第34話 須磨2 須磨からの手紙

 源中納言としかた

 「その物語とやら、今日初めて来たが、楽しみよのう。」

 左大弁ゆきなり

 「まあ、そなたは恩人だし、今回の藤式部を女房にする際にもいろいろお世話になった。楽しんでってほしい。」


 「また、偉い人が来てるわね。」

 「まあ、平和なのが一番。

 旧定子派の和解を取り持ってくれた人なんでしょ。」

 「そう考えると有難い。」

 「式部さんも凄い人に気に入られてもんだ。」


 藤式部

 「さあ、今日も始まり始まり。」


 



 その日は姫君サキコと「語らい」ながら長閑に夜を迎え、こういう時の常で夜遅く出発しました。


 狩りの御衣おんぞなど旅の衣装はひどくみすぼらしいもので、

 「月も出たしな。

 ちょっとでも出てきて見送ってくれよ。

 後であれも言いたかったこれも言いたかったと思っても知らないからな。

 たまたま一日二日逢えなかったときにだって異常なまでに塞ぎこむんだから。」

と言って御簾を巻き上げて部屋の端のほうに導くと、姫君サキコは泣き崩れていたのをぐっと堪えて膝で歩いて出てきます。


 座る姿は月の光にこの世のものとも思えず美しい。


 自分が結局この仮初めの世を去ることとなったなら、一体誰の所を頼って生きて行くことになるのかと思うと心配で悲しくなるけれど、ただでさえ悩みが尽きないのにこれ以上悩ませてもと、


 「生きながら離れ離れになるなんて

     知らず命の限りと契った


 空しいな。」


などと軽く流そうとすると、


 「目の前の別れを待ってくれるなら

     この命なんて惜しくもないわ」


 本当にそんなにまで思っているのかと思うと見捨てていくに忍びないものの、完全に夜が明けてしまったなら、人目にも留まって恥をさらすことにもなるので出発を急ぎました。


   *


 淀津の船着場までの陸路もずっと姫君サキコの面影が瞼を離れず、胸の締め付けられるような思いでそこから船に乗りました。


 日の長い頃で追い風ということもあって、まだ日の残るうちに須磨の浦に着きました。


 短い道中ではあるものの、こうした旅には慣れてない様子で、その心細さも楽しさも初めてのことでした。


 途中通った難波の大江殿というところはすっかり荒れ果てていて、松だけが昔の面影をとどめています。


 「中国の屈原以上にこの俺は

     どことも知れぬ家に棲むのか」


 渚に波の寄せては帰るのを見ながら、「うらやましくも帰る波かな」と口ずさむあたり、在原業平の古い歌ではあるものの、お供の人たちも身にしみて悲しく思いました。


 ふと振り返ると、来た方の山は遥か彼方にに霞んで、気持ち的にはまさに三千里の彼方で、涙も櫂の雫となって堪えきれません。


 「故郷は峯の霞みの向こうでも

     空は雲居とつながっている」


 どんなことでも辛く感じられるのでしょう。


 これから暮らして行く所は、在原行平中納言の「藻塩たれつつ侘ぶ」と詠んだ家からそう遠くないところでした。


 海岸からやや離れたうら寂びた何もない山の中でした。


 垣根の形からして初めて目にするものです。


 茅葺きの建物がいくつかあって、葦で吹いた回廊のような建物でつながっていて、なかなか小洒落た感じに調度が整えられています。


 隠棲のために選ばれたこの家はいかにもみすぼらしいものの、別の機会に訪れたならなかなかこれも味があるなと、昔の遊び歩いてた頃に見た家とかを思い出します。


 須磨からそう遠くないところに散在する荘園の管理者を呼び寄せて、家や庭の改装など必要なことを、気心の知れた家司けいし源良清みなもとのよしきよ朝臣あそんに命じて行なわせているのも、何とももったいないことです。


