10月その③
「なあ、後輩」
視線は問題集に落としたまま声をかけると、あるはずの答えが返って来なくて視線をあげる。
「し、死んでる……」
というのは冗談で、机の向かいで後輩が腕枕に顔をのせて気持ち良さそうに寝ていた。
妙に静かだと思ったら、と納得するが、最近は真面目に勉強してることも増えたのでそこまで不審に思わなかった部分もある。
もう三十分くらいは無言だったか。
後輩がどれくらい前から寝ていたのかはわからないが、これがもし半年前だったら数分で気付いただろうな。
そう考えると、後輩の変化にも俺の変化にも不思議な感じがする。
そこまで親しくなった感じはしないけど。
明日は直帰するから部室は開かないって言おうと思っただけなんだが、まあわざわざ起こして伝えるほどのことでもない。
寝不足に占める原因のひとつが勉強なのは知ってるし。
それはそれとして、思うことはあるけれど。
「人前で寝直を見せるようなキャラじゃないと思ったんだけどな」
そういうところは、きっちり線引きする方だと思っていた。
寝不足でうたた寝くらいなら本人の意思とは関係なく眠気に抗えずにってこともあるだろうけど。
それにしてはがっつり寝る体勢になっている。
人の前で無防備に寝て、しかも寝顔を見せてるなんてな。
そういうのは、最低でも同姓の友人の前くらいじゃないとやらないかと。
とはいえ俺の感覚が間違ってることもあるだろうし、というか人間関係に達者な方ではない。
別にそれを認めたくはないが事実は事実として。
そういえば、この前逆の立場で同じシチュエーションがあったな。
寝たのは俺で、見てるのが後輩で。
あの時はカメラ撮られたっけ。
折角だからお返しに記念撮影してやるか、と思ってスマホを向ける。
「んー」
前髪が一房顔に被ってて表情が見辛い。
折角撮るなら分かりやすい方がいいよなー、と思って指を伸ばして、そのまま動きを止める。
このまま触ったらセクハラなのでは?
普段なら触ろうとしても拒否られるか許されるか選択権はあっちにあるけど、今は完全に寝てるし。
もしタイミングよく(いや悪くか?)後輩が目を覚ましたら、最悪訴えられてもおかしくない。
んんー。
まあいいか。
考えるのがめんどくさくなったので、気にせず指先で前髪を横に流す。
よし。
パシャリと一枚撮ったのを画面で見て思う。
「喋らなければ文句なしで可愛いんだけどな」
まあ喋ったら可愛くないのかと聞かれれば、……ノーコメントで。
さてそれじゃあ、これはどうしようかな。
このままLINEで送っても二番煎じでインパクトもないし面白くもない。
ならどうするかって言われると特に思い付かないんだけど。
一番面白いのは前の落書き画像を逆手にとって本当に顔に落書きしてカメラで撮ることなんだけど、流石に女子の顔に落書きはヤバいかな。
次に思いつくのはtwitterに流して後輩が見つけるって流れだけど、流石に第三者に見せる写真じゃない。
んー、決めた。
ということでスマホをちょっと弄ってから画面を落とす。
さてそれじゃあ勉強の続きでもしますかね。
なんて勉強を再開する前に、そういえばと思い出す。
前回俺が居眠りしたときは、後輩に上着かけてもらったっけ。
あの時は半分寝てて、後輩の声と上着の感触と暖かさを何となく覚えてるくらいだけど。
後輩は寝た振りをしてたと勘違いしてたみたいだけど、実際は普通に寝てたんだよな。
その上で、テレビつけっぱで寝落ちしたときみたいに外部からの情報が夢とごっちゃになって頭に入ってきた感じで。
ともあれ、あの時の借りは返した方がいいかなと思ったり思わなかったり。
まあ今日の後輩はちゃんと上着を羽織っていた前の時の俺よりも暖かそうな格好をしているから必要無さそうでもあるんだけど。
んー。
少しだけ悩んで、結局腰を浮かせて自分の上着を脱ぐ。
借りは返さないとね。
なんて言い訳をしながら、後輩の後ろに回って思う。
これってなんか思った以上に恥ずかしくないか……?
