二章(三)

「所長。お話ししたいことがあるんですけど、今、お時間よろしいですか?」

 一緒に海に行くと決意した私たちは、所長に話をつけることにした。

「奇遇だな。私も君たちに、話したいことがあるんだ」

 彼は私たちの繋いだ手を、ちらりと一瞥したが、表情も変えず、特に何も言ってこなかった。

「場所を移そう。ついてきなさい」

 応接室に通され、私と来実は隣同士で、所長はテーブルを挟んだ向かいのソファに座る。

「先に君たちの話から聞こうか」

「実は、海を見に行きたくて。それで、昼間の外出許可をいただきたいんです」

 所長は眉間にしわを寄せ、難しい顔をする。

「……私の一存では決められない。私が君たちに下している命令は全て、上からの指示だ。だから、外出したいなら、上の連中に許可を取る必要がある」

 そんなこと初耳だ。私はてっきり、命令は全て所長の判断で下されているものだと思っていた。だから、所長に対して、反抗心のようなものを抱いていたのに。それが全部、本社の奴らからの指示だったなんて。

 来実が来てからというもの、どんどん知らない事実が明らかになっていっている気がする。

「あいつらが、許してくれると思いますか?」

「……難しいだろうな。ただでさえ君は、心証が悪い」

 心当たりがあるのか、彼女は苦笑いを浮かべる。

「貴方が口添えしてくれれば、良いんじゃないの?」

「私は上の連中に信頼されてないからな」

 若くして、一施設の所長を任されているというのに、信頼されていないだって?

「なら、許可なんか必要ないわ。私たちは、勝手に行かせてもらうから」

 立ち上がり、そう宣言する。だが、彼は驚きもせず、冷静に私を見つめた。

「座りなさい、去果。そんなことをしたら、どうなるか。君も分かっているだろう」

 分かっている。臓器提供させられ、殺されるのだ。そんなことは、分かっていた。でも。

「ここで飼い殺しにされるより、マシよ」

 そう呟くと、所長の視線が急に鋭く厳しいものになる。

「死ぬのが自分だけだと思っているのか? 君がそんなことをすれば、来実も一緒に死ぬことになるんだぞ。君は来実を殺したいのか?」

 その言葉に、はっとした。そうだ。私の行動の結果は、自分自身だけでなく、来実にまで及んでしまうのだ。

 私は力なく座った。落とした肩を、来実が優しくぽんと叩く。

「それじゃあ、所長からの協力は得られないと。私たちで、上の連中に頼み込むしかないと。そういうことですね?」

「……そうは言っていない。実は、明後日の午後に、本社の奴らが来るんだ」

 本社の奴らは、二カ月に一度くらいの頻度で、この施設にやって来る。だが、前回の訪問から、二週間もたっていなかった。つまり、明後日の訪問は、例外というわけだ。まさか、私たちが夜な夜な出歩いているのが、本社に知られたのだろうか?

「奴らがどう出てくるか。それによって、どうすべきか考えたい」

 一応、所長は私たちに協力してくれるようだ。来実はほっと胸を撫で下ろした様子で、柔らかく口角を上げる。だが、私はそれよりも、気になることがあった。

「あの人も来るの?」

 そう尋ねると、彼は眉間にしわを寄せて、あからさまに嫌そうな顔をした。それだけで、返事を聞かなくても分かる。

「ああ。来る」

「そう」

 私も思わず目を細めた。

「とにかく、そういうわけだから、奴らの前では大人しくするように。特に、来実。君のことだぞ」

 名指しで念を押された来実は、にこりと微笑んで、首を傾げてとぼけてみせた。

「私が話したかったのはそれだけだ。君たちの方に、まだ何か話したいことはあるか?」

「いいえ。大丈夫です。お時間いただきありがとうございました」

 話しを終え、所長は部屋を出て行き、私たちだけが残される。

「ねえ、去果。聞いても良い?」

「何かしら?」

「あの人って、誰?」

 その問いに、顔をしかめずにはいられなかった。

 あの人と言って通じるのは所長だけで、彼女には誰のことだか分かるはずがない。あの人の話はしたくないが、隠すことでもないので、仕方なく答えた。

「……本部長様よ」

「本部長」

 来実が言葉を繰り返す。脳裏に忌々しい顔が浮かんできて、私はますます顔を歪めた。

「去果も所長も嫌そうな顔してたけど、その人のことが嫌いなの?」

「ええ、そうよ。私も所長も、あの人が嫌いなの」

「そんなに嫌な人なの?」

「上から目線で傲慢で、クローンを見下してバカにするような人よ」

 明け透けにきっぱりと告げれば、流石の来実も苦笑する。

「……本当に、嫌いなんだね」

「ええ。だけど、どんなに嫌いでも、言い返せないのが悔しいところね」

「どうして言い返せないの? 私たちが、クローンだから?」

「違うわよ。そうじゃなくて。……本部長は、所長のお父さんなのよ」

「えっ。そうなの?」

 私は無言で頷いた。

 本部長と所長は、私と違って血の繋がりのある親子なのだ。

「私があの人の機嫌を損ねれば、所長がとばっちりを受けるのよ。だから、何も言わないの」

 あの人は、毎回毎回飽きもせずに、所長に酷い言葉を浴びせる。親子だからなのか、自分の息子である所長に対して、容赦がないのだ。仲が良ければ違ったのだろうが、残念ながら二人の仲は悪かった。

 私は、あの人に責め立てられる所長を見るのが嫌だった。だから、私は何を言われようと、黙ってやり過ごすのだ。

「何よ。ニヤニヤしちゃって」

 ふと、来実を見れば、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、からかうような視線で私を見ていた。

 彼女は私の腕に抱き着くと、小さく笑って言った。

「ふふ。ううん。去果は本当に、所長のことが大切なんだなあって思って」

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