第6話

「自分で話を振っておいて居眠り始めちゃうなんて、ひどすぎるよね!」


 ――案の定、である。


 アイラがシグルの襲撃を受けたあの夜から既に二度朝日が昇ったというのに、相も変わらずこの調子だ。シグルがどれだけ謝ろうとも、何度話を逸らしてみても、一息つけば結局この話に着地する。


 小さく頬を膨らませて憤るアイラの姿もまたシグルにとっては眼福で、ついつい口元を緩めてしまうのではあるが。


「何が面白いのよー!」

「……はっ! 本当にすまなかったでござる。あの夜は拙者、魔力をかなり消費しておった故……。そろそろご容赦いただけると幸いでござるよ」


 片目を閉じ、苦笑いを浮かべて頬を掻くシグルは満更ではないが、アイラのぼやきが始まる度に、クッキーに尻尾で叩かれているのは勘弁してほしいと思っていた。毛は柔らかいが、当の尻尾は巨大であるが故、骨もそこそこ太くて割と痛いのだ。


「いいですよーだ! 私が酔って話し始めると、誰が最後まで話を聞くかこっそりじゃんけんで決めてたことくらい知ってるんだからっ!」

「ははは……。バレてたのか」


 『念話』の魔法で話していたはずなのに……と消え入るような声で呟き、シグルは肩をすくめた。

 語り手が想い人とはいえ、説明する気も無く、ただ専門用語を並び立てられるのは辛い。とはいえ質問など、火に油を注ぐようなもの。黙っているのが最善だ。


「よーし! 領地へのお土産の処理、完了っと」


 ぼやきながらも、怒りをぶつけるように手を動かし続けていたアイラのグローブとエプロンは、血にまみれていた。


 巨木の太い枝には、血抜きのために喉元を切り裂かれ、鮮度を保つために完全に内臓を取り除かれた巨大なマウンテン・ベアが逆さ吊りになっている。

 脳幹を貫く穴がぽっかり空いていることから分かるように、獲物を仕留めたのはアイラだ。吊り下げるロープは蔦を使ってシグルが編み上げ、推定五百キロのマウンテン・ベアを引き上げたのは、それよりずっと大きいクッキーの力。息の合った三人の鮮やかな連携で、獲物の処理は極めてスムーズに済んだ。


 アイラは今回初めて領主としてネール村に顔を出すのだから、手ぶらというわけにはいかない。

 勇者パーティーの一員として一冬をそこで過ごしたが、もう四年も前の事だし、何事もはじめが肝心というのは、このローレルという名の世界でも、地球でも同じ事だ。


 アイラは色々思考を巡らせ、シグルとも相談を重ねた結果、冬眠中の熊を狙う穴熊猟を行い、それを手土産に、という事で落ち着いた。

 食肉としては勿論、冬眠中の熊は一番貴重な部位であり万能薬となる胆囊も大きく、保温性の高い冬毛の毛皮もまた、寒い地域では非常に重宝される。


 ……しかし、そんなアイラの目論見は外れた。


「まだ冬眠してると思ったんだけどなぁ……。それに、日陰にも雪が残ってないなんて驚いちゃったよ。今年の冬って、そんなに暖かくなかったはずだよね……?」

「ああ。王都の薪や石炭の消費量は平年通りと聞いているよ……でござるよ!」


 痕跡を辿り、熊のねぐらはいくつも見かけたが、どれももぬけの殻。四年前の同じ時期に狩りに出たときとは違い、熊たちは、とうに冬眠から覚めていたのだ。

 結局、シグル、クッキーと協力しての巻狩り――チームで獲物を追い込む猟――を行うことになり、今に至る。


 獲ったばかりの動物は体温が高く、傷口に付着した砂や泥から侵入した細菌が体温で一気に増殖し、腐敗が進んで味が落ちる。仕留めた後はすぐに綺麗な水で洗い、川や雪で冷やすのがアイラの流派であるが、ここでもあてが外れてしまった。残雪については予想出来たが、問題は川。以前は無数にあった谷の沢すら、すっかり姿を消していたのだ。

 アイラとクッキーほどのコンビネーションであれば、獲物を川へと追い込む事も容易だけれど、さすがに川を作り出すことは出来ない。


『血抜きと内臓摘出だけぱぱっと済まして、急いで村まで行っちゃおう!』


 困った挙げ句、アイラはそう判断した。村には農業用の用水路が流れていることをアイラは思い出したのだ。


 アイラは『風詠み』の二つ名を持つレンジャーで、紛れもなく弓の腕は超一流。それだけではなく、祖父がマタギだったこともあって、幼い頃から森や山に連れられ、狩猟や採集の知識も豊富だ。

 勇者パーティーの旅で、それは非情に重宝した。王太子である勇者エルドは勿論、剣姫ホムラも、賢者フランシスもみな名家の出で、食事の常識が庶民とは決定的にズレていたのだ。


「どこの野営でフルコースが出てくるのよ……」


 そんな一幕を思い出してぼやきながら、アイラは水筒の水で、手袋とエプロンについた血を洗い流す。血と内臓が抜かれ、少し軽くなった手土産は、クッキーが咥え、器用に自らの大きな背中に乗せた。


 内陸では、獣の血もまた、貴重な塩分として重宝される。内臓もそれぞれ美味だし、何より熊の胆囊は万病に効く薬だ。血は空いた蒸留酒の瓶に、小分け用の革袋は熊の内臓で満たされた。

 少々グロテスクだが、アイラとシグルは、躊躇う事無くそれらをクッキーの首から下がる、雪の精霊にもらったポーチ――永続の氷結魔法が施してある――に放り込んでいく。


 少しのそつも出さない完璧な仕事に恍惚な表情を浮かべたアイラは、クッキーの背に飛び乗った。

 アイラの目的地、ホウリックの小さな農村ネールは、小高い山を下りればすぐそこだ。マウンテン・ベアの鮮度を落とさないように、クッキーを少し急がせる。


「これで、領主としての格好はつくかな?」

「十分でござろう。領民に立場と力を示すことは、大切でござるよ」


 農耕と狩猟を中心とするこの世界の農村は、とてもわかりやすい。狩猟であれば、一番大きい獲物を仕留めた者が崇められ、農耕であれば、一番多く収量をあげた者が敬われる。

 此度アイラが獲ったマウンテン・ベアは三メートル級の超大物。文句を言うものなどこの世に一人もいないはずだ。


「前は、もっと大きいのがいたんだけどなぁ……」


 それでも満足できない、負けず嫌いのアイラであった。

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