 瞬く間になかなか見られるものに仕上げました。


 池を深く掘り下げ周りに木を植えて、何とか終わらせて一息ついてみても、まだ何か夢の中にいるような気分です。


 摂津の国守もよく知った人だったので、非公式に援助を申し出てきました。


 隠棲するための宿とはいえやたら騒がしいものの、大事な相談をできそうな人もなく、見知らぬ異国にいるような感覚で、気持ちのやり場がなく、こんなのでこれから長くやっていけるのだろうかと先が思いやられます。


 次第に落ち着きを取り戻す頃には梅雨時となり、京がどうなってるのかが気がかりで、会いたい人もたくさんいて、姫君サキコの思いつめたような顔、春宮のこと、何も知らない若君の無邪気な姿などあれこれ気になります。


 京へ人を行かせました。


 二条院の姫君サキコへの手紙や、入道となった中宮ヤスコへの手紙は涙で目が見えなくてなかなか書けません。


 入道の中宮ヤスコには、



 《まつ島のアマの苫屋はどんなかな

     須磨の漁師はびしょ濡れだけど

 

 別に雨の季節だからというわけではないけど、過去も未来もすっかり見えなくなった上、涙の水位までもが上昇しております。》



 尚侍ハルコのもとには、例によって中納言の君への個人的な手紙を装い、その中に潜ませて、



 《何もないまま過ぎてしまったあの頃を思い出すにつけても、

 

 懲り磨の浦の海松布みるめも恋しいよ

     塩焼く海女あまはどう思うかな》



 あれやらこれやら思いつく限りの言葉を想像してみてください。


 先の左大臣イエカネにも息子の乳母にも、息子の世話のことなどを書いて遣わしました。


 京にはこの手紙のことがあちこちに知れ渡り、人々の心を動揺させるのでした。


 二条院の姫君サキコは手紙を手にしたまま起き上がることもできず、尽きぬ思いに胸は焼け焦がれ、お仕えする女房達も何とかご機嫌を取ろうとしてもどうにもならず、不安になるばかりです。


 源氏の愛用していた調度やいつも弾いていた七弦琴、脱ぎ捨てた御衣おんぞの匂いなどどれもこれを取っても、まるで今はこの世にない人であるかのように嘆き悲しむので、これでは精神的にも危険なだということで、少納言は僧都に祈祷のことなどを依頼しました。


 二つの方向で御修法みずほうなどをさせました。


 一つはこんなにも嘆き悲しんでいる姫君サキコの心を静め慰めるためで、もう一つは源氏が元のように帰ってくるためのもので、断腸の思いで祈りました。


 旅先での宿泊に必要なものなども取り揃えて源氏のところに送りました。


 平絹の直衣のうし指貫さしぬきの袴、今までと着るものも違ってひどく悲しく、「鏡のようにいつも一緒だ」と言ったあの源氏の面影がいつも身近にいるように感じるものの、それでどうなるものでもありません。


 いつも出入りしていた戸口や寄っかかってた真木柱などを見ても胸が張り裂けるようで、物事に関して思慮深く世間のことに通暁した年齢の人さえ悲しんでいるくらいだから、まして夫婦関係にある上に親の代わりとなって世話してもらい、ここまで成長してきたとなれば、恋しく思うのも当然のことです。


 ひとえに死んでしまったなら、もはやなすすべもないし、そのうち忘れ草も生えてくるところですが、そんな遠くに行ったわけでもないのにいつ帰るともわからない別れともなると、いつまでも思い続けるしかありません。


 入道となった中宮ヤスコの方も。春宮のことを思うと悩みは尽きません。


 こうなってしまった前世の因縁を、どうして軽々しく考えることができるでしょうか。


 今まではただ世間の風評に配慮して、ちょっとでも気のあるそぶりをすればそれにつけ込んであれこれ非難する人が出てくるのではないかと、それだけを思って愛を見てみぬふりし、形式ばった対応をしてきたので、人の噂は恐ろしいとはいえ何とか噂にはならずにすんでたものでした。


