第55話 心臓がもちません……!
「お帰りなさいませ、マニエス様」
まだ日が沈む前に、お屋敷にお戻りになられたマニエス様。
ちょうどお義母様とのお茶の時間を終えて、自室へと戻るその道すがら。たまたまその後ろ姿をお見かけして、ご挨拶だけでもと思い声をかけると。
「あぁ、ミルティア。ただいま」
どこかホッとしたような、でも少しお疲れのようにも見える表情で振り返って。柔らかく、微笑みかけてくださったのです。
「今日は何をして過ごしていたの?」
「お義母様と、楽しくおしゃべりをさせていただいておりました」
「そっか」
柔らかな笑みはそのままに、そっと目線が向けられた先は。私の目線よりも、少しだけ横。
以前マニエス様から頂いた、髪飾りのついている場所でした。
「それ」
「はい」
髪飾りのことを指しているのだと理解して、笑みを返した私に。
「毎日つけてくれていて、嬉しいよ」
たった数歩で距離を詰めたマニエス様が、そっと手を伸ばして。
その指でほんの少し髪の束を
私の、ミルクティー色の、髪の先に。
「……!?」
あまりのことに驚いて、私が何も反応できないままでいると。
「僕もミルティアとおしゃべりがしたいな。夕食までまだ時間はあるし、少し談話室でゆっくりしよう?」
先ほど以上の笑顔でそうおっしゃって、私の腰に手をまわすと。そのまま本当に、談話室へと歩き始めてしまわれたのです。
私を、エスコートしたまま。
しかも。
(こ……この状況は……!?)
気が付けば、談話室の中にまで連れて来られていた私は。マニエス様に言われるがまま、ソファに腰を下ろして。
そして、なぜか。
今、私の足の上に。
マニエス様の、頭があって。
(し……心臓がもちません……!)
これは一体、どういう状況なのですか!?
マニエス様がお戻りになられたと思ったら、私は談話室へ逆戻りして。
そして、今――。
「嬉しいなぁ。ミルティアに膝枕してもらえる日がくるなんて」
「ひ、ひざまくら……?」
「そうだよ。ミルティアは膝枕、知らない?」
下から見上げてくる金の瞳に、私は必死に頭を横に振ります。
そもそも膝ではないところに頭があるのに、膝枕と呼ぶのはなぜなのですか!?
いえ、違います。論点は、そこではなくて。
(あぁ、どうしましょう……!頭の中が混乱して、考えがまとまりません……!)
心臓が、普段ではあり得ないほど大きく早く脈打っていて。鼓動がうるさすぎて、マニエス様に聞こえてしまうのではないかと思うほど。
そして同時に、知られてしまうのが恥ずかしいような気がして。
(どうしましょう……! どうしましょうっ……!)
焦りと緊張から、何も口にすることができません。
今の私は、ちゃんと言葉を話すことができるのでしょうか?
それ以前に、声を出すことができるのかどうか……。
(私は一体、どうしてしまったのでしょう!?)
普段とは違う、マニエス様に見上げられるというこの状況が、落ち着かなくさせているのか。
金の瞳を、真っ直ぐに見つめ返すこともできないまま。
「それでね。以前、街で見かけた猫が、すごく、懐いてて……」
マニエス様のお話に、ただ耳を傾けながら頷いて。
けれど。
きっと、かなりお疲れだったのでしょう。
先ほどまで楽しそうにお話ししてくださっていたマニエス様の言葉が、少しずつ途切れるようになって。
言葉が完全に途切れたのと同時に、マニエス様の穏やかな寝息が聞こえてきました。
「……お疲れさまでした」
考えてみれば、朝からお仕事をされていて。今さっき、お戻りになられたばかりなのです。
(お疲れでないはずが、ありませんよね)
伏せられた
まだまだ、知らないことがたくさんあるのだと思うのと同時に。これからもっと、マニエス様のことを知っていきたいとも、思うのです。
「お休みなさいませ」
私に、何ができるのかは分かりませんが。せめて、今この時だけは。
夕食の時間まで、ゆっくりお休みいただこうと。マニエス様の綺麗なお顔にかかる銀の髪を、起こしてしまわないように慎重に、優しく払って。
私もそっと、目を閉じました。
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