10月その④
キーンコーンとチャイムが鳴って周囲の空気が動き出す。
授業が終わり英語の担当教師が教室から出ていくのを見ながら、皆短い休み時間を惜しむように行動を始めた。
そんなクラスメイトの中で教室から出ていく何人かに続いて俺も教室から出る。
その目的は隣のクラスの友人に会いに行く、なんてことはなく自販機の飲み物だ。
自販機は校舎に何ヵ所か設置されていて、俺の教室に一番近いのは中庭の所。
授業をサボって買いに行くと、もれなく授業をしている教師に見つかることを除けば良い立地の自販機だ。
そんな目的地を目指して階段を降りると、廊下の先に見知った顔が見えた。
友人たちと楽しそうに笑いながらこちらへと歩いてくる後輩は、俺と一緒にいるときと雰囲気が異なり屈託のない笑顔を浮かべている。
おそらくあれが友人と一緒にいる時の後輩の様子なんだろう。
そんな彼女がこちらへと向かってきていて、このまま進んでいけばもう少しであっちも俺に気付く。
…………。
一瞬悩んで俺は身を隠すように来た道を逆走し、校舎の反対側の渡り廊下から中庭に出た。
ガコンと勢いのある音がして、自販機からペットボトルが落ちてくる。
前屈みになって手を伸ばし、買ったミルクティーを取り出すと後ろから声をかけられた。
「セーンパイ」
弾むような声でそう呼び掛けられて振り向く。
思えばセンパイという呼称にも随分慣れたなと思いながら、俺のことをそう呼ぶ数少ない相手がそこにいた。
「ん、後輩か」
「なんだか不満そうですね」
「そういう訳じゃないが、さっきまであっちに居なかったか?」
「センパイが見えたから会いに来てあげたんですよ」
「なるほど」
一人だけグループから抜けてきて大丈夫なのかと思ったが、後輩の後ろをチラリと見ると、先程まで一緒にいた女子たちが好奇の視線でこちらを伺っていた。
その雰囲気を見る限り、抜けてきた理由も把握した上で戻ったら囲んでからかわれる流れっぽいなと察する。
俺と後輩はそういう関係ではない訳だけど、女子が集まって盛り上がるなら事実かどうかは二の次だろう。
からかわれる後輩の姿を想像すると、それはちょっと楽しそうではあるけど。
「というか、気付いてたなら声かけてくださいよ」
「いや、見かけたときは離れてたしな」
あの距離だと声をかけるというよりは呼び掛けるって感じだったし、休み時間の廊下でそんなことはしたくなかった。
まあそのあと見つからないように離れたんだけど。
友達と楽しそうに話す後輩の姿が微笑ましくて、邪魔しないようにと思ったんだけど結局見つかってしまったならしょうがないか。
「なんか飲むか?」
「えっ、奢りですか?」
「150円までな」
「ありがとうございます、センパイ」
「どっちにする?」
「じゃあこっちでお願いします」
後輩が指差したのは並んでいる二台の自販機の右の方。
この自販機はそれぞれ別のメーカーの商品が入っているのでラインナップが異なる。
具体的に言うとコカコーラとサントリー。
まあコーヒーとかお茶とかはどっちも似たようなのが並んでるんだけどね。
ともあれ俺がさっき買い物したのとは別の方を選んだ後輩は、俺が小銭入れの所に150円を入れると迷うことなく指をピンと伸ばしてレモンティーのボタンを押した。
ピッという音のあとにガコンと商品が落ちてくる。
「ご馳走さまです、センパイ」
「ん」
「お礼にこれあげますね」
「ん」
受け取ったのはビニールで梱包された小さなチョコレート。
背の高いキーボードのキーのような形のそれは、天辺にアルファベットが刻まれていてほぼキーボードだ。
大きい袋に入って売られてるそれはなんかにすれば10円くらいなわけでレモンティーとは全く見合わないわけだけれど、元から奢りのつもりだったのでちょっと得した気分かな。
そのまま包みを破ってチョコを口に放り込むと、口に残ったミルクティーとの甘さの調和も悪くない。
「美味しいですか?」
「ん、ありがとな後輩」
「どういたしまして」
言いながら後輩もレモンティーのキャップを開けてそれに口をつける。
そのあと自販機からちょっと離れた壁際に二人で移動して後輩がこちらを見る。
「それ美味しいですか、センパイ?」
それ、というのは俺の握っているミルクティーのペットボトル。
500ミリのペットよりも背の低いそれは、一口飲んだだけで二割くらい減っていて、見せるとちゃぽんと乳白色の中身が揺れた。
「俺は好きだぞ」
「私いつもこっちのミルクティー買うので飲んだこと無いんですよね」
後輩が指差した方の自販機のミルクティーは俺の飲んでる140円の物よりも10円安い130円なので、明確にこっちが良いと選ばなければ確かに口にする機会もないかもしれない。
同じ値段なら気分で飲み比べてみたりもするんだけどね。
10円の心理的な重さというのは結構なものだということで。
「俺はこっちの方の味が好きだが」
簡単に言うと140円の方が味が濃い感じがある。
まあだからといってどっちが好きかは個人の好みによるだろうけど。
「一口飲むか?」
へーっとキャップの開いたままのペットボトルを見て感心した顔をする後輩にそんな風に聞くと、後輩の視線が俺の顔に向いた。
「いいんですか?」
「お前そんな遠慮するようなキャラじゃないだろ?」
「だって今日はもう奢ってもらっちゃいましたし」
「変なとこで遠慮すんなよ、ほら」
「ありがとうございます」
