ep7. ティスティーナ侯爵家の長男

 国王陛下への謁見も無事に終わったということで、解散することになった。明日はアルバートの容態を診るために国管轄下の治癒院で待ち合わせになった。


 帰りの馬車の中、カナデは隣に座ったセスティに手を繋がれていた。


「病み上がりのようなものだろう。家まで送ろう」


 キラキラの皇子様スマイルを断れるはずがない。それ以上に、カナデがもう少しセスティと一緒にいたかった。

 外の景色を何気ない顔で眺めていても、カナデの手をしっかり恋人繋ぎでホールドしているあたりが、セスティらしいなと思う。


「なぁ、カナ。俺はね……」


 声に呼応して見上げたカナデの視線が、セスティとかち合う。


「俺たちが運命の番であることに、意味があると思っているんだ。この国で、オメガは滅多に生まれない。生まれても、神様に献上されてしまう。なのに、こんなに近くに運命の番がいるなんて、あまりにも残酷だ」


 カナデの手を持ち挙げて、甲にキスする。


「俺はカナとの関係を、残酷なままで終わらせる気は無いよ。カナは必ず俺が守る。その為に、『儀式』の本当の必要性を暴いてみせる」

「本当の、必要性?」


 心臓の鼓動が早くなる。薬を飲んでいても、近くにセスティを感じると、体が勝手に反応してしまう。


「あの時、俺たちの目の前にいたのは、本当に神様か? 祝福を与えてくれるのは、女神のはずだ。けど、俺たちが会ったのは少年だった。あれは、一体なんだ? 彼の正体を、もう一度見極めるんだ」


 どくん、と心臓が嫌な音を立てた。

 セスティに反応しているんじゃない。ゲームで見た少年の姿、こちらを見て下卑た目で笑う何かが、頭に浮かぶ。


(俺は、知ってる。あの目を、実際に見た。ゲームじゃない、本物を)


 仲間たちを次々と闇色の渦に叩き込んでいった。カナデが絶対に許さないと誓った存在だ。

 視界がズレるような眩暈が襲う。セスティの肩に凭れ掛かった。


「カナ? 大丈夫か?」

「大丈夫、少しだけ、思い出しただけだ」

「思い出したって、何を……」


 セスティの腕に掴まって、上体を起こした。


「俺は絶対に、アイツを許さない。あんな奴に献上されるくらいなら、返り討ちにしてやる」


 どうして自分がこれほど強い怒りを覚えているのか、わからない。仲間たちが酷い目に遭ったから、自分が異世界に飛ばされたから。それだけでは説明のつかない何かが、他にもある気がした。

 

「カナ……」


 セスティの腕を強く握る。セスティはそれ以上何も言わずに、カナデの肩を抱いていた。




〇●〇●〇



 ティスティーナ家に到着すると、大勢の使用人がずらりと待ち構えていた。馬車から降りたカナデとセスティに向かい、一同が礼をする。あまりにも揃った動きに、思わず身構えてしまった。


「ここは自分の家なんだ。気楽に入ればいいよ」


 セスティがカナデの肩に手を置いて笑う。ぎこちない笑みを返した。


(日本では見慣れない光景だな。一部の特権階級にはあるのかもしれないけど)


 一般的な高校生だったカナデには、何とも慣れ難い。


「カナデ! 戻ったんだね!」


 開いた扉の奥から声がしたかと思ったら、誰かがカナデに抱き付いた。

 ふわり、と花の香りが鼻腔をくすぐる。


「良かった、本当に良かった。きっと戻ってくるって信じてた。またこんな風に触れられる日がきっと来るって」


 カナデの顔を手で覆う。優しい目が、カナデを見詰めていた。


(確かこの人が、ソウリ=ティスティーナ。ゲームだと主人公の義理の兄だ)


「ソウリ殿、カナデは疲れているので、部屋に案内してやってくれますか」


 セスティが、やんわりとカナデからソウリの手を引き剥がす。

 顔は相変わらず完璧皇子のキラキラ笑顔だ。


「そうでしたね。本物のカナデを見たら、つい衝動を抑えきれなくなってしまいました。何せ僕らは婚約者だったのですからね。妻を案じない夫はいないでしょう」


 カナデの乱れた髪を梳きながら、ソウリが柔らかい笑みをカナデに向ける。


婚約者でしょう。カナデはこれから男としてオメガとして生きるのですから。ティスティーナ家を盛り立てるためにも、ソウリ殿は早々に新しい婚約者を募られるべきでは?」


 カナデの髪を撫でる仕草をしながら、セスティが割り込んだ。カナデの肩を引き寄せる。


「オメガ、か。辛い現実を突きつけるのですね、セスティ皇子。戻ってきたばかりのカナデには、あまりに残酷です」


 ソウリがカナデの手を取った。

 セスティの表情が固まる。


「せめて『儀式』までの間は、婚約者でいさせておくれ。楽しい思い出をたくさん作ろう」


 セスティから奪い取るようにカナデの手を引いた。


「お送りいただき、ありがとうございました。あとは僕がエスコートしますので、どうぞお帰りください」


 家の中にカナデを招くと、さっさと扉を閉めてしまった。

 

