第5話

「お目覚めはいかが?」

聞き覚えのない声にエコーがかかって聞こえた

体が、特に上半身がズキズキしていた


「こちらもね、特にことを荒立てるつもりはないの

だけどなるべく早めに合意に至れるならいいなって思ってるだけ」


頭は朦朧としたままで視線を落とすと

縄らしきものが上半身に食い込んでいた

妹は・・身代金は・・

今は何時だ


男の腕にはまる大きな腕時計は

受け渡しまで30分を指していた


まだ、間に合うはずだ


「あら怖いお顔

そう言えば汚い鞄に小銭程度の現金が入ってたけど

あなたくらいの人が現金持ち歩くなんて、珍しいこと」


どうやら現金を狙った強盗ではないようだ


鈍く痛む頭を振る

その向かい側には

きちんと仕立てられた服装の男がくねくねしていた


「まだ完全に起きていないっぽいところで悪いんだけど」

ちっとも悪びれない声がそう言った


「あなたの奥さんも娘さんも

父親のスキャンダルなんてメディアで報道されるの

見たくないわよねえ」


見せつけられた数枚の写真には

今日、初めて出会ったばかりの男と

私を騙した女性とのあられもない姿が映し出されていた


いや初めてではない

何となくその顔には見覚えがあった

ぼうっとした頭でようやく脳裏に浮かんだのは

とある政治家で

確か、庶民の生活の質を上げるとかいう活動をしていたように思う

この場合、庶民とは中流階級のことで

どうしたって私には届かないところだ


私とは縁のないところで政治家だの中流以上に属する人々が

わちゃわちゃやってるところへの、とばっちりだ


あら私何かおかしいことでも言った?

何々?笑いは皆で共有しなきゃと声は続けた


「それで、何が望みだ?」

私の体から低い声がした


「話が早くて助かるわ

現在あなたが進めてるあの案件を

ちょっとだけ遅らせて欲しいだけ」


ほらこの案件と差し出された書類を読むと

私でも聞いたことのあるニュースで

千ドル以下の窃盗は現在、切符を切られるだけの微罪として取り扱われるが

それに反対する法案だった


「こんなことしたら

庶民派で通ってるあなたのイメージも落ちちゃってるでしょ?

万引きなんてしたい奴にはさせておけばいいのよ

そこに私たちのビジネスチャンスがあるんだし」


いいじゃない、庶民にすらなれないやつらが何したって

どうせ養分になるだけって知ってるでしょ

あらまた何て怖いお顔、と笑い声が言った


「遅らせて、何になる」


「うーん、とりあえず300年くらい遅らせてくれたら

こっちとしても助かるのよね」


要は、法案を潰せということだ

ハニートラップにうかうか引っかかったスケベのなれの果てがこれだ


今日出会ったばかりの体の持ち主の境遇に

多少同情しつつ

私は苛立ってもいた


鞄はすでにこの怪しげな男の手にある上に

このままグダグダしていたら、身代金の受け渡しに間に合わない

ただ、早く解決しようとして私がこの話をのむと言った段階で

ただでさえ混乱に満ちている世界が

更に悪化するのも分かっていた


最悪を越えた最悪な展開だった











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