第13話

 次の日は、一日中訓練だった。基礎体力と剣術、隊士たちは魔法と剣術の組み合わせ訓練と対人訓練もしている。シキアはすみっこで基礎的なことを細々とやりながら、時折呼ばれるサコットの事務仕事を手伝った。そして日が傾いたころ、今日も解散を告げられる。

 サコットは昨日と同じように駆けだした。が、今日は見送るだけではない。準備してきたのは一輪の小さな手押し車を改造したもので、片足を乗せてもう片足で地を蹴る移動手段だ。個人的には蹴板車と呼んでいる。王都に来たばかりのとき、広すぎて移動が大変で、慣れない石畳に足も痛めかけていたとき作ったものだ。今はもう歩いての移動に苦がなくなったので遠くへ買い物にいくときくらいしか使わない。それが久しぶりに役にたった。サコットに追い付きはしないが、背中を見失わないことくらいはできる。

 頑張ってサコットに見つからないように追跡したつもりだが、城壁の付け根でサコットは急に足をとめ振り返ると、シキアに向かって手を合わせるあげた。追跡はバレていたらしい。すごすごとサコットの前で首を垂れると、呆れたように笑われた。あんなに走っていたのに息ひとつ切れていなくてびっくりする。シキアは肩で息をしているというのに。

「いやいや、それ何?」

「あの、片足乗せて地を蹴って進める車です」

 蹴板車を貸すと楽しそうにひとしきり遊んでから、サコットはがっくり肩を落とした。

「帰りなさいって」

「いえ、あの、たまたまこっちに用事が」

「強情だな、先生に似たのか?」

「先生もだけど父さんにも似てるらしいです」

「今度、挨拶に伺うよ。――ほんとに帰るつもりないね?」

 本当はこの蹴板車では舗装されていない道を走るのは難しいから、ここで諦めるつもりだったのだが、サコットは諦めたように息をついた。

「鍛錬を知られるの格好悪いから隠してるのに。面白いことはなにもないよ」

 困ったように笑いながらサコットはシキアの髪をぐしゃとかき乱した。ついてきて良いという合図のようで思わず顔が緩む。それを引き締めて、もう駆けなくなったサコットの後ろに続いた。

 街道から離れた山のふもとに入り込んだサコットは、それからひたすら走り込みと木登りと滝登りを繰り返した。基礎体力訓練は毎日しないと体が弱るから、らしい。何か特別なことは何もない。ただ地道に誰より速く駆ける体と誰より打たれ強い体を維持しているのだ。暗くなるまでそれを繰り返し、サコットは何食わぬ顔で訓練所に戻った。

 戻ってからすぐに隊士から剣の手合わせを頼まれているサコットは疲れ一つ見せない顔をしていた。

(強いって、自然になれることじゃないんだな)

 そんな当たり前のことを思い知らされ、では自分には何ができるのだろうとシキアは小さく息を吐いた。

 そんな日々が続き、気づけば研修も残り少ない。その日は朝から周辺の村まわりに魔物が増えすぎていないか視察に行く日だった。副長のトークンはシキアとウサミを連れていくのを嫌がったが、サコットが責任をとると言うことで同行を許された。

「トークン様は厳しいけど怖い人じゃないから」

ウサミはそういうけれど、ほとんど交流がないので、シキアは未だに副長を怖いと思っている。この騎士隊は隊士が気安く騎士隊長のサコットに話しかけるが、副長の前ではパリッとしている感じがする。ウサミはそんな副長になりたがっているようだった。合わないような気がする、とはまだ言えていない。

 ウサミは馬が苦手なので副長の馬に乗せてもらっていた。シキアはヒアミックの元で訓練したので、だいたいの馬には乗れた。サコットの後ろに続きながら、もし馬に乗れなかったらサコットの馬に乗せてもらえたのだろうかと、馬鹿みたいなことを考えて頭を振った。からだを密着させるなんて、考えられない。ただ憧れていたひとは、隊を率いる者としての目標にかわりつつあるけれど、それとは別にサコットを前にしてうずく心はなんとか押さえつけている。

(もっと近くにいきたいとか、もっと知りたいとか、そんなん、考えちゃだめだ)

 少なくともこの研修期間は。

 途中、森で魔物にあった。隊士たちは当たり前のように個々の判断で動いて魔物と戦う。サコットの指示はほとんどなく、最初と最後くらいで驚いた。

「これくらいの魔物なら細かい指示はしないよ」

 信頼しているのだろうと思う。同時にすべての隊士の力量を完璧に把握している。サコットはいつもにこやかだから忘れそうになるが、間違いなくこの国に四人しかいない騎士の一人だった。

 シキアには戦闘はできないので、後方支援で邪魔にならないようにするだけで精一杯だった。

 そのあともう一度魔物の群れに遭遇して排除した。村から遠いのでいまのところ静観する方針が伝えられ、日が暮れるころ王都に戻った。今日はさすがにこのまま訓練所に残るかと思ったサコットは、それでもいつも通りこっそりと訓練所を抜け出し、シキアも黙ってそのあとを追う。

