第3章/白き神官 第3話/三文芝居の名優

   一


 と、ここでワディ大神官は、ふと何かを思い出したかのように、首をかしげた。

「……じゃが、アサド殿の陣は本来は左翼だったのう、軍師殿?」

「はい、傭兵部隊と農民兵の混成部隊は、左翼に配置されて、主に戦車部隊の迎撃と、敵の突撃を阻止する役割を担っております」

 促されてヴィリヤー軍師は、渋々答える。

 やや融通は利かない面はあるが、誠実な青年でもある彼が、問われれば正直に答えるしかない。ウソは言っていない。


「うむ、そうであろうのう。いかに自軍全体の危機とはいえ、左翼を放ったらかして右翼を救出したというのでは、本末転倒じゃの。左翼の被害はさぞや甚大であったろう?」

「左翼の陣の戦死者はいないよ。負傷者が三名だけさ!」

 ミアトが食い気味に、即答する。小鼻を膨らませ、右手の指を三本突き立てて、高く掲げる。

 

「そうか、ミアトも奮戦したようじゃのう。その数に間違いはないですな、宰相殿?」

 クルリと踵を返し、咄嗟に振られた宰相は、しどろもどろになるしかなかった。

「そ、その報告は、未だ受け取っておりませぬ故、わかりかねます」

 今度は、宰相が大神官に詰められる番であった。

「ほほう、戦況報告も受けずに、論功行賞とは面妖な…。さような評議は古来、聞いた事もないが」

 咄嗟の言い訳が、かえって自分の立場を危うくする結果となってしまった。

 大神官の無邪気な、だがなにもかも見すかすような眼に耐えられず、宰相はうつむいた。


「誰か、左翼の損害状況の正確な報告をできる者はおらんのかのう?」

 顔をあげ、広間全体を見回すように、大神官が問う。

 沈黙が大広間に満ちる。

「おや、どうなされた? まさか損害も把握せず、このような場を設けられたのかな?」

 言葉は穏やかだが、寸鉄で急所を深々と刺すような、鋭さがある。

 沈黙が大広間に満ちる。



   二


「せ、僭越せんえつながら…私、死者はなかったとの報告を、受け取っています」

 沈黙に耐えかねたように、ファラシャトの近衛隊の、副官がおそるおそる答えた。

 立場的に、彼が答えるような内容ではない。

 だが、この場の重苦しい雰囲気をどうにかするには、彼が泥を被るしかなかった。

 放置しておけば、ファラシャトが口を開きかねない。それは避けたい。

「ミアトの言葉に嘘はなかったのう。──して、右翼の損害は?」

「は、戦死者は百数十名、負傷者は千……」


「もうよい!」

 苛立った太守の大音声が、広間に響いた。

 近衛隊の副官が、弾かれたように直立不動になって、粘っこい冷や汗を吹き出している。立場上仕方がないとは言え、哀れである。

「どうやら、わしに正確な報告をせなんだ者がおるようじゃな」

 太守の声には、何故かどす黒い怒りが滲んでいる。

 それが、誰に対する何の怒りかは良くわからないが。……


 ワディ大神官に向き直ると、太守は満面の笑みを浮かべた。

「大神官殿、まったく恥ずかしいところを、お見せいたした。まさしく今回の戦いの武功第一は、アサド殿に疑いない。わしに虚偽の報告をした者は、後ほど厳しく罰するとして───」

 言いながら太守は玉座から降りると、アサドの元まで歩を進めた。

「大臣の非礼、赦してもらえるであろうか? 全ての責任は報告の内容を確かめなかった儂の落ち度…どうか」


 大守は満面に笑みをたたえ、アサドの手を握りしめる。

 一国を統べる者が傭兵に与えるとしては過分な礼であった。

 太守の手をスッと振り解くと、アサドは膝を屈し頭を下げ、太守に改めて臣下の礼を執った。

「ウルクルの勝利の前には、私の武功など取るに足りぬ事。どうぞお気になさらぬように」

 無駄がない動き。

 優雅でさえあった。



   三


「おお、高潔な士じゃ、アサド殿は。褒美は望みの物をなんなりと……」

 大げさに驚いてみせる太守の三文芝居に、アサドは付き合って、とんでもない言葉をスルスルと吐いた。

「此度の戦でアル・シャルク軍は動揺しております。しかし北方方面軍総司令イクラース将軍が到着次第、体勢を立て直しましょう。もし頂けるのであれば、金品よりも軍議への参加の資格を戴きたく」