「おかえり、カナデ」


 ソウリが、カナデの頬に指を滑らせる。

 くすぐったくて、片目を閉じた。


(どう考えても、セスのこと嫌いだな、この人。セスも苦手そう。てか、ソウリ兄ちゃん、俺の婚約者だったのか)


 ゲームにはそういう設定はなかったし、ソウリはサブキャラ扱いだった。マイラの設定基準がいまいちよくわからない。


(養子と実子を結婚させて家を継がせるのは珍しくないけど。婚約者ならもっと重要ポジだと思うんだが)


 カナデを見詰めるソウリの目は優しくて、それだけでも愛情を感じる。


「……ただいま、兄さん。その、心配かけて、ごめん」


 これまでの流れでいくと、自分は約二年程度、この国を不在にしていたことになる。心配も迷惑も大いにかけたことだろう。


「気にしなくていい。無事に帰ってきてくれただけで、僕は嬉しいよ。父上はしばらく王城に残るそうだけど、その間は僕がカナデを守るから、安心してほしい」


 国王陛下との謁見を思い出す。

 国王や王妃の反応は親身だったが、それ以外の貴族たちの反応は、良いものではなかった。

 カナデを守るための盾になってくれているのだろう。


(申し訳ないな。今の俺には何もできないのに。せめて早くアルバートを目覚めさせて、他の仲間たちを探し出さないと)


 失くした記憶も、きっと早く取り戻すべきなんだろう。しかし、それについては手段など皆目見当が付かない。


「兄さん、俺さ。ここで暮らしていた頃の記憶がないんだ。それで、色々迷惑かけると思うんだけど」


 見上げたソウリが、目を丸くして絶句している。


「記憶が? 全く? 何も覚えていないのかい?」


 カナデは頷いた。


「断片的に思い出したりはするし、皆の名前も多少は覚えているんだけど。たぶん、ほとんど忘れちゃってる」


 マイラが準備してくれた乙女ゲームをどう説明していいか、わらなかったので、その点は省いた。


「そう、か。記憶を失くしている可能性については、聞いていたけど。まさか、全く何も覚えていないなんて」


 ソウリが額に手をあてて難しい顔をしている。


「だから、さっきも警戒心の欠片もなかったのか。あんなに注意し続けていたのに」


 独り言を呟くソウリを見上げる。

 ソウリがカナデに向かい、両肩をがっしりと掴んだ。


「いいかい、カナデ。セスティ皇子は危険だ。必要以上に近づいてはいけないよ。オメガのカナデにとっては尚更危険なんだ」

「でも、これから『儀式』のために毎日のように会うことになるよ」


 迫力に押されながらも、とりあえず伝えておく。

 今のところ、『儀式』に向けてやることは山積みだ。セスティも焦っているといっていた。悠長にしていられる状況でもない。


「そうだったね。本当に困ったな。とりあえず、薬は毎日飲んで、頓服薬も持ち歩くこと。忘れないようにね」


 一先ず頷くと、ソウリはようやくカナデの肩を離してくれた。


(もしかして、ソウリ兄さんはセスが俺の運命の番だってこと、知ってんのかな)


 そもそも、誰がどこまで知っている情報なのだろうと疑問に思った。


(本人同士しか知り得ないような、感覚の話なのに。リアもマイも知っていた。その辺はセスが話したんだろうけど)


 普通に考えて、カナデがオメガとして神に献上される状況下において、公にしていい話には思えない。

 だからこそ、国王陛下への報告でも、その話は出なかったのだろうと思う。


(後でちゃんと確認しておかないとな。人に話すような内容でもないけど)


 ちらりとソウリを窺う。

 もし、ソウリがセスティをカナデの運命の番として警戒しているのなら、ベータ知っていることになる。


(婚約者としての嫉妬なのか、別に理由があるのか。なんか、モヤモヤするな)


 「カナデ、部屋に案内するよ。もしまだ元気が余っていたら、演奏部屋にもいってみないかい? 楽器に触れるのは、久しぶりだろう?」

「うん、行きたい」


 ソウリの柔らかな笑みが本当に無害なのか、今のカナデには測り切れなかった。

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