第13話

 奏が自分を好きじゃないと分かり、優太朗はとてもショックだった。元々罰ゲームと分かった上で付き合っていたのだから、その時とやることは変わらない。そう思ってここ数日過ごしてきたが、やはり同じようにはいかない。奏と一緒にいる時もいない時も、常に胸がズキズキと痛んだ。


 奏が自分のことを嫌っているかもしれないと思うと胸が張り裂けそうで耐えられなかった。いつ別れ話を切り出されるかと恐れていた。


 奏は本当に自分を嫌っているのだろうか。彼女がこんな酷いことをするだろうか。罰ゲームで告白することはあり得ても、そこから付き合うなんて面倒くさいことをわざわざするだろうか。そんなこと現実的じゃないと何度も考える。


 しかしその度に、ギャルが陰キャを好きになるほうが現実的じゃないという考えに塗り潰される。


 はあ~。


 教室の喧騒のなかで一人静かに座っていた優太朗は、今日何度目か分からないため息を吐いた。


「元気ないな。大丈夫か?」


 豊島が心配そうに声をかけてきた。漫画やアニメの話題以外で声をかけてくることは珍しい。教室の塵と変わらないような人間の気分の変化に目敏く気付くなんて、よく気のつく男だと思った。


「どしたん? 話聞こか?」


 純度100%の性欲でしか発せられない言葉を、ほぼ赤の他人の男に使えるなんて、本当にいいヤツだ。


 僕とは出来が違う。豊島になら相談してみてもいいかもしれない。恋愛経験豊富だろうし。少なくとも僕よりは。と優太朗は考えた。


「あ、あのさ、相談したいことが……」


「へぇー」


 豊島の声に違和感があり、顔を上げると、彼がにやついていた。


「馬鹿にするならしないけど?」


「いや、違うんだ……」


 優太朗が失望した目で見ると、豊島は照れたように視線を逸らし、軽く握った手で口元を隠しながら言った。


「中森全っ然心開かないじゃん。そんな奴が相談してくれるなんて、嬉しくてさ……」


 ストレートに褒められると照れてしまう。


「で、わざわざ俺に相談するようなことってどんなこと?」


 気を取り直した豊島が好奇心を隠そうともしない目で聞いてくる。優太朗はちょっと感動したことを後悔した。返してほしい。


 とはいえ他に頼れる人間はいない。文句を堪えて事情を話した。


「つまり罰ゲームだと思ったら、実は罰ゲームじゃなくて、でもやっぱり罰ゲームだったってことか」


 雑に、しかし完璧にまとめられた。


「よし、俺が確認してやるよ」


「えっ、いや……」


「大丈夫だって、直接聞いたりしないから。さりげなく探るだけだ」


 そう言って豊島は教室の出入口へ向かった。


「任せとけって」


 振り返らずにサムズアップをキメて教室を出ていった。


 その背中はまるで、「必ず生きて帰ってくる。帰ったら結婚しよう」と言って戦地へ赴く兵士のようだった。


 ◇


「秋津さん、ちょっといい?」


 奏が友達二人と談笑しながら帰る準備をしていると男子が声をかけてきた。


「いいけど……え~と、豊島だっけ?」


 たしかゆうゆうと同じクラスの男子だったと奏は思う。話しているところを見たことがあった。うろ覚えで自信はなかったので確認すると、彼は畳み掛けるように自己紹介しだした。


