第12話
いつもと同じ場所で待っている優太朗の心は、頭上の空のようにどんよりと曇っていた。今までは土日のどちらかにデートをしていたが、昨日一昨日は何もなかった。嫌われたのだろうかと不安になる。
いや、そんなことはないはず。普通のカップルだって毎週の休日にデートするわけじゃない。それに優太朗たちは毎日一緒に帰っている。こうして不安になるのはきっと恋人がいる人みんなが通る道だろう。
杞憂、杞憂、と自分に言い聞かせて空元気を出していると、奏がやってきた。
「おつー……」
明らかに落ち込んでいた。やっぱり嫌われてるじゃん! と優太朗はショックを受けた。
「僕何かした?」
「? 何もしてないけど?」
「ならいいけど……」
よくない。女子のなんでもないは何かある。何をしでかしてしまったのだろうか。会話はつまらないし、照れてキョドるし、むっつりスケベだし。心当たりがありすぎる。
最近は蛙化現象という言葉が流行っているらしい。元々は好きな人が自分のことを好きになったとたんに恋愛感情が冷めるという意味だったが、今は好きな人のささいな言動に幻滅して好きじゃなくなるという意味らしい。どちらの意味でも、今の僕なら大いに可能性がある、と思った。
僕はどうすればいいのだろう。せっかく両想いになったのに、一月も経たずに別れることになるのだろうか。
優太朗の心情を察したのか奏が事情を説明してくれた。
「今日数学のテスト範囲が発表されてさー、まじムリ……」
落ち込んでいるように見えたのは、テストが近づいたためだった。
よかった。よくない。
奏は告白してきた時、賢いところが好きだと言っていた。しかし優太朗はバカだ。テストの点数で嘘を吐いていたことがばれてしまう。そうしたら幻滅されて嫌われるだろう。
「そうだっ、一緒に勉強しようよ! 分からないとこ教えてよ」
「無理」
「え?」
しまった。つい反射的に拒絶してしまった。
「あ、いや、最初は一人でやって、後で分からないところを持ち寄る方がいいかなって……」
あたふたと苦しい言い訳をする。すればするほど情けない気持ちになっていく。
「たしかに、最初っから頼るのはよくないよね。分かった、じゃあ最初の一週間は頑張るから後で教えてよ」
なんていい人なんだろう。見苦しい言い訳すらも前向きに受け入れてくれるなんて。
もう奏の提案を断ることができなくなった優太朗は、
「う、うん……」
と頷くしかなかった。
それからの一週間、優太朗は目を血走らせながら徹夜でテスト勉強をした。
◇◇◇◇
「resident、住民、住居者。currency、通貨、流通」
最後の悪あがきとばかりに、必死に英語の単語帳をめくっていると、パシャパシャと聞き慣れた足音が近づいてきたので、優太朗は傘とともに顔を上げた。
「お待た~って目ぇ赤っ!!?」
やってきた奏は優太朗の顔を見るなり驚きの声を上げた。優太朗はこの一週間、多くても4時間しか寝ていない。おかげで目がバキバキに充血していた。
「大丈夫!? そんな頑張ったの!? 今日やめとく?」
奏は眉を八の字にして心配そうに優太朗の顔を覗く。
「いや、これは昨日漫画を読んでて夜更かししただけで……」
必死に勉強したと思われたくなくて、とっさに言い訳する。
「ふーん?」
奏に半目で睨まれる。それで優太朗は自分のやらかしに気付いた。まずは一人一人で勉強しようと言ったくせに、さぼって遊んでいたなんて印象が悪い。
「あ、いや勉強もちゃんとしてたよ!? ちょっと休憩で読み始めたら止まらなくなるあれで……」
優太朗は取り繕おうとして言い訳の言い訳をする。
「じゃあ自業自得だから気ぃ遣わなくていいね。いっぱい教えてもらうよっ」
そう言って笑った奏は先に歩きだした。機嫌が戻ったことに優太朗はホッと胸を撫で下ろし、彼女のあとを追った。二人は奏の提案でスタバで勉強会を開くことになった。
ドリンク片手に席に座る。奏の前にあるのは呪文のように長い注文をして出てきた、トッピングもりもりのパフェといったほうがいいような代物だ。
対して優太朗の前にあるのはコーヒーの上にホイップが乗っただけのシンプルなものだ。優太朗が何をどう注文すればいいか戸惑っていると奏がオーソドックスなのを注文してくれた。
