山菜の天ぷらでいい?」


 少しふらつきながら立ち上がったアイラは、腕をくるくると回した。

「おお! どちらも酒の肴に最高でござるな!」

「でしょ? 今すぐ準備するから、シグルは蒸留酒でも呑んで待っててよ。クッキーのポーチの中に、お代わりまだまだあるからね!」


 一人でいることも好きだが、気の置けない仲間と過ごした賑やかな夜もまた、アイラは大好きだった。


 心のどこかで、環境が変わる事への不安と寂しさを感じていのだろう。夜の森でキノコを探すアイラは、無意識に故郷の歌を口遊んでいた。

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