033: 学習 -- センリの店にて

 【冥花の涙】を織り交ぜた刃は、漆のようなしっとりとした黒へと染まっていく。まるで雨に濡れた炭のような感じだ。

 持ち上げると木の葉のように軽く、中に空気が詰まっているのかと疑いたくなる。焼き出された骨が、ちょうどこんな感じかもしれない。


「あのさ、お兄ちゃん。あたしらと戦ったときのこと覚えてる?」


 クーシーの青髪に顔を埋めながら、カーマは出し抜けにそう言った。


「覚えとるけど」


 センリはまた黒い玉鋼を熱しながら答えた。折り返して鍛錬するのを数回繰り返さなければ、刀の強度が十分に仕上がらないのだ。


「クーシーのスキル、普通の詠唱じゃなかったっしょ。あれ、秘密があるんだよね」

「詠唱?」


 センリは瞳を巡らせて、そのときのことを思い出そうとした。


「“星とは神の言葉。銃とは人の傲慢。火星は燃え続けて、銃の音もまた絶えず”」


 センリの戸惑いを見透かしたように、クーシーがすらすらとそう言った。


「これは<占星術>というスキル群のうちの一つ、<星の導き>というスキルに対応させた言葉です。スキル効果はMP持続回復効果の付与になります」

「あたしの銃はMP消費して弾を打つから、このバフがあるとないとじゃ火力ダンチなんだよねえ。<命を運ぶ弾丸>もそう頻繁には使えないしぃ」


 クーシーの解説にカーマがそう続けた。

 センリは熱された刃を取り出し、真っすぐになっているかを確認してから刃先を作り始めた。


「効果はまあそうだろうと思っとったけど。なんでわざわざそんな長い詠唱するん?」


 そう投げかけられたカーマは、それが本題だと言わんばかりに手を掲げ、指をくるくると回しながら得意気に語り始めた。


「それがねえ、どうやら威力が変わるらしいんだよ。詠唱の内容によって」

「威力が変わる?」


 刃を叩く手を止めて、センリは思わず眉根を寄せた。スキルの威力を増減させる方法があるなど、初耳だった。


「そう。色々試してみたんだけど、なんか文学的な言葉のほうが威力が上がるんだよね。んで、たぶんだけど、スキルを発動させようと思ったときからスキル発動のタイミングまでの間に発した言葉が、詠唱判定されるっぽい」


 そしてカーマは試すような視線をセンリに向けた。

 顎に手を当て刃に視線を落としたセンリは、そのだんだんと冷めてますます黒くなっていく金属を眺めながら口を開いた。


「なぜ文学的な表現の方が威力を上昇させるのか。そしてなぜスキル発動前に詠唱というステップが追加されたのか。……まあ、なんとなく理由は分かった」


 それを聞いたカーマは、驚きの混じった笑い声を上げた。


「え、マジ? 教えてよ」

「あくまで推測やけどな」


 センリは刃をまた火にくべて、カーマたちの方に顔を向けた。


「『SoL』は人の脳波を汲み取って動く世界や。威力も恐らくそれに左右されとる。これは知っとるよな?」


 そしてカーマとクーシーが一斉に頷くのを確認し、センリは続けた。


「俺の主観やけど、文学は他人に真意を探索させるもんやろ? そいで、その真意に上手く辿り着いた瞬間、頭ん中でニューロンの発火が起きる。それが情報量の変化となって、この世界のシステムに伝達される……っちゅうことやない?」

「そっか。感情を利用することができる世界だから、感情に訴えかける表現のほうが強くなるってことか」

「あくまで経験による意見で、理論の伴わない仮説やけどな」


 カーマは納得したように頷いたが、クーシーは丸い目をくるりとセンリに向けて尋ねた。


「情報量ということでしたら、ただの確率の大小の話になってしまうのでは? ある事象が起きたとき、その珍しさを表す尺度が情報量なのですよね」

「理論ではそうやな」


 彼女の指摘をセンリは肯定したものの、すぐに言葉を続けた。


「俺も深くは知らんのやけど、人の脳では感情とか親密性とか、そういう複雑な情報が入力データに関わってくる。AIで例えるとパラメータみたいなもんで、人生経験の中でだんだんと調整されていく」

「ああ。そう言われれば、似ているような気がします。人はただ生きているだけでも、学習していくものなのですね」


 クーシーは凪いだ瞳でそう言った。

 センリは熱されて少し光を帯びた刃を、そっと冷却桶に浸した。勢いよく水蒸気が発生し、熱風がセンリの頬をちりつかせた。


「情報量は単なる物珍しさやない。その事象の、価値の大きさを表しとるもんや」


 桶の中に沈んだ刀は、見る者をヒヤリとさせるような冷酷な輝きをまとっていた。


「事件のニュースを聞くんと、家族が事件に巻き込まれたと知ることは、全然ちゃうやろ」


 いつの間にか、カーマの顔からは笑顔が消えていた。センリはそんな彼女をちらりと見た後、桶の中から刀を引き上げてそっと机の上に置いた。


「なるほど。この世界での情報量については理解できました。数式で表すには複雑すぎるものだということも」

「んで、詠唱がシステムに組み込まれたことについてはどう思う?」


 カーマは早く話題を切り上げようとするように、食い気味にそう尋ねた。


「それはもっと分かりやすいで。十中八九、過学習のせいやな」


 センリはインベントリから薄手のタオルを取り出して、刀の水気を吸い取りながらそう言った。


「過学習……」


 クーシーが少し目を細めて呟いた。恐らく、学部での勉強で触れたことがあるのだろう。


「あー、あれでしょ? 一回柳の下のドジョウを捕まえただけで、そこにいつもドジョウがいると思い込んじゃうみたいな」

「まあ、そうやな。それがさらに回数を重ねて、思い込みが強くなったイメージや」


 カーマの言葉にセンリは補足を入れながら頷いた。

 過学習は、AIモデルを作る上で大抵の人が直面する課題だ。学習データセットの中にある偏りをAIがそのまま学習してしまい、希望に沿う出力ができなくなることを指す。


「パーティ内で連携するとき、支援職のバフに合わせて攻撃するってよくあるやろ? で、バフスキル発動のタイミングを知らせるために残りクールタイムの報告とかするやん。それがたぶん、なんかしらの発言の後にスキル威力が上がるものだとして、学習されたんちゃうかな」

「あーね、納得」


 センリの説明を聞いたカーマはそう言いながらセンリの方へ近づいてきて、そっと顔を寄せてひそひそと言った。


「これさ、修正したほうがいい感じ?」


 センリは猫耳をぴくりと震わせて、同じように小声で返した。


「放置でもええやろ。とりあえず、ドクターの判断待ちやな」

「りょーかい」


 そしてカーマは少し離れて、びしっとセンリを指さして言った。


「こんだけいい情報をあげたんだから、クーシーの勉強見てよ!」


 するとその後ろのクーシーが少し眉尻を下げて呟いた。


「いいって、別に。お金を貯めて美術系の大学を受け直すよ」

「お金貯めるためには大学卒業しておいたほうがいいでしょ! あたしも手伝ったげるからさあ」

「えー……」


 すぐにカーマがそう言って、クーシーはますますしょげた顔をした。

 センリは初めて、妹の恋路を心配する兄の気持ちというものを理解した。

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