5-5

 幕が上がると同時にドラムのカウントが始まり、闇の中を光が縦横無尽に駆け巡る。盛大な拍手が鳴り響く中、激しいギターのリフが奏でられた。

 ステージの中央で、エレキギターを弾きながら真桜が歌う。

(真桜)

 いま、龍士の目はほとんど見えていない。

(やっと会えた)(俺だよ)(わかるかい?)

(兄貴)(いるね)

 光に満ちたステージ上からは薄暗い観客席の龍士をなんとか発見した真桜だが、それでも龍士に注目し続けているわけにはいかない。音楽を奏でる。来てくれた観客のために、これからの自分の活動のために、そしてその先に待っているであろう龍士との再会のために、真桜は全身全霊で歌を歌う。圧倒的な集中力でもって龍士を思いながらも歌を歌う。音楽を奏でる。ステージを作っていく。

 音楽には疎い秀明だが、いい曲だと思った。真桜のことを知らなかった秀明は事前にインターネットで彼女のことを軽く調べたが、どうやらブリティッシュ・ロックを基調としたポップス歌手として彼女はデビューしたらしい。シンガーソングライターであるからこの曲も真桜の作詞作曲なのだろう。マイナーコードのメロがサビでメジャーになる。歌詞に注目して聞いてみると、どうやらこれは失恋ソングのようだった。恋が終わった女が別れた彼氏に対してもはや何の未練も残していないというのが曲のテーマだった。

 精神感応能力者としての秀明は会場中が真桜と龍士の強い精神力を軸に観客たちの精神の動きでこの中ホールが満ち満ちているのを感じていた。秀明は能力を全開にするが、このたくさんの波動の中で龍士と真桜の心をピンポイントでキャッチすることはなかなか難しかった。うっかりすれば冴の心まで読み取ってしまいそうなほどの感情、思考、直感その他の心たち。それでも秀明は龍介を挟んだ龍士と、ステージの上で懸命に歌を歌う真桜に意識を集中させる。そこにあったものは、紛れもなく双子の兄妹としての強い絆だった。

(真桜)

(兄貴)

 二人の想起域には、真桜の恋人であり龍士の友人である良晴よしはるという少年のイメージが多少浮かんだが、二人が彼に意識を向けることはほとんどなかった。だから良晴少年がどういう経緯を辿って真桜と遠距離恋愛になり、どのようにして龍士とインターネット上での友人となり、なぜ良晴が死亡し、それから龍士がどういった流れで真桜にメールをし始めたのか、そういった細かいことまでは秀明には遂にわからなかった。ただ真桜は良晴の死をはっきりとは確認していないことは微かながらなんとか読み取ることができ、であるのであればなぜメールの主が遠距離恋愛中の長年会っていなかった兄であることがわかったのだろうと秀明は疑問視する。だがそれは、あるいはというだけの認識だったのかもしれない、となぜだか思いついた。あるいはこれは真桜の無意識が秀明に流れ込んできたのかもしれない。だからインタビューで兄と連絡を取り合っていることを喋っていれば、もしそれが想像通りであればいつか真実を龍士が伝えてくれるのかもしれないと思っていたということを、歌声に圧倒されながらも秀明は読み取った。

 真桜にとって良晴のことは龍士という優先順位の上位に比べれば明らかに下位に相当していた。いや、元々は圧倒的第一位だったのかもしれないが、龍士のことを考えることで直接会うことのできなくなった恋人に対する意識が薄れていったということなのかもしれない。確かに連絡は日々取り合っている。だが、恋人としての真桜はなんとなくその文体に違和感を覚え続けていたのかもしれないと秀明は推測する。そこで一気にメールの主が龍士かもしれないという突拍子もない発想が浮かび、それに取り憑かれてしまった。そして実際にそれは現実の出来事だった。

 とはいえ、いま会場の龍士を発見したからといって、それでメールの主が龍士だという確信を抱いたわけではない。その件で真桜の頭にあったのは、もしそうであるなら私はとても幸せなのに、という望みだけだった。