「今日は鍛錬じゃないから心配いらないよ」

「あっ、逢引」

「違うって。んー、まあいいか、シキアも今日は疲れただろうからね、案内しよう」

 何だと思いながらついて歩くと、いつもの鍛錬場所を過ぎて、もう少し山に入っていく。

「どこへ行くんですか?」

「温泉」

「温泉! こんな所にあるんですね」

「小さいから知ってるひとは少ないと思うけどね。ときどき様子見がてら一人でいくんだ」

 温泉なら隊士たちをつれて遠征後に寄ったりしそうなのにな、と思いながらも自分だけを連れてきてくれたことはとんでもなく嬉しい。「研修生」への気配りかもしれないが。

 サコットが小さいと言った温泉は、それでも五人くらいなら入れそうな広さだった。そしてシキアは今更ながら、はっとする。

(服、脱ぐってこと? サコット様の前で?)

 というか。サコットも脱ぐのだ。服を。全部。

(あ、むり)

 男同志だからどうとかそういう問題じゃないのだ。サコットの裸を見るのだと思うとなんというか得も言われぬ感情が体中を走って、奇声を発しそうになる。

 もちろん、そんなこと知るはずもないサコットはさっさと服を脱いで温泉に浸かった。

「シキアもおいで」

 むり。無理だ無理。貧相な体をサコットに見られるのも無理なら、鍛え上げられたしなやかそうな筋肉のサコットを見つめるのも無理で、首が長いなとか腕も長いしそれから――。シキアは息を飲む。

 その体は綺麗だった。大きな傷は見えない。けれど、腕にも肩にも胸にも、小さな傷跡がたくさん、ある。この傷跡を、知っている。

 魔法が使えるものは、簡単な傷くらいならすぐ塞げる。そうでなくともかすり傷程度なら魔法として唱えなくとも体をまとう魔法力が勝手に治癒をするので、小さな傷跡は残らないのが普通だ。比べて、不良者はその自然治癒すら正常に働かないことも多く、体は傷だらけなのだ。シキアの手にもいくつも傷跡があって、不良者を見分けるにはいい判断材料だと言われているのも本当だ。

 前線で戦う騎士が怪我をしないはずがなく。サコットの綺麗な筋肉についた傷も、治癒魔法を受けるほどでもない普通の人にとっては「小さな」なんてことのない傷なのだろう。

 サコットが隊士達と温泉に来ないのはそれを見せたくないから、かもしれなかった。

「シキア、入らないのか?」

「あっ、いや、オレは」

「無理にとは言わないよ。でもここの湯は本当に打ち身にきくからさ。腕、派手にぶつけてったでしょ?」

 それは隊士達が魔物と戦っているときに、倒れる隊士の下敷きになったときのことで、まさか見られていたのかと恥ずかしくなる。

「邪魔になってしまって」

「違うだろ、あのまま倒れたら隊士が石で頭を打ちそうだったから自分の体で守った。それくらい見えている」

 それはそうなんだけど、そんなことまで分かられていたのかと、ますます恥ずかしくなった。

「シキアは本当にしっかり状況を見ている。感動するよ、常に自分にできる最善を尽くしていただろう? 戦いの後にすぐ水が飲めるように準備して魔物の死臭が広がらないように風下に移動させて馬車の中も使いやすいように整頓していたな」

「だって、オレにできることは、少ないので」

 ずっと、そうしてきた。魔法が使えないからできることは少ない。その中でも自分にできることがあるはずだと父から教わって、出来ることをやってきた。それをこんな風に分かってくれている人がいるというのは、こんなに嬉しいことなのかと思う。

「君は本当にすごいよ」

 しかも、憧れの人に、こんな風に褒めてもらえるなんて。

「早く温泉入りな。あ、俺と入るのが嫌だったら、ほら、もう俺はあがるから」

 サコットが温泉から立ち上がろうとするので、シキアは慌てて服を脱いだ。飛び込むように入ったのでしぶきが上がって、はしゃぎすぎだと笑われた。でもいい。貧相な体を見せるよりはいい。

「温度もちょうどいいだろう?」

「はい」

 おそらくそうなんだろうが、肩を並べていることを意識してシキアはずっと熱かった。ちょっと動いたら肌が触れそうで、叫びたくなる。どうしてこう感情が高ぶると大声を出したくなるのだろう。そんな奇行、絶対にサコットには見せられない。

 それからはおとなしくサコットの話を聞いて、なんとか奇行には走らず無事帰宅した。家のベッドで反芻しても、やっぱり奇声を発したくなる。というか、発したから父親にうるさいと叱られた。だってだって、処理できないくらいの幸福だったんだから仕方がないじゃないか。なんかもう、だめかもしれない。そんなことを思いながらまどろむ中、サコットの傷を何度も思い出す。きっといつも一人でこっそり止血して誰にも傷を見せないようにしているのだろう。 

 なにか、オレにできることがあればいいのに。

 そう思いながら眠りに落ちた。

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