第43話 父上が言うには -マニエス視点-
「父上、お話があります」
帰宅して早々、家令に父上がどこにいるのかを聞いて、執務室までやってきた僕に。
「まぁ、座りなさい」
以前のようにソファに座ることを促した父上は、僕が何か言う前に侍従に指示を出して。
「飲み物の用意だけでいい。終わったら下がりなさい」
「承知いたしました」
そうして執務室で、二人きりになったタイミングを見計らって。
「さて。話とは、何かな?」
そう、僕に尋ねた。
もしかしたら、父上は僕の様子から何かに気付いていたのかもしれないけれど。それでも僕は、今伝えるべきことを口にする。
「ミルティアとの正式な婚約の時期を、なるべく早めていただくことは可能でしょうか?」
単刀直入に。この場には前置きも、遠回しな言い方も必要ない。不要な腹の探り合いなんて、もってのほか。
父上の貴重な執務の時間を使わせていただいているのに、それを理解できていないようでは嫡男として失格だから。
「なるほど。……腹を決めたと言うべきか、それともようやく気付いたと言うべきか」
「むしろ、決意表明が一番近いかもしれません」
やっぱり、父上は気付いていた。しかも僕が自分でも気が付いていなかった、ミルティアへの想いすら。
そこは少し恥ずかしいような気もするけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。
「つまり、彼女を妻として迎え入れる決意をした、と」
「はい」
自分の中にあった気持ちに気付いてしまえば、あとは簡単だった。今ある状況を受け入れるのではなく、ある意味で利用するだけなんだから。
「正直なところを言ってしまうと、安心した。いつお前の口からその言葉が聞けるのかと、私はずっとハラハラしていたからね」
「……え?」
でも父上から返ってきた言葉は、予想とはだいぶ違っていて。
というか、本当に安心したような表情でそんなこと、言いますか?
「そうだね。お前も彼女も、社交の経験がないから分からないだろうが。そもそも王命での婚約が、こんなにも長い間正式に結ばれないことは、普通ならばあり得ない」
「……はい?」
それは一体、どういうことですか? と。聞きたいけれど、あまりの衝撃に言葉がちゃんと出てこなくて。
その代わりに、父上が言葉を続ける。
「我が家は少し特殊だからね。例外として、許されているんだよ。嫡男が、お相手の令嬢を受け入れると決心するまで、正式に婚約は結ばない、と」
「……」
驚きすぎて声が出ないとは、きっとこういうことを言うんだろう。
でもそんな僕を見て、父上は少しだけ困ったように苦笑して。
「もちろん、本当にその相手が我が家に相応しいかを見極める期間でもあるし。そもそも今回のように、初めから
父上が言うには、ソフォクレス伯爵家へと嫁ぐ女性のほとんどが、我が家に来るまでに心を閉ざしている状態になってしまっているのだとか。
つまり、まずは心を開いてもらうことが先決で。しかも基本的に全員が細すぎる体形なので、心身ともに安定するまで時間をかけるのが当たり前なのだそう。
ようするに、婚約の準備が今まで整わなかったのは。僕の気持ちの問題と、それ以上にミルティアの体が健康になるのを待っていたため、ということになるわけで。
「……それ、どうして先に教えてもらえなかったんですか?」
「一応ね、掟だから。『嫁取りの占い』で選ばれる女性の特徴を知らされないのと同じで、初めからそんなことを知っていたら、純粋に相手を見ることはできないだろう?」
「そう、かもしれませんが」
とはいえ、あんまりじゃないか?
そんな掟ができた理由は、きっとあるんだろうけれど。でも先にそれを知っていれば、僕は小さい頃からあんなに悩まなくて済んだのに。
お相手の女性の人生を、変えてしまうかもしれないと。恐れていた自分は、あの時間は。一体、何だったのか。
「あぁ、そうだ。掟と言えばもう一つ」
「まだあるんですか?」
僕の知らない事実ばかりが出てきて、少しだけゲンナリしているところに。
「今度は、お前にとっては
いい笑顔でそう告げる父上は。
「ただ一人と決めた相手を婚約者として将来娶るつもりなら、ピンククォーツの髪飾りを贈りなさい。我が家ではそれを『貴女に振り向いて欲しい』という意味で、嫡男の本気を表すために使用しているんだ」
あろうことか、贈り物の指定までしてきた。
けれど。
「…………母上が、時折つけているあの髪飾りは、もしかして……」
「そうだ。私がかつて、彼女に贈ったものだ。本気の
綺麗なウィンクまで息子にしないでください、父上。
ただ父上が言うには、それが本格的に婚約を進める合図なのだとか。家の中だけのことで言えば、未来の伯爵夫人を迎える準備を始める合図。
つまり対外的にも対内的にも、重要な意味があるのと同時に。この女性には手を出すなという、明確な意思を示したことになるんだとか。
「面倒くさい掟ですね」
「だが、これで意中の相手に贈り物をする口実ができただろう? どの宝飾品を贈ればいいのかを、迷う必要もない」
「……そう、ですね」
困ったことに、そう言われてしまえば贈らざるを得ない。なんていう、言い訳ができてしまう。自分にも、相手にも。
そして、今の僕にとっては。大変ありがたい口実であることも、また事実で。
「あぁ、でも」
内心浮かれそうになっている僕に、父上が先ほどまでとは違う落ち着いた声で。
「婚約を決めたのなら、より一層用心しなさい。不吉な予兆が……占いの結果が、近付いてきている証拠だからね」
真剣な眼差しで、そう告げるから。
「……はい」
僕はただ、そう返すしかできなかった。
残念ながら、我が家の占いが外れたことはない。
そして以前僕が、逃れられない運命なのかと。ソフォクレス伯爵の嫡男の宿命なのかと、質問した時に。父上は、頷いていたから。
きっとその結果を、避けて通ることはできないんだろう。
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