 一方で龍士は良晴のこと自体をほとんど考えず、そこから真桜に関するあらゆる連想を重ねていた。秀明が事の詳細を知るためには本人に直接質問する以外になさそうだった。それだけ龍士は真桜のことと真桜の思い出といま真桜の奏でる音楽に魅了され同じ芸術家としてその実力と才能に圧倒され続けているのだった。

 いつの間にか二曲目。先ほどとは違い全体的にポップでミドルテンポ。歌詞はどうやら子ども時代のときめきについて描かれているようだった。二曲目も、そして同じくミドルテンポでややマイナーコードの三曲目も、ずっと龍士は姿を見ることのない真桜を応援し続けている。

「皆さん、こんにちは。草加真桜です」

 その三曲目を終え、真桜はMCを始めた。拍手が鳴り響く。

「今日は来てくれてありがとうございます」

 ドラム。

 やや空間が静かになり、真桜は続ける。

(兄貴)(そこにいるね)(本当、懐かしいよ)

 ようやく真桜の意識をピンポイントでキャッチでき、秀明は彼女のMCを聞きながら心を覗く。

「凱旋コンサートということで、今日ここにいます。私はちょっと前までここに住んでたんです。だから、本格的なお披露目の場所はどうしてもこの街にしたいと思っていました」

 真桜はまず児童文学で賞を取り、その挿絵を自分で描いたことからイラストレーターとしての仕事が始まったようであり、そのタイミングで一年前にレコード会社に送ったデモテープをたまたま発掘され、そしてレッスンを受けたのち最近になってメジャーデビューをしたらしかった。もっともそれら全ては龍士のためだけではなく、あくまで本人のクリエイターとして生きていきたいという思いが先にある。ただ、自分が有名になって、早く大人になれたら、そうしたら親の目など気にせず仲の良かった双子の兄にまた再会できるという願望も間違いなくそこにあった。

 それならなぜ彼女はいま龍士に会いに来ないのだろう。秀明の頭に浮かんだその疑問に答えるかのように、真桜はMCを続けていく。

「私には双子の兄貴がいまして、いろいろあってずっと会えていなかったんですけど。兄貴は絵描きを目指していて、きっといまも目指していてくれていると思うんですが、いつか有名な画家になったらまた会おうって言ってくれて」(夜盲症)(どうなってるんだろう)(私が会いに行ったら、きっと兄貴の、絵描きとしてのプライドが)(乗り越えて)(賞を取ってるのは知ってるから)(だから兄貴もここに来て)「だから、もしいまここにいたら、いまはきっとまだ会うときじゃないんだよ、と、思います」

 ややがっくりきたようだったが、その言葉はかえって龍士の絵描きとしての心に火をつけた。真桜の視線は龍士を捉えるが、きっといまは見つめ合うことはできないだろうとわかっている。龍士はまっすぐに目を真桜に向けようと努力したが、やはりこの観客席側が暗闇に包まれている中で視覚的に認識することはできないようだった。

「でも、きっと会えるよね」(だよね)

(会いに行くよ)(絶対)(絶対に)

 この二人は結局似た者同士で、似たような気質の芸術家なのだな、と秀明は思う。

 自分たちには時間がいくらでもあるのだと信じきっている。だからいまはまだそのときでなくてもいい、それより夢を叶えたあと再会を約束通りに果たそう。そう思っている。秀明はやはり一週間後に死んでしまうのかもしれないのだから会えるうちに会ってしまった方がいいとどうしても思ってしまうが、しかしそこは二人の芸術家としてのプライドが許さないのだろう。真桜は龍士が絵描きになれないはずがないと思っているし、龍士は龍士でかつて真桜と果たした約束をなによりも大切な人生の指針としていた。今後自分たちの身になにかよくないことが起こって二度と会えなくなるかもしれない、という可能性のことを二人はほとんど考えないようにしていた。そんな可能性よりも自分たちの可能性を信じていた。だって自分たちは双子で、一緒に生まれてきたのだから。そう信じていた。

