ep8. ティスティーナの家宝

 カナデは、ティスティーナ家の楽器保管庫を眺めていた。

 昨日は家の中を廻ったりソウリと話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎて、結局演奏部屋まではたどり着けなかった。


(ソウリ兄ちゃん、楽しそうだったなぁ)


 カナデがいなかった二年間の話は尽きず、朝まで語り明かす勢いだった。カナデと話ができる今を、本当に嬉しく思ってくれているようだった。


(疑うようなこと考えて悪かったなぁ。俺、男の姿で戻ってきたのに、嫌な顔一つしてなかったし)


 ソウリの婚約者であるカナデは、女であることが前提だった筈だ。男でも女でもオメガなら神に献上されてしまう。女のカナデはベータだったらしいから、ちょうど良かったんだろう。勿論、アルファであれば尚のこと良かったのだろうが。


 欠伸を噛み殺しながら、倉庫内を眺める。

 バイオリンなどの弦楽器、トランペットなどの管楽器、サックスなどの木管楽器に加え、打楽器も種類豊富に揃っている。

 何より驚いたのは、和楽器が多くあることだった。


(この国の世界観って西洋風かと思ってたけど、神事に関わる部分が和風っぽいんだよな。神殿も神社みたいだったし)


『儀式』のために向かった神事の間もその奥の神殿も、間を仕切る鳥居も、ゲームの中では和風建築だった。

 リンクしているのなら、実際の神様の社も同じような造りなのだろう。


(この国しか知らない人間なら違和感もないのかもしれんけど、日本を知っている俺には不思議な感覚だ)


 保管庫の奥に、一際古い木箱を見付けた。

 桐箱の蓋は固く締まっているように見える。


「箱の形からして、笛かな? そこまで長くない。篠笛とか龍笛って感じか」


 蓋に手を掛けると、あっさりと開いた。

 中には白い横笛が収まっていた。


「素材は、竹じゃないな。まるで一本の太い木の枝を刳り抜いて、穴をあけて作ったみたいだ」


 あまりに原始的な製造法に見えるその笛は、数ある保管庫の楽器の中では異端に見えた。


「それは神笛、ティスティーナ家が神より賜った楽師の証だよ」


 突然背後から声がして、ドキリと肩を跳ねさせた。

 振り向くと、ソウリが真後ろでニコニコしている。


「記憶がなくても、カナデはちゃんとその笛を探し当てるんだね。さすが、ティスティーナ家の血を継ぐ者だ」

「勝手に入って、ごめん」


 ソウリがカナデの隣に立つ。

 甘い花の香りが漂った。昨日、帰って来た時も、ソウリから同じ香りがした。


(香水でもつけてるのかな。いい匂いだけど、独特な香りだ)


 何となく、気持ちがふわふわする。


「構わないんだよ。ここはカナデの家だ。何処に入ろうと何を見ようと、悪いことは一つもないよ」


 箱の中から笛を取り出し、カナデに手渡した。


「吹いて聴かせておくれ」


 唇を添え、息を拭き入れる。


(すごく馴染みが良い。音が声みたいに流れる)


 高い音は勿論出せるし、低い音も自在に出せる。短い笛の割に音域が広い。


(初めてじゃない。俺はきっと、この笛を前にも吹いたことがあるんだ)


 一通り、試し演奏を終えると、ソウリが拍手してくれた。


「すごいね、カナデ。前より音域が広がっている。今、吹いた曲は聞いたことがないけど、新しい曲かい?」

「うん、そんなとこ」


 日本の部活で練習していた曲、というのをどう説明していいかわからずに、誤魔化してしまった。


「俺、この笛を吹くの、初めてじゃないよね?」


 カナデの問いかけに、ソウリは頷いた。


「この国からいなくなる直前に、吹いているはずだよ。カナデは神笛を『儀式』に持って行っていたからね」

「そっか、そうだったんだ」


『儀式』から戻った誰かが、ティスティーナ家に持ち帰ってくれたのだろう。


(きっとセスあたりだろうな。ちゃんとお礼しないとな)