 源氏の方としても思いつくがままに一方的に行動するのではなく、人目を気にしながらうまくごまかしてきてくれたんだと思うと、心の底から愛情が湧き出てこないはずもありません。


 ご返事もやや気を遣って、



 《この頃はますます、

 

 塩水を焼くも仕事と松嶋の

     この老いたアマ溜め息重ね》



 尚侍ハルコからのご返事は、



 《塩を焼く海女も憚る恋なので

     くすぶる煙どこへも行けず

 

 これ以上はとても。》


とだけ、中納言の手紙の中にわずかに書かれてました。


 その手紙には悲嘆に暮れる様子が痛いくらいに書かれていました。


 まだ愛情が残っていることがひしと感じられて、わっと悲しみがこみ上げてきました。


 姫君サキコからのお返事は特にこまやかな愛情の溢れ出たもので、



 《塩水に濡れた漁師の袖なんて

     海の彼方の夜着に較べれば》



 一緒に送られてきた衣類などもなかなか垢抜けてます。


 すべてに関して如才なくこうした配慮をしてくれていることにすっかり満足して、

 「とりあえず今は特に心を掻き立てるような通う相手があるわけでもなく、おとなしくしておこう。」

と思うものの、このまま朽ち果てていくのかと思うと悔しくて、昼も夜も姫君サキコの面影が浮かんできて耐え切れない気持ちになるので、ならばこっそり呼び寄せようかとも思いました。


 そうはいうものの、

 「いやそんなことよりこんな悲しい世の中に生まれてきて、前世の罪を拭わなくてはいけない」

とばかりに、すぐさま精進に励み、朝夕のお勤めを行なって暮らしました。


 先の左大臣イエカネの所の若君のことなどが書かれた手紙もあって、どうにも悲しくなるけれど、そのうちまた会えるし、頼れる人たちに世話してもらっているのだから気にしてもしょうがないと思うあたり、どうやら子どものことで悩むようなことはないようです。


 全くいろんなことがあったので書き忘れる所でした。


 あの伊勢の斎宮の所にいる御息所タカキコへも使いを出していました。


 向こうからもわざわざ使いをよこしてきました。


 内容は至って真面目です。


 文章も筆遣いも誰よりも渋く並々ならぬ境地を感じさせます。



 《未だに現実とは思えないような隠居生活を余儀なくされたのも、明けることのない無明の闇に心が迷っているからだと存じます。

 そうはいっても、そう長い年月を経るまでもないとご推察申し上げるにしても、私は罪深い身でして。

 またお会いできる日もいつになるかわからない所です。

 

 浮き芽刈る伊勢の海女さん忘れないで

     藻塩の涙の須磨の浦でも

 

 すべてにおいて憂慮すべき今のこの世の中の状態で、これから一体どうなってしまうものやら》


といろいろ書いてあります。


 《干潮の伊勢で浅蜊を取ろうにも

     何のカイなきこの私です》


 いろいろと悲しいことが思い出されて、何度も途中で詰まりながらも書き終えた白い中国製の紙四五枚ほどを巻物にして、墨の濃淡などなかなか見事です。


 愛していたあの六条の御息所タカキコを、あの一件からどこかボタンを掛け違ってしまい、結局悩んだ末に別れを決意させてしまったと思うと、今だに思い出すにも恥ずかしく自分が嫌になりなす。


 こんな時の手紙だけに感慨もひとしおで、使いの者にも親近感を覚え、二三日引き止めてあちらの方の話をいろいろ聞かせてもらいました。


 若々しくなかなか心惹かれる殿上人でした。


 このような簡素な家なので、こうしたお使いの人でも自然と間近で接することとなり、わずかな間のご対面でしたがその姿や物腰を目にして、これ以上ない感激だと涙を流しました。


