第2章/黒き軍団 第6話/赤獅と黒蠍の剣

   一


 バルート副司令官のこめかみの血管がプクリと太さを増した。

 癇癖かんぺきでもあるのだろうか、語調が突然、怖いものを含む。

「ウルクルの腰抜け共を相手に、苦戦だと? 軍の中に勝手な行動をとった者でも出たのか?」

「当初の作戦どおり、敵の混乱に乗じて正面から攻撃を仕掛けています!」

「それでは側面からの伏兵か?」

「敵の兵は増えておりません。それどころか右翼と中央に援軍をまわし、実質的には数が減っております。ですがこちらは押される一方で……」


「なんじゃあ? そりゃあ!」

 怒声と共にバルート副司令官は戦車の中で立ち上がった。一気に興奮状態になったのか、頬が紅潮し唇の端が引きつる。

「すると、敵は左翼に自軍の精鋭を集める戦法に出たのか………敵の装備はどうなっているんだ?」

「それが、鎧も満足に着ておらず、どう見ても急場しのぎに掻き集められた、農民兵のよ……うぎゃあああああっ!」

 絶叫を残して、伝令がドウッと倒れ込んだ。

 目の前の危険を頭で理解するよりも先に、バルート副司令官の身体が反応した。


 咄嗟に戦車の手綱を引っ張って大きく迂回うかいを試みる。

 彼の右で、もう一頭の馬を御す兵も同調した。

 敵兵は近くにいる! 

 武人の本能がそう叫んでいた。手綱を引き絞った瞬間バルートの背筋をゾクリと悪寒が走った。

「いかん、伏せろ!」

 バルートの声が飛ぶ。

 その声に右手の御者は、慌てて戦車の手綱を引きながら頭を低くしたが、間に合わなかった。

「ぐえ!」

 奇妙な声を残して御者は前のめりに戦車から落ち、右の車輪をその体に乗り上げさせた戦車はバランスを失って横転した。


「く……どうしたというのだ!」

 戦車から飛び下りたバルート将軍のこめかみの青筋が、一段と太さを増した。今にも血管を破って赤黒い血が噴き出しそうだ。

 だが、転がった御者の身体に目をやって、彼はサッと身構えた。

 その身体には首がなかった。

 明らかに鋭利な刃物で漸撃されていたのだ。

「うわあっ!」

「ぎゃああ」

「な…何だ、おまえは!」

 前を走っていた戦車部隊から、怒号と悲鳴が湧きおこったのはその時だった。



   二


 砂塵の中から、バルートの目の前に丸い物体が飛んできた。

 反射的に振り払ったその物体は、ぬるりとした液体を彼の顔に吹き付けた。

「うッ……!」

 それは、飛び出さんばかりに目をむいた兵士の生首。

 飛び散ったのは脳髄。

 何かが、この男たちの首を刈っているのだ。何かが……

「くう?」

 吹きつける殺気に、バルート将軍が御者の死体を持ち上げ楯にした瞬間、手に微かな衝撃を感じた。

 #何か__・__#が、御者の死体にぶつかったのだ。


「これか……」

 銀色の鋭利な刃を見せて、鉄製の輪が御者の身体にめり込んでいた。

 戦輪チャクラムと呼ばれる、西方の武器である。

 人差し指で回し、加速をつけて敵に投げつける。人間の喉や馬の脚を狙う武器ではあるが、このように人間の身体に深々と突き刺さることは、ありえない。

 一陣の風が、目の前の砂塵を振り払った。

「!」

 信じられぬものを目にして、バルートの両眼がかっと見開かれた。


 砂塵の中から現れたのは、赤い巨馬に乗った隻眼の戦士であった。

 手にした杖の先端近くの、鉄の刃物からは、おびただしい量の血糊がつたっている。

 この男の後ろに控える数名の男たちも皆、馬に騎乗し、中には先程の戦輪を両手で回している者もいる。

 北方の遊牧民ならともかく、戦場で馬を駆る騎兵の存在を眼にするのは、幾多の戦場を経験してきたバルート副司令官にしても初めてであった。


 もちろん、草原と遊牧の国であるアル・シャルク本国には、特殊な訓練を受けた騎兵部隊がいる。

 だがその精鋭の騎兵でも、馬上でこのような長大な武器を自由自在に使いこなすには、よほど天賦の才がなければ不可能なことであった。

「き…貴様は!?」

「ウルクル軍傭兵部隊長アサド…」

「まさか!」

 バルートの目に驚愕の色が浮かぶ。



   三


 あまりにも速すぎる!