俺がペットボトルを押し付けると、背の低いそれを遠慮がちに後輩が口をつける。
顎を少しだけ上げて、喉をコクリと鳴らした後輩が口を離してからなにか気づいたようにこちらを見た。
「間接キスしちゃいましたね。あ、これが目的だったりします?」
「んなわけないだろ」
「なんですかー、もっとドキドキしてもいいんですよ?」
「からかう気満々のその顔がなければなあ」
赤面して恥じらいを見せてくれたら俺も意識したかもしれないと思ったが、そんな後輩の姿を想像したらこれはないなって感想に追い付いた。
「そもそもそんな関係じゃないしな」
「まあそれはそうですね」
付き合ってもないし、付き合う予定もないので問題ない。
それが俺と後輩の関係だ。
「そいや、もうすぐ中間だな。試験大丈夫そうか?」
「はい、センパイのおかげで今回は良い点取れそうですよ」
「それはなにより」
もうすぐ学校の定期試験があるので、耳をすませば色んな所でそれに対する怨嗟の声が漏れ聞こえてくる。
まあ三年はそれより模試がメインイベントだけど。
「センパイはどうですか?」
「学校のテストはいいんだけど、模試が憂鬱だわ」
「センパイなら大丈夫ですよ。ずーっと勉強してるの知ってますから」
まあ後輩と一緒にいる時間も喋ってる時間は割合は大したことはなく、大半は無言で勉強している訳だから俺が勉強しているのを一番知っているのは後輩ではある。
その後輩が大丈夫と言ってくれるんだから、まあちょっとは信用してもいいかな。
「なら後輩も、最近は結構勉強してるし大丈夫だろ」
「はい。なので一緒に頑張りましょうね、センパイ」
「おう」
試験の話をすると大抵は愚痴ばかり出てくるものだけど、たまにはこういうのも、悪くはないかな。
「折角ですし、試験結果で勝負でもしましょうか?」
「ほう、内容は?」
「私の学年順位と、センパイの模試の順位で」
「いや比べるところおかしいだろ」
うちの学校の二年の人数と全国模試を受ける人数じゃ分母が違いすぎる。
数百と数万ってレベルの母数差だぞ。
それに全国どころか第一志望内の順位だけでも正直勝てる気がしない。
「普通に比べるなら学年順位だろ」
「でもそれじゃ私が勝てないじゃないですか」
「そこは頑張れよ」
「人には頑張ったって出来ることと出来ないことがあるんですよ」
「まあそう言われれば否定はできんが……」
やる気になれば何でもできるなら試験の結果なんてみんな満点だろう。
「それでも後輩ならいい線行くと思うけどな」
最近の後輩の勉強具合なら今回の試験範囲に限って言えば順位も良い勝負になるんじゃないかと思えるんだが。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、でも」
「でも?」
「勝負するなら絶対勝てる勝負が良いじゃないですか」
「そうだな、そっくりそのまま同じ言葉をお返しするが」
「もー、センパイはわがままですねー」
「お前が言うなと」
そもそもハンデ戦の申し込みをしてきたのはそっちである。
「じゃあ私の試験の平均点と、センパイの模試の平均点でどうですか?」
「国数英は200点でいいか?」
「いい訳ないじゃないですか、100点×2ですよ」
「えー」
普通に考えれば、それでも大分不利な勝負だ。
まず出題範囲の広さが段違いだしな。
2ヶ月と20ヶ月くらいの差があるし。
「まあ、それでもいいか」
「え、良いんですか?」
後輩が不思議そうな顔でこちらを見る。
「自分で言っといて聞き返すなよ」
「だって明らかにセンパイが不利ですし」
「まあその辺は、取り組んでる勉強量の差ってことでちょうどいいハンデだろ」
「おー、言いますねー」
俺の余裕を聞いた後輩は闘志十分といった感じ。
「じゃあ私が勝ったらお願い聞いてくださいね、センパイ」
「じゃあ俺が勝ったら後輩がなんでも言うこと聞くんだよな?」
「いいですよ?」
「えっ……。えっ、いいの?」
「ここまでハンデもらったんですから当然負けませんよ」
「なら俺も負けないようにしないとな」
「はい、頑張ってくださいね。センパイ」
「んじゃ教室戻るか」
休み時間はそこまで長いわけでもないし、ここから教室まで戻ることも考えるとそろそろ解散だ。
「そうですね」
一緒に飲み終わったペットボトルをゴミ箱に入れ、そのまま教室に戻る前に後輩に声をかける。
「ん、後輩ちょっといいか?」
「どうしました、センパイ?」
「んー。まつ毛に埃がついてる」
「えっ、どこですか?」
「右側、いやこっちから見て右」
後輩が自分のまつ毛を摘まんですっと引き抜ぬ動作をして指を確認するがそこには何も取れていない。
「取ってやるからちょっと目つぶってみ」
俺の言葉に従って瞼を閉じる後輩の正面に向き合って、目線の高さを合わせるように少し屈み、至近距離まで顔を寄せてまつ毛を摘まんですっと引き抜く。
「取れましたか?」
「ああ、もういいぞ」
まあ本当は埃なんてなかったんだけど。
「んじゃまたな後輩」
「はい、センパイ」
振り返った後輩が、少し先に友人たちの姿を見つけて駆けていく。
そのまま合流した後輩は、周りに囃し立てられて焦ったような仕草をしたあと、顔を少しだけ赤くして恥ずかしそうにしているのが見えた。
んー。
なんとなく、その姿をスマホのズーム機能を使ってパシャリと撮っておいた。
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