 返事の手紙を書きましたが、その言葉、想像がつきますね。



 《このように世間から遠ざからなくてはならない運命だと知っましたら、後を追ってついていきたかったところですがなどと、気も晴れず不安なもんですから‥‥。

 

 伊勢の海女波の上漕ぐ小舟にも

    乗りたいものだ浮海布うきめは刈らず

 

 海女が摘む投木なげきのなかで袖濡らし

     いつまで須磨の浦をながめる

 

 また逢える日がいつとも知れないせいで、心が張り裂けそうです。》



といったようなことも書いてありました。


 こんなふうに、どの方面にもしっかりと手紙を交わしてました。


 花散る里でも悲しい思いをそのままそれぞれ書き綴った手紙をしみじみとご覧になり、他にない可愛らしさを感じ、どちらも手にとって眺めては癒される一方、心配の種でもあります。



 《荒れて行く軒の忍を眺めては

     びっしり露のかかる袖です》



という歌から、実際八重葎やえむぐらより他に寄り添うものもない状態なんだろうな、とその様子が浮かびますし、長雨に土塀が所々崩れてきてなんて書いてあると、京の家の管理人のところに使いの者を出し、京に近い荘園の者などを集めてお世話するように命じました。


 尚侍ハルコは源氏の須磨行きの原因となっただけにすっかり物笑いの種にされてすっかり落ち込んでいて、父の大臣タカミチも心配で心配でしようのないこの娘のことを、皇太后リューコにもいろいろ言ってみるし御門みかどにも訴えたところ、女御や御息所の罪ならいざしらず、表向きは単なる女官のことだからということでの配慮を得ました。


 また、あの憎っくき男のせいでこんな大変になことになったということで、何とかお咎めもなく参内を続けられることになったものの、それでも源氏のことを思っては悲しむばかりでした。


 七月になって参内しました。


 並々ならぬ御門のご寵愛もまだ健在で、世間の悪い噂なども知らぬげに、いつものように傍で仕えさせ、源氏とのことでいろいろ恨みごとを言いはするけど、その一方で尚侍ハルコのことを優しく愛するのでした。


 服装といい容姿といい大人の魅力を漂わせた麗人なのですが、心の中では源氏のことばかり思い出していて醜いものです。


 一緒に音楽を演奏して楽しむついでに、

 「あの人がいないと何か気乗りもしないぞ。

 そう思う人もたくさんいるのだろうよ。

 何をしててもこう、ちと光が足りんな。」

とおっしゃって、

 「院の遺言にそむくことになってしまったよの。

 ばち当たりなことよのう。」

といって涙ぐむのを見ると、尚侍ハルコも涙をこらえることができません。


 「人生というのはいくら生きていても結局空しいものだということが身にしみるだけに、長生きしたいだなんてもう思わないことにした。

 長生きしたら、今度のことはどう思うものかのう。

 その後のいろいろな別れと一緒になってしまったりしては嫌よの。

 『生きているうちに』なんて大友百世おおとものももよの歌にあったけど、生きてるうちだけでなく後生のことも考えねばならんな。」


と親しげな様子で、人生の悲哀を本当に噛み締めたかのようにおっしゃるので、涙がぽろぽろ溢れ出てくると、

 「そうよな。誰のために泣いているのやら。」

とさらにおっしゃいます。


 「これまで子供ができなかったのも残念でな。

 春宮を院の遺言どおりにとは思っていても、いろいろ良くないことも起こって困っているんだ。」

と、世の中を自分の意に反する方向に導こうとしている勢力があるにもかかわらず、若さゆえ毅然とした態度を取れず、苦虫を噛み潰している部分も多いのでしょう。





 「須磨へ着くの早っ。」

 「そんなもんなの?」

 「170里はあるかな。」

 「陸路で六日くらいか。」

 「商人とか一日90里は歩くから、2日あれば行くかも。」

 「なら、風が良ければ船なら1日で行くか。」

 (1里が約4キロになったのは安土桃山時代から江戸時代のことで、律令時代は533.5 mだったという。)

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