第十六話 悪魔祓いの夜


 静謐な夜、運命の序曲が始まる。季節外れの桜が、夜空に幽玄な光を放つ。


 空気は、見えざる怨霊が刃を振るい、魔笛の旋律を奏でるかのような、不穏で神秘的な雰囲気に満ちている。


 野々村は恐れを知らず、気味の悪い怨霊の前でも動じなかった。園長の幸子は、子供たちを守るために死を覚悟していた。彼女の表情は清々しく、その笑顔の裏には強固な決意が隠されていた。安田は、悪魔祓いの戦友である彼女に寄り添い、不安そうにその姿を見守っていた。


 幸子は、ひよりの母親から託されたメタセコイアの種一粒を、ハンカチで包み込んで大切そうに持っていた。それは、悪魔祓いが終わり、ひよりが精霊として新たな生を受けたとき、幼稚園の聖地に植えられるべき永遠の命の象徴だった。


「星なんか見たことないでしょう。ほら、あそこ……」


 百合子は悪魔祓いのなりゆきを彷彿させるような儚くも美しい星座の物語を話してくれた。その声に導かれるように、野々村は人生の最期になるかもしれない夜空を見上げた。


 靄に煙る夜空で、オリオン座のそばにある四つの星が、うさぎの形を描いて静かに輝いていた。その光景は、古代ギリシャの伝説を彼の心に蘇らせた。かつて、うさぎはオリオンに仕える凶暴な魔物に追われ、ブラックホールへと吸い込まれる運命にあったのだ。


 しかし、天界の秩序を守るゼウスがその悲劇に怒りを覚え、心優しい神々は全能の力を使い、魔物の刃を封じ、ブラックホールから天へと続く希望の橋を架けた。そうして、暗黒から救い出されたうさぎは、星座として空に輝く新たな生を得た。


 野々村は、自分が粗野で落ち着きのない男だと認識していた。だが、この百合子の話した物語を耳にすると、怨霊になってしまったひよりの姿が心に浮かび、胸が締め付けられる想いがした。


 ひよりの母親は、洗礼を受けた教会の牧師と現れた。今日ここに集った七人は各々の熱い想いを抱いて駆けつけた雄姿だった。


 牧師は祓魔師としての装いを身につけ、ふたりの命を奪った古井戸の前に跪いた。魔法陣をうさぎ座と同じ形に描き、悪魔祓いの段取りをメンバーに確認した。


「この古井戸には、呪いがかかっている」


 牧師は神妙な顔をして、十字を切ると、そう口にした。


 彼の説明によると、悪魔祓いを成功させるためには、三つの条件が必要だった。まず、魔法陣の周りに結界を張り、自らを守る。次に、神の力を信じ、時には命を捧げる覚悟を決める。最後に、聖書に記された呪文を一字一句間違えずに唱えること。参加者のひとりでも呼吸がずれれば、悪霊がその隙に乗じて身体を乗っ取る。


 牧師は、魔法陣の先頭にひよりの母親を、次の列に野々村、百合子、安田の三人を配置した。最終列には、幸子さんと百合子の母親が、澪ちゃんを挟むように立たされた。この並びで本番を迎えていくという。


 牧師は悪魔祓いの呪文をリードしながら、メンバー全員の状況を見守り、支える役割を担った。野々村は皆と相談し、七人でこの悪魔祓いに参加することを決めた。


 牧師から聖書が手渡され、皆は緊張しながらも、悪魔祓いが始まる前に呪文を詠唱し、心に刻んでいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る