【03】

「最近沢渡さん、食べに来ないわねえ。何かあったのかしら」

『萬福軒』の奥さんがそう言うと、おっちゃんも、「そう言えばそうだなあ」と、首を傾げる。


光にとってはどうでもいいことだったのだが、そう言われると気にならなくもない。

「光ちゃん、何か聞いてない?」

奥さんにそう言われたが、思い当たる節はない。そもそもストーカーのことなど、どうでもよいのだ。


「いやあ、あたし、あいつとは何の関係もないんで」

そう言うと、奥さんが笑いながら光の肩を叩く。

「何言ってんの。あたしなんかは、光ちゃんと結構お似合いだと思ってるのよ。ねえ、父ちゃん」


おっちゃんは奥さんの言葉に、人のよさそうな笑顔で頷いたが、光にとっては迷惑この上ない。

「い、いや。ちょっと待って下さいね。マジであいつとあたしは何の関係もないんで」

光は即座に全否定する。それでも奥さんとおっちゃんはニコニコ笑うばかりだ。やれやれである。


その日のバイトを終えた光は、『萬福軒』から徒歩10分の自宅マンションへと急いでいた。そろそろ春めいてはきていたが、この時間ではまだ肌寒い。ダウンジャケットの襟を立てて急ぎ足で歩いていると、彼女の前に二人の男が立ちはだかった。後ろにも二人いるようだ。


「ははあん。これか」

光がそう思ったのは、今朝起きてから軽い頭痛が続いていたからだ。彼女の頭痛は単なる病気ではなく、子供の頃から危険探知機の役割を果たしていた。つまり頭痛のある日は、自分か或いは身近な人に良くないことが起こる前兆なのだ。


同居人の篠崎渚に言わせると、彼女のその能力は超能力に近いそうだ。もっとも、渚の超人的な観察力も、光から見れば超能力以外の何物でもなかった。


「蘆田光さんですね?」

前に立ちふさがった男の一人が言う。

「そうだけど」

光が不愛想に答えると、男たちは薄ら笑いを浮かべた。その時点で光のリミッターが解除寸前まで跳ね上がる。


「すみませんが、少しお聞きしたいことがあるので、ご足労頂けませんか?」

言葉遣いは丁寧だが、十分に威圧を込めた物言いだった。


「あんたら警察?だったら手帳くらい見せて欲しいんだけど」

「警察ではありません」

「じゃあ、ついて行く謂れもないよね」

そう言うと、男たちは酷薄な笑みを浮かべる。


「素直について来いよ。手えかけさせんじゃねえ。ぐぁっ」

豹変した男が腕を掴もうと伸ばしてきた手を、光は思い切りねじ上げ、がら空きになった顔面に肘を叩き込む。ねじ上げた手を離すと、男は顔面を抑えながら、その場に蹲ってしまった。


残りの3人が顔色を変えて彼女を取り囲んだ時、男たちの後ろから呑気な声が聞こえた。

「手伝おうか?」

そこには篠崎渚が、ヘラヘラ笑いながら立っていた。


その声に振り向いた1人が、超速の回し蹴りを顔面に食らって吹っ飛んだ。その隣の男は、股間に膝蹴りを食らって悶絶する。

残り1人が咄嗟に状況を判断できずに一瞬棒立ちになったところを、今度は光がその腕と胸倉を掴み、柔道の体落としを掛けて、顔面をブロック塀に叩きつけた。


「まったく、情け容赦ないねえ。この暴力女は」

「あんたにだけは言われたくないわ」

渚のツッコミを光がツッコミで返す。


「ところで、このおっさんたち何よ?」

「分からんけど、突然襲ってきた」

そんな会話をしていると、最初にのばされた男が、出血する鼻を抑えながら立ち上がった。見ると、手に刃物を持っている。


「てめえら、調子に乗ってんじゃねえ!」

男は顔を真っ赤にして凄むが、二人には全く通用しない。

「無様に鼻血垂らしながら、何凄んでんだ、お前?」

「おっさん、足元振らついてんぞ」

その台詞に男が激高しかかった時、誰かが叫ぶ声が聞こえた。


「君たち、そこで何してる!!」

声のする方を見ると、制服警官が二人、こちらに向かって猛然と走って来ている。

それを見た男は、慌てて倒れている仲間を起こすと、停めてあった黒塗りのセダンに乗り込んで、走り去って行った。


「大丈夫ですか?」

警官二人は光たちに駆け寄ってくると、息を切らせながら言った。

「ええまあ」

「何とか」

――大丈夫じゃないのは、あっちの方なんですけど。

そう思いながら二人は、警官たちに生返事を返す。


「何があったんですか?」

そこから警官の職務質問が始まったが、のらりくらりと適当な答えを繰り返して、それを遣り過ごす。

――大体何が起こったか、こっちが訊きたいくらいだわ。

質問の間中、光はそんなことを考えていた。


漸く解放されてマンションに戻った時は、既に7時半を超えていた。

二人はそれぞれの部屋で着替えを済ますと、共用のダイニングで、早速缶ビールのプルトップを開ける。そしてグイっと中身を飲み込み、

「かあ」

「ぷはあ」

と、同時に息を吐いた。そして互いに、

「おっさんか?!」

とツッコミ合う。いつもの夜の光景だった。


「でっ、あいつら何よ?」

「よう分からん。道歩いてたら、突然囲まれた」

「人違い?」

「いんや。あたしの名前言ってたから、多分人違いじゃないな」


「ふうん。あんた何か思い当たることないの。ラーメン屋の客に暴力ふるって、恨まれているとか」

「んな訳ねえだろ」

「さすがにそれはねえか。あのおっさんたち、ラーメン食いに行くタイプじゃなさそうだしな」

「そこかい!」

二人の会話はそこで途切れる。


渚はビールを一口飲んだ後、

「ほんで、これからどうするよ?」

と言った。

「どうすると言われてもなあ」

「でも、あいつらまた、あんたのこと狙いそうだぜ」

「まあ、確かに」

「いっそのこと、警察に保護してもらう?」

その後一瞬二人は見つめ合ったが、

「ありえねえ」

と、同時に噴き出す。そして能天気なヒカナギコンビの夜は更けていくのだった。

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