「ああ、そうそう。1年4組豊島翔、バスケ部所属、身長は173センチ、体重は――」


「ちょっ、ストップ、ストップ! そこまで聞いてないから」


「ああ、すまんすまん」


 豊島は悪びれた様子もなく笑顔で形だけ謝った。


「かまってちゃんかよ」


 奏の友達がツッコんだ。


「で、なんの用事?」


「ああ、えっと、ここじゃちょっと……」


 豊島は目を逸らした。


 この感じは告白か!? どうしよう。


 奏は少し赤面した。


「まあ、別にいいけど……」


 そう言って奏は立ち上がった。まだ告白されると決まったわけじゃないのに断るわけにはいかないし、告白するには大変な勇気がいる。その勇気を無下にはしたくなかった。


「じゃね」


「ん、また明日」


「バイバイ」


 友達二人と別れて豊島の後についていく。


『ごめん、遅れることになった! 先帰ってて!』


 途中で優太朗に遅れることを連絡した。


 着いた場所は人気がない校舎裏だった。絶対に告白だと思った。


「秋津さんって中森と付き合ってんの?」


「え!?」


 予想外の質問に奏はびっくりする。「誰かと付き合ってんの?」だったら分かる。でも豊島は優太朗を名指しだった。


「なんで知ってんの!? ゆ……中森から聞いたの!?」


「いや、見かけただけだけど」


「あ、そゆこと」


 かまをかけられた。いや墓穴か。どうしよう。内緒にしてくれるだろうか。とりあえず頼んでみるしかない。


 そう思った奏は手を合わせ、少し上目遣いになって言った。


「皆には言わないでくれる? 一応秘密ってことになってるから」


「なんで秘密にしてんの? 罰ゲーム?」


「へ?」


 豊島は奏のお願いには返事をせず、質問をぶつけてきた。


「失礼なこと聞いて悪いんだけど、友達との勝負に負けた罰ゲームで付き合ってんの? それとも中森をからかって遊んでる?」


「は? 何それ」


 なんでろくに話したこともない奴にそんなことを言われないといけないのか。まるでアタシがゆうゆうをいじめているみたいなことを。失礼にもほどがある。


 奏は頭に血が集まってくるのを感じた。


「アタシがいじめてるってこと? そんなことするわけないじゃん」


「普通に考えたらそうなんだけど、友達のことになると心配でさ。中森と秋津さん、全然性格違うし接点もないから、なんで付き合ってんのかなって」


 うっかり口を滑らしただけならまだ我慢できる。でも謝りもせず、取り繕うような笑みを浮かべて言い訳をされると余計に怒りが沸いてくる。


「ホントにゆうゆうと仲良いの? 友達なら良いところ分かるでしょ」


「中森の良さって分かりにくいから。接点なかったら知ることできないと思って」


 自分より優太朗のことを知ってる感を出してくるところもむかつく。


「とにかくそんなことしてないから。ゆうゆうの友達だから今回は見逃すけど、次はないから」


 豊島のほうをぎろりと睨んで、踵を返した。


「ごめん」


 背後で豊島の謝る声が聞こえたが、無視して去った。


 奏は荷物を取りに自分の教室に戻る途中、優太朗のクラスの前を通った。ちらと中を覗くと優太朗がいた。


 なんでいるの? アタシ先に帰っていいって言ったのに。暇をつぶす必要なんてないのに。豊島を待ってるの? 罰ゲームかどうか確認するように豊島に頼んだの? アタシのこと疑ってたの?


 奏は無意識にクラスに足を入れていた。よせばいいのに、確かめずにはいられなかった。


 ◇


 大丈夫だろうか。うまくやってくれるだろうか。優太朗は不安を抱え、そわそわと豊島を待っていた。


 すると教室に入ってくる足音がして、優太朗が振り向くと奏がいた。優太朗は思わず立ち上がった。


 奏は眉間に皺を寄せ、深刻そうな顔つきで言った。


「罰ゲームって何?」


 優太朗は豊島が失敗したことを瞬時に悟った。


「あ、いや、それは、違っ……」


「やっぱ知ってたんだ」


「あっ」


 自分のやらかしに気付いてスッと血の気が引いた。


 心当たりがないなら「なんのこと?」となるはずだ。しかし優太朗は慌てて言い訳しようとした。完全に黒だ。


「今までの、全部嘘だったんだね」


 奏は一筋の涙を流した。


「ごめん」


 そう言った奏は涙を拭いながら逃げるように教室を出ていった。


「待って!」


 優太朗はすぐに追いかけた。教室を出た時にはすでに奏は遠くにいた。優太朗は必死に走った。


「待って! 奏さん! 待って! 待っ……!」


 ゼーハー、ゼーハー、ゼーハー。


 全然追いつけなかった。優太朗は校舎の出入口のところで力尽きた。膝に手を置いて、肩で大きく息をした。奏は校門を出ていって見えなくなった。


 最低だ。


 優太朗はしゃがみ、腕の中に顔を埋めた。


 奏は優太朗を好きでいてくれた。なのに優太朗はそれを信じられなかった。彼女からしたら嘘をつかれ騙されたことになる。


 初めて一緒に帰った時、初めてデートした時、初めて彼女の部屋に入った時。優太朗が色々と思ったように彼女も思ったはずだ。ドギマギしたり温かくなったり、逆に苦しくなったり落ち込んだり。そういう、奏が優太朗と同じように抱いたであろう感情をすべて嘘にしてしまった。


 小学生の時に優太朗をからかってきた女子と同じことを奏にしてしまった。


「すまん」


 いつの間にか戻ってきた豊島が呟いた。


「大丈夫、豊島のせいじゃないよ」


 優太朗は意味もなく膝を払いながら立ち上がった。


 罰ゲームだと思っていたのは事実だ。豊島は優太朗の気持ちを仲介したにすぎない。どのみちこうなっていただろう。


 今さら謝っても、もう許してもらえないかもしれない。それでもまだ、やれることがある。


 優太朗は奏に近くの公園に来てくれるようにメッセージを送った。


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