第2話 トリあえずバナナ🍌



――電車に揺られて20分後。


時刻【17時50分】


私と佐久間君は、ゴリラ君イチオシのお店の前に着いていた。


お店の前には、有名な書道家が書いたと言わんばかりの〔天ぷら道〕と書かれた暖簾のれんがかけられており、その横には紅葉が植えられている。


その外観だけで敷居が高いことが伝わってくる感じだ。


「課長代理……なかなかのお店ですね」

「えっ?! あ、ああ……そうだな」


サイトには写真が載っていないので、最近できたばかりのお店だと思っていたが、これは間違いなく逆のパターンだ。


伝統や行きつけである客層を守る為に敢えて載せていなかったに違いない。


実に困った。こういうお店に部下を連れて来るのは、初めてだ。


カ、カードは使えるのだろうか……それより、今私の財布には、どれくらいのお金が入っている?


一応、念の為に多め入れておいて欲しいと妻には、お願いしたが……。


とにかく確認しよう。


慌てて胸ポケットに入れていた財布を確認した。


千円札が、1枚、2枚、3枚……5枚と5000円ある。


あとは、壱万円札が1枚。


うん……ダメだ。


いつもより、1万円多いが、1万5000円では太刀打ちできない。


ク、クレジット……電子決済は、使えないのか?


ダメだ……引き戸の前に手書きでデカデカと現金のみと書いてある。


「……困ったな……」


血の気が引いていくのを感じる。


部下を誘ったというのに……なんという体たらく。


純粋に悲しい。


こんなことなら、無くすのが怖いなんて言わず妻の言う通りキャッシュカードを持ち歩くんだった。


「か、課長代理、ここは普通に割り勘でいきましょう」


なんと優しい……私の部下はゴリラ君をはじめ思いやりの心持ったできた人間ばかりだ。


でも、ここは甘えるわけにはいかない。


恥をかくとしても、前のめり気味でいきたい。


私はゴリラ君とバナ友になり生まれ変わった新生、雉島千鳥きじしまちどりだ。


「……いや、私が誘っておいてそれはないだろう」


そんなやり取りとしていると、お店の引き戸がカラカラと音を立てて開く。


そこには、清潔感の漂う調理白衣を着ている中肉中背の男性がいた。


その格好からしてここの店主だろう。


「いらっしゃい! ゴリラさんから伺っています。お世辞になっている2人が来るのでよろしくと!」


なんということだろうか……ゴリラ君は、私が想像していた以上に気遣いの化身だった。


きっと、普段の私を見ていたのだろう。


どうにかして部下との距離を詰めようとしている私を。

恥ずかしい話だ。

これではどちらが上司かわからない。


「課長代理……どうしますか?」

「うむ」


答えはもう決まっている。

ここは上司としての格好良さを見せつける絶好の機会。


「よぉし、いくか……」

「だ、大丈夫ですか? その――」

「うむ、みなまで言わんでくれ! 大丈夫だ」

「わ、わかりました!」


そうだ、最悪、妻に来てもらおう……いや、娘……息子にしよう。


こうして、私たちは、その高級感の漂うお店へと入っていった。




🍤🍤🍤




時刻【18時00分】


天ぷら屋店内。


店の内側も外の雰囲気に負けておらず、建築材にいい木が使われているのか、店内は木の爽やかな匂いと油の香り、そして耳触りのいい天ぷらを揚げる音が響いている。


席も木目が綺麗なカウンター席が6つのみで、目の前で揚げてくれるスタイルのようだ。


「凄く綺麗なお店ですね。それに雰囲気もなかなかにないです」

「うむ……間違いなく、いいお店だな」


私と佐久間君が店内について話し込んでいると、突然、揚げたての天ぷらが目の前に出された。


ふちが青く全体は白い長方形型のお皿に、上品な花が咲いたような衣を纏う天ぷら。


口元に運ばなくとも、ほのかに香ってくる甘い香り。

だが、おかしい……まだ私も佐久間君も何も注文していない。


不思議に思ったので、店主へ聞いてみる。


「あの――まだ注文はしていませんが……これは一体?」

「ああ、うちの突き出しはこの”トリあえず”バナナなんですよ!」


その言葉を聞いた瞬間。


顔を見合わせる私と佐久間君。


「うふふ、そういうことか」

「はは、やはりでしたか」

「だな」

「ですね」


ゴリラ君は、初めからこれをバナ友である私たちに食べて欲しかったのだろう。


そして、きっと同じバナナを食べたことで仲を深めてくれると考えていたのかも知れない。


よく”同じ釜の飯を食う”と真の仲間というしな。


もっとも本当の意味は、月曜日にゴリラ君に会って確かめることにしよう。


あと、お礼も。


「じゃあ、早速頂くとするか、トリあえずバナナというやつを――」

「そうですね、天ぷらは揚げたてが一番といいますし……それに――」

「ん? それに――どうした?」

「いえ、単純にどんな味わいがするのかな? と。あのゴリラ主任が、おすすめするほどの物ですので」

「うむ、確かに……よほど美味しいということだな」


私たちが天ぷらを前に、あーだこーだと考察をしていると、その目の前にいる店主が緊張した声色で話し掛けてきた。


「お、お2人とも……そんなにハードル”上げない”で下さい。普通のバナナの天ぷらですから!」


間違いない。これはただの”揚げた”バナナだ。

うん? 今、店主はわざと上げたを強調してなかったか? もしかして……。


よぉし、確かめてみるか!


「あははっ、申し訳ない! バナナを前にするとついつい余計なことを言ってしまうんですよ。でも、”揚げた”バナナのハードルをわざわざ”上げる”必要なんてないですよね? もう――」



と自分の考えを言いかけた時――。



「――”揚がって”いますしね。バナナは」


私が言おうとしたことを、左隣に座っている佐久間君がするりと口にした。


どう見ても、このオジサン全開のダジャレを言うようなキャラでないというのにだ。


こんなもの笑わずにはいられない。


店主と私は、視線を合わせる。


「あははっ! 最高だ! 佐久間君!」

「はははっ、お若いのになかなか――」


ダジャレで盛り上がるオジサンたち相手に、「ふふっ」と小さく笑う佐久間君。


そこから、誰も予想していなかった彼のユーモアたっぷり返しと、初めにバナナの天ぷらが出てきたことで、この呑みニュケーションは、終始和やかな雰囲気のまま進んでいった。

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