第24話 大根王子Ⅱ 九

 小舟が砂浜に乗り上げた衝撃でアルベルトは意識を取り戻した。

「ここは……」

 夕方の小さな海岸は、木と岩に囲まれて人目に付かない場所だった。アルベルトは小舟に残った最後の食料をかき集めて袋に入れると、陸地に降り立って藪を抜けて道に出た。右手に明かりと四角い建物が集まっているのが見える。

「良かった、町の近くか……」

 あれから三日ほど漂流し、今はもう夕方だ。涼しい。大根を手に入れ一刻も早く南の島へ戻らなければならない。しかし今日はまず宿を確保しなければならないだろう。アルベルトは明かりを目指して歩いた。

 町に入るとすぐにアルベルトは異変に気付いた。城でもないのに周りの建物が自分の大陸の物よりも背が高い。四階建てや五階建ての建物まである。建物の壁にびっしりと金色や錆色の金属菅や歯車が繋がっていて、射出口からもくもくと煙が上がっていた。道は石で整備され、中央には鉄をふんだんに使った馬車が行き交っていた。金属の塊に車輪が付いた乗り物に乗って走っている人がいてアルベルトは目を見張った。

 鉄と金属管と煙の町。そんな印象だった。

(やはり僕がいた大陸ではないのか)

 また違う島に着いてしまったようだ。空は暗くなって来たのにも関わらず、建物の中は皆明るかった。

(松明……じゃないよな)

 道行く人や店の客は黒い外套や上品なスーツを着ているが、ゴーグルやマスクのような物を着けている者が多く、どこかアンティークめいた雰囲気を感じさせた。貴族の町なのだろうか? 店の中をチラリと覗くと、光を発しているのは壁や天井に付けられた球体だった。

(何か魔法のような力が町に働いている。それが明かりを生んでいるんだ)

 アルベルトはあちこち見回しながら宿を探した。建物や看板に書かれた文字は自分達と同じ文字で、すれ違う人達から聞こえて来る会話は同じ言葉だ。アルベルトは異国でも言葉が通じる事に安心した。

 やがて看板に「HOTEL」というチカチカした文字を見つけて、アルベルトは五階建ての古びた建物の中に入った。受付には金縁の老眼鏡をかけた老人が座って新聞を読んでいた。

「すみません。部屋を借りたいのですが」

「ああ。空いてるよ」

 アルベルトは財布を取り出した所でふと疑問が湧いた。

「あの……僕は外国人なのですがこのお金って使えますか?」

「どれかね?」

 アルベルトはフェルトで流通している硬貨を取り出したが、老人は見るなり首を振った。

「駄目だね。そんな金見た事が無いよ。どこの国かな?」

「フェルトです」

「フェルト……ちょっと分からないな。すまんね」

 この国ではこの金は使えない。アルベルトは突然自分が無一文になってしまった事に気付き愕然とした。

「悪いね。うちも商売だから。大使館に行ってみるといい。あそこの角にいくつか固まってるから」

「大使館……というのは?」

「他の国からの人間がそこに駐在して外交を担当する建物だよ。君の国の大使館に行けば泊めてくれるだろう」

「ありがとうございます」

 アルベルトは外に出た。言われた通り大使館のある区画に行ってみた。フェルトの王になってからは北大陸の統治の為に奔走し、他の国との外交についてはまだ大臣に任せっきりできちんと把握できていなかった。アルベルトは大使館という施設の事もよく分かっていなかった。

 鉄の門がそびえているそれぞれの建物には見知らぬ国の旗が並んでいる。予想はしていたがフェルトの旗は無い。

(無いか)

 アルベルトはあてもなく歩くと少し開けた場所に出た。中央に噴水があり、人気はまばらだが日暮れ前の憩いの時間を楽しんでいる。公園のようだ。

(仕方ない。今日はここで野宿するしかないか)

 公園の端に置かれた白いベンチに座って一息ついた。食料が残っているうちに金を何とかして作り、大根を手に入れなければならない。そして船に乗って南の島か自分の大陸に戻らなければ。あの島には定期便など出ていないだろう、南の島に行くには船をチャーターしなければならない。

(それに大根を手に入れてもあの島ではまたすぐに傷んでしまうだろうな)

 どれも現実には難しいと分かるとアルベルトは途方に暮れた。噴水を眺めているとカタリナとの楽しい王宮の日々が思い出されて寂しくなった。

(カタリナは今どうしているだろうか)

 暗くなると人が減って来た。アルベルトはベンチに横になり眠ろうとした。

 ふと自分に近付いて来る足音と杖の音がしてアルベルトは目を開けた。

「やっぱりここにいたか」

 顔を上げると先ほどのホテルの老人だった。

「言ってからフェルトの大使館は無かった事に気付いてね。野宿するならここだろうと思ってな」

「明日から何とかお金を工面して国に帰るつもりです」

「そうか。生意気な客ならともかく、大使館も無い国の無一文の人間を追い返してそのままというのはちょっとな。来なさい。客室は駄目だが私の部屋で一晩休んでいくといいだろう」

「え? いいんですか?」

「ま、暇な老人の話相手になってくれというのが条件だがね」

 老人は帽子をクイッと動かしておどけた。アルベルトは笑みをこぼした。

「さ、ホテルに戻ろうか」

 立ち上がるとアルベルトは手を差し出して老人と握手した。

「ありがとうございます。僕はアルベルトです」

「私はトーマスだ」

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