 アサド言葉に、ヴィリヤー軍師の唇がった。

 見事なタイミングであった。

 金でも、名誉でも、女でも、いくらこの男にやったところで、しょせん傭兵は傭兵である。

 ウルクル軍にとっては、使い捨ての駒にすぎない、幾らでもやろう。

 だが、ウルクルの軍議に関与できる地位を要求してくるとは……。


 この男、単に腕力だけの傭兵では、断じてない…!

 ヴィリヤー軍師の胸に去来したのは、この鋭利すぎる男への本能的な警戒心であった。

 だが、軍師の懸念など知らぬげに、太守は満面に笑みを浮かべていた。

「おお、おお。それは心強い! なにぶんにも戦下手の我らゆえ、貴公の経験はまたとない助成じゃ。こちらからお願いする次第じゃ」

「太守がそうおっしゃるなら、間違いないのう。アサド殿、問われたことに誠実に答えることじゃ」

 さらに、大神官がさりげなく、念押ししてくる。

 まるで、アサドと最初から脚本を読み合わせしていたかのような、当意即妙な返しである。


「さっそく、手配するがよい、のうヴィリヤー軍師?」

 無邪気にそう言う太守に、とても反対などできない。

 いや、この場でそんなことを言えば、アサド追い落としの首謀者が自分であるかのような、いらぬ嫌疑を呼びかねない。

 ヴィリヤー軍師は、彼にとって最も屈辱的な言葉を、選択せざるを得なかった。

「それは…こちらとしても、お願いしたかったこと。さっそく明日からの軍議から参加していただこう」



   四


 ワディ大神官とアサドのやり取りを、離れた位置に立つサウド副官とジャバーは、静かに見守っていた。

 もし、アサドが拘束された場合、この大広間から赤獅団の面々が脱出できるよう、逃げ道を確保すべく位置取りを変えていたのだ。

「大神官様も人が悪い。太守もアレでは退くに退けまい。策士ですなぁ」

「わしとアサド殿が初めてであったときは、妖魔ジンの退治を請け負う、仲介人だったがな」

「は? まさかあの大神官、偽者ですか?」

 サウド副官の言葉にジャバーは、戸惑った。


 サウド副官と、ジャバーが、瀝青の丘に登ったあの日。

 西からやってきたのが、太陽神殿の巡回使節一行であった。

 一般的な使節団の大きさに比較して、倍する供と護衛の数に、サウド副官はそれが大神官の一行であることを見抜いていた。

 であるならば七分の一の確率で、旧知のワディ大神官である可能性がある。

 あの時、サウド副官が口にした秘策とは、大神官のことであったのだ。


 あの地震の直後、サルークの犬部隊に救出されたサウド副官とジャバーは、治療にかこつけて、太陽神殿の巡回施設に助けを求めた。

 病人やケガ人の祈祷は、太陽神殿の神官の責務でもある。

それは巡幸中でも同じである。

「もしや、この巡幸使節団はワディ大神官の、一行ではござらぬか?」

 サウド副官にそう問いかけられて、逆に神官の護衛兵が驚いた。

 そこから後は、話が早かった。

 大神官の牛車──と呼ぶには、ちょっとした一軒家ほどの大きさを誇るそれに、サウド副官のみ、招き入れられ、何やら話し合っていた。


 ジャバーにさえ、その内容を明かさなかったサウド副官であったが。

 この事態を予想しての、戦の見届け人的な役割を依頼していたとしたら、この軍師は恐ろしい。

 ウルクルの太守の人柄、宰相の立場、ヴィリヤー軍師の性格まで見抜いて、先手を打っていたとしたら。

 こんなちっぽけな傭兵部隊の、軍師であるはずがない。

 まるで大国の総参謀ではないか。

 いったい、赤獅団とは何者か?


■ 第3章/白き神官 第3話/三文芝居の名優/終■


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