第50話 穏やかな時間
「母上……それは、まさか」
ある日の夕食の席で。お義母様がその
それに最初に気付いたマニエス様が、金の瞳が零れ落ちそうなほど驚いた表情で。おそるおそる、問いかけていらしたのですが。
「うふふ、そうよ。ミルティアさんが髪飾りをしているのを見て、私もたまにはつけたくなっちゃったの」
どこかお茶目に、けれど嬉しそうにそう返すお義母様は。とても上機嫌な様子で、食堂に入ってすぐの場所でクルリと優雅に後ろを振り向きました。
ちょうど、私たちに髪飾りが見えるように。
「とっても綺麗よね。産出量が少ないのに、価値が低いなんて信じられないくらいに」
左右の耳の上の髪を、少量ずつ均等に持ってきて。それを後ろでまとめているのは、宝石たちを大きな一羽の蝶に見立てて作られた、見事な髪飾り。
私がマニエス様に頂いたこの髪飾りよりも、もっと濃い色をしたその宝石たちは。お義母様の見事な黒髪と合わさって、お互いを引き立て合いながら完璧な調和を生み出していました。
「あぁ。やっぱり君の美しい黒髪には、その大きな蝶がとてもよく似合っているよ」
「あらあら。旦那様ったら」
そう言いながらも、うふふと微笑むお義母様は。とっても嬉しそうで、幸せそうで。
そしてそれは、伯爵様も同じでした。
「赤も金も紫も似合うけれど、私としてはその髪飾りをつけてくれた時が、一番嬉しいな」
「私も、これが一番のお気に入りなのよ」
「気が合うね」
「えぇ、本当に」
一番遠い距離にいるはずのお二人が、お互いに微笑み合うそのお姿は。心の距離の近さを表しているようにも見えて。
なぜか私は少しだけ、羨ましく感じてしまったのです。
「ちなみにその宝石の産出量に対してそこまでの希少価値がついていないのは、透明度が低いからなんだよ」
「まぁ、それだけで?」
「一般的に、宝石は透明度が高ければ高いほど値段も高くなる。それだけ、同じ石でも透明度の高さには違いが出るということだね」
「そんなに、透明度の高い宝石は少ないのですか?」
私も気になったことを、マニエス様が質問してくださいました。と同時に、お義母様が席に座られたのを、視界の端で捉えます。
その無駄のない動作に、思わず見入ってしまいそうになりますが。今は伯爵様のお話が興味深くて、ついそちらが気になって聞き入ってしまいました。
「少ないのも、理由の一つではあるけれどね。切り出す過程で小さくなる上に、輝きを増すためのカットを入れるには、相当な職人技が必要になるそうだよ」
「人の手がより多く加わる分、値段が高くなる、ということなのですね」
「そうだね。とはいえ、物の価値は人それぞれだ。値段の高さだけが、全てではないよ」
確かに、そうかもしれません。
マニエス様は、高価なものではないとおっしゃっていましたが。私にとっては、この髪飾りは何よりも価値のあるもの。
高価な宝石たちよりも、ずっと大切な品なのです。
「私にとって旦那様から頂いたこの髪飾りが、他のどんな宝石たちよりも価値があるように。ね、旦那様?」
「その通り」
お義母様の問いかけに、嬉しそうに頷く伯爵様。
こんな何気ない毎日が、穏やかな時間が。ソフォクレス伯爵家では普通なのだと知ったのは、もう一年近く前になるなんて、信じられません。
しかもその場に、私がいるのが当たり前になるだなんて。これが日常だと、そう思える日が来る、なんて。
スコターディ男爵家にいた頃には、考えられなかったことです。
(幸せ、です)
願わくば、こんな日々がこれからも続いていきますようにと。
そう思わずにはいられません。
「それじゃあ、そろそろ食事にしようか。命の恵みと、領民たちに感謝を」
伯爵様に続いて、お義母様もマニエス様も。そして当然、私も。胸に手をあて、目を伏せて。
初日に戸惑っていた私は、もういません。
ソフォクレス伯爵家における食事前のマナーが、今では完全に体に染みついているのですから。
―――ちょっとしたあとがき―――
学会の世界では、蝶を数える時に「頭」を使うそうですが。個人的には専門家ではない人の場合の数え方は、一羽とか一匹のほうがしっくりくる気がします。
「一羽の蝶が飛び去った」なんて、とても文学的で綺麗な表現だなと思うので。
……昔の文豪も、そんな風に表現していたことを知っているので。
ちょっと、感化されすぎですかね?(^^;)
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