寝てるところに後ろから上着をかけるなんてまるで恋人同士みたいな。
というか寝てる後輩を後ろから眺めてる時点で大分シチュエーションとしても怪しいし。
ちょっと無防備過ぎるんじゃないか。
なんて諸々の思いは、これはこの前の礼だからと理性で無視する。
「ん……」
上着をかけると後輩が、僅かに身じろぎをして声を漏らす。
起きたか?
起きても困らないんだけど、気持ちよく寝てるところを起こしたくはないかな、なんて心配をよそに後輩は再び寝息を立てて目を開ける気配はない。
んじゃ、勉強しますかね。
今度こそ自分の席に戻ってペンを握る。
背中が少しスースーするけど、起きてれば風邪を引くほどじゃないので大丈夫。
「んー……」
小さく声を漏らして、後輩が目を開ける。
「起きたか」
「……。おはようございます、センパイ」
「おはよう、後輩」
挨拶をして、後輩が机から体を起こす。
「それでなんで、センパイは帰る準備してるんですか?」
「もう帰るからだよ。時計見ろ時計」
「えっ、もう七時すぎっ!?」
俺が後輩に上着をかけてから更に一時間以上経って、外はもうすっかり暗くなっていた。
「はー、寝すぎました」
「なんか予定でもあったのか?」
「そうじゃないですけど、今日もセンパイをからかって遊ぼうっていう私の計画が台無しです」
「捨てちまえそんな計画」
「まあそれは冗談ですけど」
と、とても冗談には見えない顔で言った後輩が自分の背中に気付く。
「これ、センパイがかけてくれたんですか?」
「後輩が寝ぼけて強奪してったんだぞ」
「そんなわけないじゃないですか」
まあそんなわけないわな。
「ありがとうございます、センパイ」
「どういたしまして、それよりもう帰るぞ」
「はーい」
帰り支度をして荷物をバッグにまとめた後輩が、それを持つ前にこちらに回ってきて俺の後ろに立つ。
「これ、返しますね」
「ああ」
手渡しではなく、直接俺の肩にかけられた上着はそのままだと腕を通しづらいなあと思うと同時に、少し温かい。
あと、なんだか良い香りがする気がする。
「あったかいですか?」
「ああ」
それは上着を羽織っていた暖かいかという意味か、それとも後輩の体温を感じて温かいかという意味か、判断に迷って曖昧な返事になった。
「ならよかったです。センパイに風邪でも引かれたら大変ですからね」
「このくらいじゃ風邪なんて引かないから安心しろ」
「じゃあ安心しました」
なぜか嬉しそうに笑う後輩。
「それじゃあ帰るか」
「はい」
並んで部室から出て、廊下を歩く。
その途中で、後輩が声をかける。
「ねえ、センパイ」
「どうした、後輩」
聞き返すと、後輩が一歩こちらに身体を寄せる。
肩がトンとあたって、声が耳のすぐ近くで囁かれた。
「私のことずっと可愛いって思ってたんですねー、知らなかったです」
それはきっと、後輩の寝顔を撮った時に呟いた言葉への返事。
聞いてたのか、なんて責める権利はないけれど。
「今さら確認することか? 今まで後輩の容姿について褒めたことはあっても貶したことは一度もないだろ」
後輩の顔面偏差値についてはずっと平均以上だと思ってるし、胸が慎ましいと思ったことはあるけれどそれは口に出したことはなかったはずだし。
それに喋らなければ可愛いって純粋な褒め言葉でもないしな。
そんな俺の内心とは関係なく、後輩がたじろぐ。
「そ、そんなの……、ズルいじゃないですか……」
「半分は自業自得だろ」
そもそも論で言えば、最初にからかおうとしてきた後輩が悪い。
まあ別にそれ自体は嫌でもないんだけど。
なんて俺の反論は無視して、立ち止まった後輩が赤くした顔を隠すようにうつむく。
「センパイは、起きてるの気付いてたんですか……?」
「いや」
起きてると思ってたなら、わざわざあんなことは言わない。
だからまあ、逆説的に言えばあれは俺の本音ってことになるんだけど。
「うっ」
「うっ?」
「うう~~~~~!」
壊れた?
「帰りましょう!」
「お、おう」
ばっと顔をあげた後輩が、俺をスルーしてずんずんと歩き出す。
歩みを緩める様子のない後輩の一歩後ろをそのままついていく。
揺れる髪の隙間から、真っ赤になった耳が見えたのは黙っておいた。
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