034: 命名 -- センリの店にて

 結局イベント後に勉強会を開くこととなり、カーマとクーシーは店を立ち去った。残されたセンリは、手のひらほどの長さの刃を刀掛け台に置いて眺めた。

 これから取り掛かるのは、武器に命を吹き込む最後の儀式。

 武器の名付け。そしてフレーバーテキストと呼ばれる、武器に物語性を与える文章の作成。

 普段ならその武器の見た目からそれらしい名前を付け、フレーバーテキストに簡潔に能力の説明だけを書いて終わらせる。しかし今日は、カーマとクーシーの言っていた話が頭から離れなかった。


「文学的表現が威力を増大させる……。もしかすると、単語にまつわる印象も影響しとるんか?」


 そのときセンリの脳裏に過ぎったのは、【ヒガンバナ】のみが発動できたスキル、<散華>だった。

 『SoL』において、新しいスキルの命名はAIによって行われる。それはまるで神の啓示のようにスキル発動者の脳に伝達され、そういう名のスキルとして定着する。

 その命名システムこそが、威力増大の鍵を握っているのではないだろうか。

 散華とは、供養の際に散らされる花のことであり、転じて若くして失われた人の命のことも指す。一方彼岸花という花は、彼岸の時期に怪しい赤い花を咲かせることから、死のイメージに結び付く。

 つまり<散華>が【ヒガンバナ】でのみ成立したのは、その二つの単語が散る命のイメージを共有していたためかもしれない。

 そこまで考えたセンリは顔をしかめて唸った。

 <散華>はその刀の耐久値を全損させる代わりに、魔力で操作できる破片を生成するという効果だ。

 『SoL』において耐久値を失った装備は、完全に消滅する。もう既にセンリの手元に【ヒガンバナ】はなく、<散華>の検証をすることは難しかった。

 センリは刀掛け台の上の黒い刃を見つめた。それはまるで、野ざらしの蛇の死体のような異様さを放っていた。おそらく素材となった【冥花の涙】が、死の雰囲気をまとっているせいだろう。

 そう考えを巡らせた直後、センリははっとして口を開いた。


「そうか! 刀という不変のイメージに印象がまとわりついて、固有の存在になる。原理としては“竜”と同じ……」


 竜と呟いたとき、センリの左目に一瞬強い痛みが走った。思わず顔を手のひらで押さえて、センリは大きく息を吐く。


「今はやめ。俺ん目は高う付くで」


 センリがそう呟くと、地下室の店に風が吹いた。


「……今なら、お前とも向き合える。やからそれまで、大人しくしとき」


 髪を弄ばれながらセンリはそう言った。すると風は凪いでいき、ようやくセンリは手を下ろした。

 黒い刀に視線を落として、センリはカナギの髪を思い浮かべた。片目だけ覗かせた彼の表情も。

 初めて会ったときの戸惑いの顔。あの日を思い出した悲痛な顔。楽しそうに刀を振るう顔。

人を斬ることに慣れてしまった彼の顔。

 記憶の中で移り変わっていくカナギの姿に、センリはまた風を感じた。しかしそれは、センリの心を吹き抜けていく風だった。


「人間なんて、儚いもんやろ。群れて流れを作るだけ。一人一人は波ん中の泡でしかなく、弾けるように首が飛ぶ」


 センリはまるで、親友を励ますようにそう言った。


「でも俺にとってお前は、波に浮かぶ花や。波にさらわれても日を見上げるお前は、水底の俺には輝いて見える」


 なぜ一人でぺらぺらと喋っているのか、センリには分からなかった。しかし言葉を紡ぐたびに、センリの心の輪郭がはっきりとしてくるようだった。


「許されるなら、俺は……お前の横に並び立ちたい。水面に浮かんだ途端、すぐに弾けてしまったとしても」


 センリの独り言に、寂しさが滲んだ。

 そのとき、まるで閉じた瞼から涙が溢れるように、目の前の黒い刃からどろりと影が垂れた。それは蛇のようにするするとセンリの方へ這いずり、やがて一つの直線となって質量を増していった。

 直面したことのない事態に、センリは息を呑んでしばらく動けなかった。

 床の上には、新しい刃が転がっていた。台の上の短刀と同じ炭のような黒だが、その長さはほとんど倍だ。


「まさか、雌雄一対の刀……」


 センリがそう呟いたとき、手繰り寄せるべき記憶の糸が目の前に現れたような気がした。

 AIに他者の行動予測をさせる研究において、センリが着目したのは日本古来の文学だった。そこには共通の知識を前提としたコミュニケーションがあり、それを基にセンリはAIモデルを作り上げたのだった。

 その最中、日本に伝わる神々の名をデータベースとしてまとめたときのことを、センリは思い出した。

 国産みの女神、イザナミ。後に黄泉の主神となる彼女は、火の神を生んだことが原因で亡くなった。夫であるイザナギは、妻の命を奪った子供に刀を向けた。そして子供は斬り殺され、刀を伝う血からも神が生まれた。

 その名は、クラミツハとクラオカミ。川の流れを体現する竜神であり、クラミツハが水の流れ出るところを表し、クラオカミが川そのものである竜を表すと解釈されている。


「これも俺が思い出したわけやなくて、システムが勝手に掘り起こしただけかもしれんな」


 センリはそう薄く笑って、刀掛け台の一振りにそっと手をかざした。


「<命名:クラミツハ>」


 すると目の前にウィンドウが開いた。フレーバーテキストを入力するための画面だ。

 空中のキーボードに手を添えたセンリは、しばらく刀を見据えて動かなかった。数回瞬いた後ようやく指が動き始めると、まるで流れ出た水が止まらぬように、次々と文字が連なっていった。


『陽炎、稲妻、水の月。終の道にやその影あらむ』


 入力が終了すると短刀は光を放ち、それが空に溶けるように薄れていったかと思うと、黒い鞘に包まれた姿をその場に現した。

 センリは続けて床の上の刀に手をかざして言った。


「<命名:クラオカミ>」


 そして現れたウィンドウに、今度はすぐさま文字を打ち込んでいく。


『陽炎、稲妻、水の月。終の道にはその影あらず。宿すは君の心なりけり』


 センリは一息ついて、ウィンドウをそっと閉じた。そして拾い上げようと床の上の刀に手を触れたとき、頭の中に声が流れこんでくるのを感じた。

 まるで刀がセンリに語り掛けてくるかのようだった。神がかりとはこういうことなのだろうと、センリはどこか他人事のようにしみじみと思った。


「……<刀神憑依:クラオカミ>」


 センリが茫然と呟くと、その手が触れる刀はその言葉に反応するように震えた。そして刃先に闇がまとわりついたかと思うと、それは水の流れのように刃を包み込んでどうどうと流れ出した。


「その効果は、”威力計算の参照値をSPDの値に変更する”……?」


 表示させたウィンドウに浮かぶ文字を読み上げたセンリは、その言葉の意味を飲み込むようにぐっと唾を飲んだ。

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