二章(二)

 その日の夜は、外に行かず、屋上で星を眺めた。来実と手を繋ぎ、固いコンクリートに寝転がれば、視界一面に満天の星空が広がる。

「すごい……綺麗だね」

「そうね」

 彼女の住んでいた大きな街と違い、ここは田舎で周りに明かり一つないから、細かな星までよく見えるだろう。

「去果は、流れ星って見たことがある?」

「あるわよ」

 小さい頃は、よく所長と天体観測をしていたのだ。特に、冬の流星群を見るのが好きだった。わざわざ外に出なくても、部屋の中から星が見られるのが、田舎の良いところだ。温かい部屋で、所長に抱きかかえられながら、流れ星を探して空を見上げる。それが大好きだった。

「お父さん、お父さん! 流れ星よ!」

 これはまだ、私が所長をお父さんと呼んでいた頃の思い出だ。

「去果。流れ星が消えるまでに、心の中で三回、願い事を言って御覧。もし三回言えたら、その願いは叶うんだ」

「三回も? できるかしら?」

「次に流れ星が見えたら、やってごらん」

「うん!」

 流れ星を見つけた瞬間、心の中で必死に願い事を唱える。

「どうだった?」

「無理よ。速過ぎるわ」

「ふふ。去果は、何をお願いしたんだい?」

「これからも、お父さんと一緒にいられますように!」

 無邪気な子どもだった私は、そう言って所長に抱き着いた。彼の大きな手が、私の小さな背中に添えられる。

「……あとね、お友だちがほしいって、お願いしたの。私と同じ女の子で、同じ年だと良いなあ」

「そうか。……寂しい思いさせて、すまないな」

「寂しくないわ。お父さんがいるから」

 寂しかったわけではない。大人たちしかおらず、しかも男性ばかりの環境だったから、もし同い年の女の子がいたら、楽しいだろうと思っただけだ。

「お父さんは?」

「え?」

「お父さんは、何をお願いしたの?」

「私は……」

 所長は悲しげに目を伏せて、黙り込んでしまう。

「お父さん?」

 彼は切なく微笑んで、私の頭を優しく撫でた。

 何を願ったのか、答えてくれなかったが、問いただすことはできなかった。あの頃の幼い私でも、薄っすらと分かっていたのだ。所長が何を願ったのかも、それが叶わぬ願いであることも。

「そうなんだ。良いなあ。私、見たことないから」

 来実の声に、過去から現在へと引き戻される。

「……冬になれば、流星群が見られるわ。冬の星が、一番綺麗に見えるのよ。一緒に見ましょう」

「冬、かあ。……私は、迎えられそうにないな」

「え?」

 思わず彼女の方に顔を向ける。彼女は困ったような、それでいて悲しげな微笑みを浮かべていた。

「去果も知ってるでしょ? クローンは長生きできないって」

「……知ってるわ」

 そう。クローンは長生きできない。難しいことは分からないが、染色体やら遺伝子やらに、何か原因があるらしい。ただ、それも研究段階で、まだはっきりとはしていなかった。

「私、あんまり良くないの。だからあいつらは、私を本社に連れて行きたがったんだ。死んじゃったら、提供できる臓器が減っちゃうからね」

「……臓器提供のことも、知っているのね」

 彼女はこくりと頷いた。

 クローンの最後は決まっている。人間に、臓器を提供するのだ。彼女の言う通り、死んだ後では提供できる臓器が限られる。だから、クローンが生きているうちに、取ってしまうのだ。当然、クローンは死ぬ。心臓までも、奪われてしまうのだから。

 では、クローンの臓器を移植された人間は、どうなのか? 長くて半年、短くて五分しかもたなかった。たった五分のために、私たちクローンの命は消費されるのだ。これまでも、これからも。

「死んでからあげるのは、嫌じゃないよ。それで誰かが生きられるのなら、それ以上のことはないからね。だけど……まだ、まだ生きてるのに、生きられるのに、どうして殺されなきゃいけないの?」

 彼女の眉間に、じわじわとしわが寄っていく。

「クローンと人間の何がそんなに違うのか、私には分からないよ」

「来実……」

 繋いだ手に、ぎゅっと力を込める。

 クローンと人間の違いは何か? 感情があって、見た目も変わらない。それじゃあ、何を以って、クローンと人間を区別するのだろう? 難しい定義はあるのかもしれないが、私には分からない。ずっと人間として生きてきて、人間と共に暮らし、人間を見てきた彼女には、もっと分からないだろう。

「あいつらは、私をクローンとしか見ないけど、所長だけは違ったの」

 その瞬間、彼女の顔がふっと穏やかになる。

「私がね、去果がどんな子なのか聞いた時、所長は何て言ったと思う? 君と変わらない、普通の女の子だって言ったんだよ。嬉しかったなあ。私と去果のことを、一人の人として見てくれてるんだもん」

「……貴女は随分と、所長のことが気に入ってるのね」

「ふふ。妬かないでよ、去果」

 からかうように、それでいて嬉しそうに、彼女は笑った。

 妬いている? いいや、そういうものじゃない。所長がまるで良い人のように扱われているのが、気に食わないだけだ。

 何も言わずに渋い顔をしていると、来実は身を寄せてきて、手を繋いだまま、私の腕に抱き着いた。

「心配しなくても、私の一番は去果だよ」

 私は空いている右腕を伸ばして、彼女の肩を抱き寄せた。しばらくそのまま身を寄せ合っていると、来実が静かに話し出す。

「去果。私ね、死ぬ前に、どうしてもやりたいことがあるんだ」

「なあに?」

 彼女の願いなら、どんなことでも叶えてあげよう。

「去果と一緒に、海が見たいな」

 息を呑んで、はっと彼女を見る。彼女は優しい笑みで、私を見つめていた。

「……それは、貴女のやりたいことじゃなくて、私のやりたいことじゃない」

 呼吸が上手くできず、言葉は詰まって、声は震える。

「去果、私はね。去果のことが、大好きだから。大好きな人の願いを叶えたいの」

 涙が一つ、ぽつりと零れ落ちた。嬉しかったのだ。私の夢を叶えようとしてくれることも、私を大好きだと言ってくれたことも。

「私と一緒に、海を見てくれる?」

 濡れた目元を拭い、私は笑顔を浮かべて答えた。

「初めての海は、貴女と一緒に見るわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る