5-2

 そして、喫茶店「シャンゼリゼ」。

「柾屋くん。今日、冴、お店にいる?」

 注文を済ませた後、七瀬はふと秀明に訊いてみた。

「なぜだい」

「ずっと借りてた本、ようやく読んだから返したいのよ」

 七瀬の心象風景にはナイン・ストーリーズが浮かんだ。短編集なんだから一日一編としても九日あれば読めるだろうになぜ借りてから返すまでの間に二ヶ月もかかったのだろうと秀明は思ったが、特に表情を変えることはない。

「今日いるよ」

「あ、そうなんだ。じゃ、後で行こうっと」

「君、本なんか読むんだね」

(大目に見るのやめようかな)「たまにはと思って」

「ふむ」

「冴も大変ねぇ。お父さんがお家のこと何にもできないとは言ってたけど」

 ここで秀明は、どうやら七瀬と割と長めの会話が始まりそうだ、と思った。

「受験が来年でよかったよ」

「いとこ同士で頭いいんだもんなー」

「おかげさまで」

「とりあえず大学には行くんでしょ?」

「まあね」

「将来のこととか考えてる?」

「俺は本が読めればそれでいいんだけどね」

「寝ても覚めても本の虫」

「君だって園芸が好きだろ」

「うーん、寝ても覚めてもってわけじゃないなぁ」

「爺さんに弟子入りして作家にでもなろうかなぁとはなんとなく思ってるけど」

「作家にでもって」

「ビジネスにコネクションは大切だよ」

「まあね、それはわかるけど。でも結局、実力主義の世界でしょ」

「なんとかなるだろ。それは作家じゃなくても」

「そもそも成績がいいんだもんなぁ。余裕綽々で羨ましいわ」

 そのとき、ウェイターが注文の品を持ってきた。秀明の前にコーヒー、七瀬の前にレモンティーを置いた。

 七瀬はレモンティーを一口飲む。

「最近どうよ」

「なにが」

「いや、そんな個別具体的なことを訊いているわけではない」

「まあ、のんびり生きてるよ」

「いいなぁ」

「モラトリアムでも何でもない時期だろ、高校生って」

「そりゃそうだけど」

「神谷くんは?」

「まあ、そんなに忙しないわけじゃないけどね。あー、来年は忙しなくなるのよねー」

「受験だからねぇ」

「そうねぇ。受かるかしら」

「受かる受かる」

「またいい加減な」

 そこで会話をひとまず中断しようと、秀明はコーヒーに口をつける。

 七瀬と二人きりで話していると会話が弾む。秀明はいつも七瀬を興味深く思う。七瀬は喋っている最中、あまり心の中に事象事物が浮かばない。会話に集中しているのだ。そして相手を楽しませよう、という観念が常にそこにある。だから余計なことをあまり考えずに会話をすることに臨んでいる。龍介とはちょっと違った単純明快さであり、この二人はどうやらお似合いカップルのようだな、と思い、なんとなく秀明は微笑んだ。

「なに笑ってんの?」

「いや。君は龍とどういう付き合いなのかなと」

「どういうって?」

「恋仲なんだろ」

「古風な言い方ねぇ」

「中学生のときからって聞いたけど」

「うん。同じ委員会で。で、仲良くなってきて、それで向こうが告白してきたの」

「先輩女子に告白とはなかなか猛者だ」

「恋愛ってしたことなかったし、別に龍介のこと嫌いじゃなかったし、まあいいかなーと思ってOKしたんだよね」

「気軽だね」

「ま、あたしも落ちてたのかもね」

「いまは?」

「え、好きよ?」

「いいねぇ直球で」

「柾屋くんは好きな子いないの?」

「いまのところ」

「冴は違うんでしょ」

「違うねぇ」

「本が恋人か」

「そうだね。読書はいいよ」

「冴もなかなか本の虫だからな。そういう家系なのかしら。お家が古本屋さんだし」

「まあ取っ付きやすいというのはあるだろう」

「そういうのはあるでしょうね。さて、それじゃそろそろ行きますか」

 と、七瀬はレモンティーを飲み干す。

「店に行くんだろ? 一緒に行けばいい」

「あら。あなた、マジコの後のシャンゼリゼなんだから疲れてるんでしょ」

「お見通しかい」

「とりあえずここではここでさようなら」

「うん。じゃ、せっかくだし奢っといてやるよ」

「助かるわ〜ありがとう〜」

「好きにならないでね」

「ふざけんな。じゃあね」

「じゃあね」

 と言って七瀬は店を出て行く。

(柾屋くん、相変わらず会話が弾むなぁ)(馬が合うのよね)(普段冗談ばっかり言ってくるけど)(向こうも弾んでるつもりでいるのかしら)(ていうか聞き上手なのよね)(あたしもつい喋っちゃう)(年上感があるのよねーあたしの方が生まれたの早いけど)(いい人ではある)(これで冗談好きじゃないと助かるんだけど)

「ま、君に安心してるのさ」

 去っていく七瀬の心を読みながら、秀明は呟く。

 コーヒーを一口飲んで、窓の外の風景をぼんやりと眺めた。

 物思いに耽る。

 いろいろな人たちがいる。

 いろいろな人たちがいろいろな考え方でいろいろに生きている。

 そしてもちろん自分も、そのいろいろな人たちの中の一人だ。

 超能力を持っている、というのは確かに超現実的な異常事態ではある。そこには選ばれた者としての使命感もある。

 しかし、自分が特別な存在だとは思わない。特殊だとは思うが、特別だとは思わない。

 結局のところ、人生いろいろである。

 特殊な力を持っていても、七瀬と話したように、将来どうするのかとか、受験がどうとか、恋がどうとか、そういう平凡なことももちろん考えなければならないことであり、そしてそれが、生活をしていくということだ。

 人の心を読めるというとなかなかのファンタジーでありSFではあるが、それと実際の生活をしていくということは矛盾なく両立することである。超能力者だからといってこういう人生を送らなければならないということはない。例えば戦いの日々の中を生きていく宿命を背負っているわけでもなんでもない。

 それは自分で選んで、決めていくことで、決め続けて行くことだ。

 結局は、自分はいろいろな人々の中に埋没しているいろいろな人々の中の一人。

 超能力者であっても、それは変わらない。

 窓の外のたくさんの人たちをぼんやりと眺めながら、秀明はだんだん自分の思考が整っていくのを感じる。やはり人間、気分転換は必要なものだな、と思った。

「やっぱり、健康第一——元気が最優先さ」

 コーヒーを飲み干し、独りごつ。

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