(まあ、好きにすればいいさ)

 秀明はなんだか微笑ましい気持ちでいることにした。おそらく龍士も真桜も自分のアドバイスなど聞く耳を持たないだろうし、そもそもこの兄妹の問題は自分には関係のないことだ。いま、龍士は偽装メールのことなど完全に忘却しているし、真桜は真桜で愛する兄を発見したいま会えない恋人のことなどどうでもよさそうだった。二人だけの世界があるのだろう。あるいはそれは双子という関係から来るものなのだろうかなどと秀明はこれまで読んできた双子が登場する物語をいくつか思い返す。この二人の間にあるものは恋愛感情ではなくあくまで家族愛ではあったが、芸術家としてのエネルギーがまるでその想いを恋愛のようにそれぞれに根付かせていた。あるいは両親が(くだらない理由)で離婚し会えなくなってしまったということがかえってそれぞれの芸術家魂に火をつけたのかもしれず、あるいはメールの件がある種のドラマチックかつロマンチックな衝動を二人に与えたのかもしれなかった。いずれにしても秀明は、なんだかよくわかんないけどご馳走様、という気分だった。もう好きにすればいい。この先もしどっちかが死んでしまって会えなくなっても、それも音楽や絵の肥やしにすればいいのさ。あくまで他人事の家族愛を覗き見して秀明はやや呆然としてもいたのだった。

 でも、羨ましいという気持ちもある。さっきも思ったことだが、ここまで全身全霊に一つのこと——真桜は三つだが——に集中できるというのは幸せなことなのかもしれないとも思うのだ。自分はそこまでなにかに情熱を燃やしたことはない。呆れながらもそこに羨望と嫉妬と憧憬が生まれているのもまた確かだった。

「というわけで、次の曲です。今日は最後まで楽しんでいってください!」

 拍手が鳴り響き、四曲目。

 コンサートはまだ終わらない。だが、秀明の用事はもう済んでいた。結局大した事件などなにも起こらず、なんでもない日常の一コマだった。ただの未熟な若者たちの青春時代という本のページをめくったに過ぎなかったな、と思うと、それはそれでどこか感慨深かった。なぜなら、それでも物語は続くのだから。そこから自分はなにを読み取るのか、ということが、読書の醍醐味なのだから。


「いやぁ、盛り上がったね。楽しかったな〜真桜のやつ、相変わらずすげー歌だぁ」

「中学生のときから歌がうまかったんでしょ。あたしライヴって初めてだったけどちょっと火照ってるよマジで」

 コンサートを終え、夕方。龍介と七瀬が感想を言い合う中、龍士はだんだん見えなくなっていく目でホールを振り返った。

「どうした龍士」

 そう声をかける龍介に、待ってましたというふうに龍士は答えた。

「俺さあ。イタリアに行こうと思うんだ」

「えっ」と龍介は目を剥く。

「いまの自分がやれることを全力でやるってことが全力を出すってことなのかなぁ、みたいな……俺、やっぱり俺もあの舞台の上に立ちたいよ」

「絵描きは舞台の上に立たないでしょ」

「いやそういうことじゃなくて」

「でも、うん。いいと思う」

 龍介はグッドサインを示した。

「俺は応援するよ」

「ありがとう」

 秀明は今後偽装メールはどうするつもりなのだろうかとふと思ったが、思うだけにとどめた。龍士がイタリアへ旅立つということ以前に、もはやこの件はいよいよ自分には関係がないのだから。そう思った。

 やがて龍介は龍士とどこかで時間を潰したいと二人になり、それがやはり面白くない七瀬は秀明たちに愚痴を聞いてもらおうと思い一緒にシャハシュピールに向かうことになった。

 なんてことのない平凡な土曜日だった。

 それでも、考えることをやめないでいられる土曜日であった。

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