「その笛は、当主を選ぶ笛でもあってね。僕では音が出ない。ティスティーナ家の当主たる人物でなければ、鳴らせないんだ」


 ソウリが俯き加減に言った言葉に、カナデは息を飲んだ。


「わかるかい? カナデがオメガとして神様に献上されれば、ティスティーナ家は廃絶になる。だから父上は薬を使ってカナデの性別を変えてでも、守りたかったんだよ。カナデと、この家を」


 何も言えなかった。

 つまりは、どちらにしろ、この家はなくなる定めだとソウリは言いたいのだ。

 カナデはソウリに笛を手渡した。


「吹いてよ、ソウリ兄さん」


 ソウリが首を振る。


「もう何度も試したんだ。その笛は、僕を選ばない」

「だったら、笛を鳴らせる人間を探せばいい。俺が献上されても、それだけでティスティーナ家を諦める理由にはならないだろ」


 自分だって、只々神様に献上される気は無い。あの少年の正体を暴いて、『儀式』の本当の意味を探る気でいる。

 けれど、戻って来られる保証はない。


「鳴らせる人間を探せるくらいなら、もうとっくに探しているよ。僕はそれを期待されて養子になった。けれど、父上の期待には応えられなかったんだ」


 カナデは、ソウリの手から笛を奪った。


「だったら、次の『儀式』にこの笛を持っていく。この笛は二度と、この家には戻らない。当主を選ぶ笛は、なくなるんだ」

「カナデ……」


 カナデはソウリの手を握った。


「ティスティーナ家を繋げるのは、ソウリ兄さんだけだろ。ソウリ兄さんがいると思ったから、俺は王様の前で啖呵切ったんだ。簡単に諦めないでくれよ」


 ソウリの手が、カナデの腕を握って引き寄せた。

 強い力に、ソウリの胸に凭れ込む。

 顎を上げられて、口付けられた。

 甘い香りが、さっきより強く薫った。口付けを通して全身に流れ込んでくる。


「ぁんっ……」


 舌が深く入り込んで、口内を絡めとる。

 力が抜ける体をソウリの腕が抱き寄せた。

 ちゅっと小さな水音を立てて、唇が離れた。


「もっと早くに、こうして奪ってしまえば良かった。カナデが女だろうと男だろうと、孕ませてしまえば。『儀式』になんか、行かせなければ良かった」


 カナデの頭を抱き寄せる。

 カナデは早い呼吸のまま、ソウリの胸に顔を寄せていた。

 自分の鼓動とソウリの鼓動が、耳元で聞こえる。顔が火照って熱い。


「今のカナデには、辛いよな。僕もアルファだから。ごめん、だけど……。記憶がなくても外見が男でも、カナデはカナデだ。愛しているんだ。またカナデを失うのが、怖い」


 ソウリの唇が、もう一度重なる。ソウリから漂う甘い香りに思考を絡めとられる。

 無意識に自分から舌を絡めていた。全身の熱が上がって、どうしようもなく火照る。腕が勝手にソウリの体を引き寄せて、自分の体を押し当てる。


「甘い、いい匂いだ。カナデの香り……」


 虚ろな言葉が聞こえて、ソウリが唇を離した。項に触れられて、ドキリとする。

 思わず、体を離した。

 目の前のソウリが、ぼんやりとカナデを眺めている。

 思いっきり、ソウリの胸を押しやった。


「ソウリ兄さん、兄さん、ダメだ」


 呼吸を整えながら、何とかソウリを拒絶する。

 カナデの姿を眺めていたソウリが、やっと我に返った。


「すまない、カナデ。ここまでするつもりは……。今、抑制剤を取ってくるから」


 後ずさりしたソウリが踵を返して部屋を出ていった。

 残されたカナデは、ズルズルとその場に座り込んだ。


「嘘だろ、俺……。相手がセスじゃなくても、あんな風になっちゃうのかよ」


 運命の番じゃなくても、相手がアルファなら反応してしまうのだろうか。

 オメガの体が、アルファを誘ってしまうのだろうか。

 もう少しで、ソウリを受け入れてしまいそうになった。


(セス以外とキスするのなんか、嫌なのに)


 どうしようもない自己嫌悪に陥って、カナデは膝を抱えて蹲った。


 

 

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