入国審査

MITA

入国審査

 休暇を利用してエヌ氏はひとり、とある南の国にやってきた。その国はエヌ氏の住んでいる場所と比べてとびきり田舎というわけでも、あるいは都会であるわけでもなかったが、エヌ氏はそういうところも含めて気に入っていた。あまり辺鄙で不便なのも困るし、逆に人でごった返していても息がつまって、バカンスに来た意味がなくなってしまうからだ。


 快適な空の旅を満喫して空港に降り立つと、エヌ氏は入国審査を受けることになった。少し面倒ではあるが、見方を変えれば海外旅行に特有の風情があるし、悪くはない。エヌ氏は入国審査官のいるカウンターの前で、手続きの順番を待っていた。


「次の方」


 呼ばれたエヌ氏は、カウンターの前に立つ。くたびれた表情の係官は、エヌ氏の方をちらと見て、


「書類をどうぞ」


 エヌ氏が審査の書類を出すと、係官はなれた手つきで書類を複写機にかけて、ボタンを押す。それから書類にサインをして、エヌ氏に突き返した。


「紙をどうぞ。これで審査は終わりです」


「もう終わりですか」


「ええ」


 これで終わりとは、ずいぶんあっけないものだ。そう思ってどこか釈然としないまま、エヌ氏がその場を後にしようとすると、書類と一緒に返された一枚の紙が目に入った。


『記載の日付よりちょうど三日の後、この人物は殺人の主犯となることをここに保障する 以下、詳細……』


 その紙を見て、エヌ氏はいささか腹を立てた。


「ちょっと待ってください。これは何です、いたずらにしたってひどいじゃありませんか」


「はあ、それはいたずらじゃありませんよ」


「いたずらじゃないなら、何なのです」


「入国管理の一環ですな。私としては、紙をよく読んで準備しておくことをおすすめしますよ」


「私はここに旅行に来たんですよ。まさか、誰かを殺すなんて」


「まあ、落ち着いてください。さっき私がボタンを押したでしょう。それであなたの書類を本部にある、高性能のコンピュータ・マシンに送ったのです。そのマシンが、この島に滞在する間のあなたの行動を計算しました。コンピュータの予想は、百発百中。まちがいはありません」


「その結果がこの紙というわけですか。いささか、腑に落ちませんが」


「その気持ちはわかりますよ。かつてはこの国も、人間が個別に判断していました。しかし人のすることですから、賄賂やら情実やら、いろいろな横やりが入ります。それに、かりに真面目に仕事をしたとしても、数分の面談でその人の人となりを見抜くのはむずかしい。その点、コンピュータは信頼できます。コンピュータには、いんちきも、ごまかしも、泣き落としも、恐喝も、賄賂もいっさいききません。それに、人間の審査官よりはるかに優秀です」


「はあ。それで私は、これからどうしたらよいのでしょう」


「どうぞご自由にお過ごしください」


「なんですって。私を捕まえたりはしないのですか」


「どうして捕まえるのです。あなたが三日後に人を殺すとしても、いまは誰も殺していない。罪を犯していない人を捕まえるわけにはいきません」


「しかし、そのマシンは……」


「犯罪が起きるなら、それを早く知っておくに越したことはないでしょう。そうすればその分だけ、警察も検察も裁判所も、すばやく動けます。あなたに殺される人も、殺されることを知っていれば残りの三日間を有意義に過ごせるわけです。素晴らしいことじゃありませんか」


「ははあ……」


「おわかりですか。マシンの予測は絶対です。どんな妨害があろうと、あなたは三日後にある人物を殺してしまう。ならば、それを知らないより知っているほうがはるかによろしい。そういうことですよ」


 そういうわけで、エヌ氏は空港を後にした。マシンが予測した通り、エヌ氏はちょうど三日後の夜、とあるバーにて酔った勢いで男を殺してしまったが、そばに待機していた警察がすぐにエヌ氏を逮捕し、そのわずか一週間後には判決が出た。牢屋に入ったエヌ氏は、首をひねりながらつぶやいた。


「もしあのマシンがなければ、事件の捜査が終わるまで何週間もかかり、裁判の結果が出るまでにはさらに何ヶ月もかかっていたかもしれない。そう考えてみると、刑期が終わるのが少なくとも半年は早くなったとも考えられる。そう考えると、確かにあのマシンには感謝するべきかもしれないな」

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入国審査 MITA @mitani

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