「何頼めばいいか分かんないなら、これからはずっとこれ頼むといいよ」
そう言ってちょっと上から目線で微笑む奏の瞳には妖しい光が輝いていて、優太朗は背筋がゾクゾクした。
「さあっ、勉強しよっか」
奏も変な気分になっていたのか、空気を入れ換えるように手を叩いた。優太朗は渡りに船とばかりに、そうしよう、そうしよう、と頷いた。
テーブルに勉強道具を並べると、おもむろに奏がメガネをかけた。青縁のメガネだった。顔が小さいため、メガネがとても大きく見えて、かわいらしかった。裸眼2.0みたいな見た目や性格なのにメガネというギャップは、なかなかに胸にくるものがあった。
「目悪いの?」
「ううん、マサイ並み」
8.0だった。
「分かってないね、ゆうゆうは。メガネかけると賢くなるんだよ?」
奏はチッチッチッと指を振って得意気に言った。
「へー」
優太朗はもう、これからの勉強タイムのほうに頭がシフトしていてツッコム気力がなかった。
「じゃあさっそく。まず、ここ教えて!」
奏が数学の問題集を広げて見せてくる。ここで問題を解けなかったら、失望されて嫌われるだろう。猛勉強の成果を見せなければ。優太朗は生唾を飲み込み、問題を凝視した。
「ああ、これは――」
二次関数の問題だった。たまたま公式を覚えていたのでなんとか答えられ、ホッと息を吐く。
「じゃあこれは?」 ……。
「これは?」 ……。
「ゆうゆうってもしかして、アタシと同じ?」
グハァッ。
奏の鋭い視線と言葉が胸に突き刺さり、吐血した。やはり付け焼き刃の勉強じゃ無理があった。一問しか答えられず、早々にバレてしまった。
「……ごめん。実は馬鹿なんです」
ここは素直に謝るしかなかった。後は煮るなり焼くなり奏の気持ち次第だ。
どんな沙汰が下るのかと顔を上げて奏の表情を窺うと、
「じゃあ一緒に勉強できるね」
彼女は屈託のない笑顔で言った。優太朗は予想外の返答に、思わず「へ?」と間の抜けた声が出た。
「お互いに分かるとこ教え合おうよ。ほとんど分からないかもだけど、赤点取らなきゃいいんだから、なんとかなるっしょ」
「う、うん」
優太朗は奏の勢いに押されて頷く。
奏はその前向きさでグイグイ進んでいく。尊敬。恋愛対象の異性としてというより一人の人間として、彼女のことをもっと好きになった。
「めっちゃ賢くなった気がする! 東大行けるかも!」
数学の問題集のテスト範囲の部分を解き終えると、奏は満足気に言った。東大志望の人が絶対に言わないセリフだ。二人で協力しても問題の半分はさっぱり分からないままなんだから、無理に決まっている。
しかし解けた部分に関しては、知能レベルが同じためか、相手の言っていることはとても分かりやすかった。
「この調子でどんどん行こー!」
次は英語の問題集を開いてテスト勉強を再開する。奏の勢いに乗せられて優太朗もやる気が出て、集中して勉強ができた。
ふと奏が手を動かした拍子に消しゴムが落ちた。足元に転がってきたので優太朗は屈んで拾おうとした。
すると、
「あっ!」
奏がものすごい早さで消しゴムを取り上げた。
その瞬間、優太朗の脳裏にかつてのトラウマがフラッシュバックした。
小学生の時。消しゴムを拾った。
「サイアク~!触られたんだけどぉ」
受け取った女子に悲鳴を上げられた。
「かなちゃんのこと好きなんじゃないのーw」
「イヤァ!キモォ!」
友達と一緒に悲鳴を上げられた。
さらにもう一丁。中学生の時。
「あ、もういらないから、あげる」
ゴミを見るような目で言われ、受け取ってすらもらえなかった。
屈めていた上半身を元に戻すと、奏と目が合う。
「あ、なんでもない、なんでもない」
ごまかすように笑う奏を見て優太朗は思った。
やっぱり嫌われてたんだ。
全身がスッと冷たくなった。心に空いた穴からすべての熱が逃げ失せ、ブリキの人形になったようだった。
「危なかったぁ……」
ショックを受けて呆然としていた優太朗は、手に持った消しゴムを見つめながら呟いた奏の声に気付かなかった。
少しカバーを外した消しゴムの表面に優太朗の名前が書かれていることにも。
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