第13話 「妄想」(追記有り)

【妄想】

 妄想という言葉についてである。

 僕は「妄想」という言葉に敏感である。

 テレビ番組等でも、フツーに使われていて、それで構わないとは思うが、見聞きする度に、ちょっとだけ気になっている。

 それは、僕が或る精神病の罹患者であるからだ。これを書くことにするかは結構考えた。これまで、インターネットに何か書く時に、この病気のことに触れたことは一度もない。プロフィール欄に書くこと等は僕には考えられない。この文章も、もしかしたら、後で削除するかも知れない。削除しやすいように、病気に触れるのは、この「第13話」にだけにしておくつもりである。

 一般的には、妄想は、想像(イメージしてみる)と同じような意味で使われているようである。

 しかし、或る種の病気によって引き起こされる妄想は、想像とは異なる。

 重要な差異がある。

 それは、その人自身が、いま自分は想像(妄想)していると認識できている、のと、それを本当に現実だと思ってしまっている、のとの差異である。

 病の場合には例えば、誰かに追われている、ということを本当に信じているのである(しかし、これが理解してもらい難いところだと思うが、妄想にかられている、病がひどいとされる時期でも、論理的に思考(計算)したり、仕事(作業)したりが僕の場合は可能だった)。

 芥川龍之介に『歯車』という後年の作品がある。或る意味では、流石、芥川である。病気になっている人間の皮膚感覚が、かなり巧く描かれていると思う(知的エリートの幻覚は僕にあったのとは違うなあとも思う)。

 逆に、武田泰淳の『富士』については、僕が読んだ印象では、めちゃくちゃだという感じがした。『富士』は、たぶん、違うと思う。

 この「妄想」という言葉について、ちょっと知識として入れてくれれば嬉しい。


【「歯車」から、もう少し】

 芥川龍之介の『歯車』は、タイトルがそうなので、視野に歯車を見つける場面に注意が向くかも知れないが、僕には、これは分からない。もしかしたら、芥川の場合には本当に見えていたのかも知れない。

 僕が思い出せるのは、幻聴と妄想である。

 人によっては、妄想はもうそうでも「誇大妄想」が強く出る場合もあるらしい。日本では「天皇の隠し子」だと信じたりするのが、それだと思う。

 僕は、あまりそれはなかった。覚えているのでは、あのキタノ監督に褒められたと感じたことが一度あるくらいである。「アンちゃん。その立ち姿いいねえ」とか、その時、キタノ監督は言っていた。

 ここだけ見ると愉しいことのように感じるかも知れないが、病のひどいときは、ずっと変な雰囲気を感じていて、ずっと変な気分である。変なというのは、浮遊しているような、と言ってもいいかも知れない。独特の辛さをともなっている。

 それから、みんなで自分に《ドッキリ》を仕掛けてきているように感じていたことがある。

 また、世界で何かが暗躍しているような底知れぬ恐怖が襲ってきて、それが終わらなかったことがある。

 それまでと異なった変な雰囲気を感じ始めると、それは何故かと僕は考えた。

 すると、例えばこうなる。

 変な雰囲気は、僕を監視するものである。街を歩く人たちが、ときどき鼻を触る仕種をしている。さきほどの人も、いまの人もそうだ。そうか、あれは監視する人どうしでサインを送り合っているのだな。やっぱり、僕が監視されているのは間違いない!

 人というものは、生活する中で自身の顔を結構頻繁に触っているものである。しかし、(偶然が重なると?)その或る仕種に意味を見出してしまうのだった。

 芥川龍之介の『歯車』では、語り手は「レエン・コオト」に、意味を見出してしまっているのだと思う。

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