ep9. 馬車の中は個室だよね

 その日の午後、セスティがカナデを迎えに来た。待ち合わせ場所の治癒院がわからないカナデに気を遣ってくれたらしい。

 ソウリは当然のように嫌な顔をしていたが、抑制剤を御守り代わりに持たせて渋々といった顔で送り出してくれた。


 何となくセスティの服の袖を摘まんでいたカナデを、セスティが笑った。


「どうしたんだい? 俺に手を繋がれるのが、嫌? それとも甘えているつもりかい?」


 セスティを見上げる。

 さっき、ソウリとあんなことがあったばかりなので、何となく気まずい。とは絶対に言えない。


「カナデ、何かあった?」


 セスティが表情を改めてカナデに向き合う。

 思わず目を逸らした。


「別に、何もない。けど、聞きたいことなら、ある」

「何だい? 質問なら、なんでも答えるよ。昨日、そう約束しただろう」


 セスティがカナデの指を絡めとって手を繋ぐ。

 手の熱だけで、今はドキドキしてしまう。


「俺とセスが運命の番だって、皆が知っていることなのか? それとも秘密にしといた方がいい?」


 セスティがカナデの手を強く握った。


「そうだね、大事なことだ。昨日のうちに話すべきだった。基本的には秘密にしてくれ。ただ、リアとマイは事情を知っているから、大丈夫だよ」


 とりあえず、ほっとした。

 自分の理解であっていたらしい。

 だとしたらやはり、ソウリの発言には疑問の余地が残る。それに、ソウリから薫る花の香りにも、引っかかっていた。


「そもそも何で、俺の性別が実は男だってバレたんだ? 『儀式』を失敗したから?」


 流れからしたら、そうなのだろう。

 しかし、誰かが話さなければ、公にはならなかった話ではないかと思う。

 ゲームの中と同じなら『儀式』は秘された神事だ。関わった人間以外が中で起きたことを知る術はないように思う。


「実はそのあたり、俺たちにもよくわからないんだ。カナが渦に飲まれてしまったあと、俺たちはあの部屋から吐き出された。あの時、リアとマイには俺からカナの秘密を話したんだ。思い当たることが、あったから」


 セスティが言う思い当たることとは、薔薇園で会った時の話だろう。セスティはずっと、カナデがオメガであり運命の番だと確信していたのだ。


「王都に戻ってきたら、俺たちが『儀式』に失敗したと、既に伝令が回っていた。失敗の原因は、カナデが本当は男で、オメガであることを黙って『儀式』に挑んだせいだと噂になっていた」

「それって、お目付役のせい?」


『儀式』には必ず目付役が付き、神殿の近くの村で待機している。『儀式』に挑むメンバーのサポートも行うが、王都との伝令役も担う。基本は宰相が指揮をとることになっている。


「ローリス殿なら噂にするような下手な真似はしないと思うんだ」


 それだけ言って、セスティは口を噤んだ。


(つまり、別の誰かが意図して流した噂って可能性を考えているんだろうな。もしかしたらセスは、その誰かも見当が付いているのかもしれない)


 恐らくローリスなら、カナデの事情だけでなく、『儀式』の失敗すらも噂にはしないだろう。二年前の『儀式』にはセスティという王族が参加していた。王族の不名誉を良しとはしないはずだ。

 王族の名を汚し、ティスティーナ家を落とし入れたい誰かの計略だったのかもしれない。


(王族の名を汚そうなんて発想する奴がいるかは、わからんけどな。不敬罪じゃ済まない大罪だぞ)


 下手をすれば、この国では生きていけなくなるだろう。

 そうなると、狙いはティスティーナ家ということになる。


(ま、そう考えるのが妥当だよな。ティスティーナ家を潰したい奴がいるんだろう)


 朝にソウリと話した神笛の話といい、ティスティーナ家を潰す最も簡単な方法はカナデを消すことだ。


(俺、色んな意味で命の危険に晒されてんのかもな)


 改めて、自分の身の上の危険さを再確認した。 


「結局、世論に押されてティスティーナ侯爵は事実を明るみにせざるを得なかった形だ。あの噂さえなければ、ここまで話を大きくせずに再度『儀式』に挑む状況も作れたと思う。カナに嫌な思いをさせることもなかった」


 セスティの手がカナデの頬に触れる。

 辛そうなセスティの顔を見上げる。カナデの方が辛い気持ちになる。


「俺は嫌な思いなんか、していないよ。むしろセスたちの方が辛かっただろ」


 自分は総てを忘れて日本で普通の高校生をしていただけだ。この国に残されたセスティたちの方が矢面に立って嫌な思いをたくさんしていたに違いない。

 こと、セスティに至っては『儀式』に失敗した王族として、貴族たちからの当たりも強かったはずだ。


「俺がいなかったせいで、嫌な思いとか辛い思いとか、全部引き受けさせて、ごめんな。今でも何も思い出せないせいで、セスたちに色々背負わせたままだ」

「それは違うよ、カナ」

 

 セスティがカナデの額に額を合わせた。


「カナはまだ思い出せないかもしれないけど、俺とカナとリアは幼馴染で、いつも一緒だった。カナがいない状況には、俺もリアも全然慣れない。だから帰ってきてくれただけで嬉しいし、安心しているんだよ」


 セスティの温かい声音が心に沁み込む。

 カナデはセスティの両手を握った。


「これからは同じ場所でセスと同じ痛みを感じられる。勿論、楽しいこともいっぱい感じたい。セスのことも、リアのことも皆のことも、早く思い出したい」


 まだまだカナデにとって、この世界は異世界で、日本が元の世界だ。けれど、この世界に自分がいた軌跡を辿るほどに、自分の国なのだと思えてくる。

 セスティに触れるほどに、その思いは深まった。


 不意に顔を上げる。

 目の前にいるセスティをじっと見つめると、ふわりと唇を重ねた。


「あんまりしちゃ、ダメなんだろうけど。一回くらいなら、いいだろ」


 セスティが目を細めて、カナデの顔を包み込んだ。

 離れた唇を引き寄せて重ねる。熱い舌に唇を舐められて思わず口を開いた。入り込んだ舌が、ゆっくりと絡まる。


「ふ……ん……」


 頭の芯が痺れて、体中が幸福感で満たされる。

 縋り付くようにセスティの服を掴んだ。

 セスティの力強い腕がカナデの背中を抱き寄せる。

 温かくて溶けてしまいそうだった。


「ぁ……」


 名残惜しい唇が離れる。

 カナデの顔を見詰めて、セスティが微笑んだ。


「一回でもカナとキスしていいなら、じっくりしたいよ。蕩けた顔、可愛い」


 額にキスを落とされて、ふわふわした。

 セスティの肩に顔を預けて、幸福の余韻に浸る。

 ソウリより深いキスで強くセスティを感じられたことに、安堵していた。

 

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