 戦端を開いた場所から彼の陣地まで充分すぎる距離を取っていたにも関わらず……

 この男は無造作に自分の眼前にまでやってきたのだ。

 一瞬の驚愕の後、本能的にバルートは腰の半月刀の鞘を払うと、右肩に担ぐように構え、左手の盾を身体の前にかざした。

 構えに無駄がない、実戦経験豊かな武人の動きである。


 どこか遠くを見るようなアサドの眼が、急に黒い輝きを放った。

「その盾の黒いアクラブの紋章……貴様、アーバス家の血に連なる者か?」

「いかにも! 我が名はバルート・アル・アーバス。誇り高きアーバスの血を受け継ぐ者なり!」

 アサドが手にした鉄戈をゆっくりと地面に突き刺した。

 巨大な赤馬の背から滑り降りると、背中の長剣に手をかけ一気に引き抜き、構えた。


 それは武器と言うにもあまりに優美な鉄剣である。

 僅かに反りを持った刀身の全長は6キュビットを遥かに超え、長身のアサド本人を僅かに下回る、長大さである。

 しかも反りを持ちながらも片刃ではなく、刀身の背の半ば以上にも、鋭利な刃が認められる。

 剣とも刀ともつかない異様な武器。

 それ以上に異様なのは、その把手つかの長さであった。

 柄木にラピスラズリと金を象眼されたそれは、およそ1キュビット半。

 全体の4分の1を把手が占めているのである。

 普通、諸刃の直刀であれ片刃の半月刀であれ、基本的には片手で操作するため、把手の長さは半キュビット──一掴み前後である。


 アサドの長剣の把手は非常識な長さであり、その形状がまた奇異であった。

 湾曲のある刀身の形状が似ているシャムシールという剣なら、刀身の反りとは逆向きに把は反っている。

 それは片手による斬撃を考えると力を効率的に刀身に伝えるには理想的な形状である。

 だが、アサドの剣の把は刀身と同じ方向に反っているのだ。

 また、シャムシャールは柄頭つかがしらには〝獅子の尾〟と呼ばれる丸い装飾物が施されている。

 獅子の尾は装飾的な美観と共に、剣が手からすっぽ抜けるのを防ぐという実務的な役割をも持つが、アサドの剣の把は柄頭に被された兜金と呼ばれる金環に紐を通しているだけであった。

 房状になった絹の紐が、風に揺れる。



   四


「はて? 俺も無数の異国の剣を見てきたが、そんな奇妙な剣は初めてだな。それほどの長剣、きさまにまともに操れるのか?」

 あざけるようにバルート副司令官が言った。

「俺にはちょうどいい長さだ」

 アサドが返した。


 片手での剣の操作を考えると、その刃渡りは必然的に人間の腕とほぼ同じ長さになる。

 剣の重さが生み出す慣性力を有効に活用しようとすれば、これが限度であった。

 長く、重い剣は強大な破壊力を産む。だが長すぎる剣は俊敏に動かすのも難しく、それ以上に止めることが困難なのだ。剣技という点から見ればいくら巨大な破壊力を産もうとも、自在に操れない剣は危険すぎる。

 首切り役人が振るう剣が長大であるのは、動かない人間を斬るためにはいかに一撃で斬れるか…が重要であって、敵が反撃してくることは考慮する必要が無いからであった。


 アサドの剣は、通常の剣をそのまま二倍の大きさに拡大したたような姿であった。

 長剣は、通常の剣をそのまま等倍していけば良いという物ではない。

 長くなることで微妙な重心のバランスが変化するため、それに合わせて各部分の比率が変化するのだ。

 バルート将軍が見る限りアサドの長剣は、身長が16キュビットを越す巨人が使うのであれば、ちょうど良い大きさであると言えた。

 アサドはゆっくりと剣を両手で握りしめると、左足を半歩前に出し半身の構えになった。長剣を右肩に水平よりもやや切っ先を上げて、担ぐように構える。


 右手は鍔から指一本分余して握り、左手は柄頭の金環を手のひらで包み込む。

「何だ、その構えは?」

 確かにこの巨大な剣は両手でなくては操れないだろう。だが……

 バルート将軍はゆっくりとアサドの正面から左へと移動した。左手にくくりつけた円盾は表面に鉄を被せてあり、その曲線のために通常の剣では切り込むことさえ不可能だ。

 アサドが一撃を加えてきても、左手の円盾で受けとめて懐に飛び込み、半月刀での斬檄を加える…それがバルートの戦法であった。

 間合いを計りながら徐々に歩を進めるバルートが、急にその動きを止めた。

(こやつ…なぜ動かん?)


■第2章/黒き軍団 第6話/赤獅と黒蠍の剣/終■

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