032: 輪郭 -- センリの店にて

 現実世界でのやるべきことを片付けたセンリは、久々に『SoL』の世界へ降り立った。いよいよ帰国する前に、『SoL』での仕事も終わらせておこうと思ったのだ。

 ログインしたセンリの目に入ってきたのは、地下室らしい薄暗さの中で、剣呑な輝きをまとっている刀たちだった。センリの自宅と仕事場を兼ねた、自慢の店の景色だ。

 埃っぽい空気を吸い込んで、センリは考えを巡らせる。

 カナギの<展延>に合わせた短刀。刃身を延ばしても重くならず、剣豪の俊敏さを損ねない刀。

 【キンモクセイ】や【ヒガンバナ】を制作する際、様々な素材を練り込んだ刀を作っていたセンリは、一つ心当たりがあった。

 大陸中央のPKエリア、アルカジアの森。その中心には白い花畑がある。

 百合に似たそれらの花は、雨上がりの頃に花弁にキラキラとした雫をつける。それを小瓶に集めると、【冥花の涙】という特殊な素材に変化する。

 入手のためには雨が上がった直後を狙い、PKエリアを踏破しなければならないため、知っている人自体が少ない希少な素材だ。

 センリはインベントリから【冥花の涙】の入った小瓶を取り出して眺めた。見た目は普通の雨水と変わらないはずなのに、それはまるで深い海のように、透明な水の向こうに深淵を感じさせる。

 センリがそれを作業場の机の上に置くと、ちょうど店の入り口のドアベルが軽快な音を立てた。


「お兄ちゃーん。遊びに来たよー」


 響いてきたのはカーマの声だった。

冷やかしか、イベント前の偵察か。どちらだろうかとセンリがいぶかし気な顔をしたとき、作業場の入り口からカーマがぴょこっと顔を覗かせた。


「いたいた。あのさー、ちょっとお願いがあるんだよね」


 センリはため息を吐き、刀の原料となる玉鋼を机の上に用意しながら尋ねた。


「お願い?」

「そう。勉強を見てほしくてさ」

「勉強? お前が?」

「はあ? あたしは学校なんて小さい枠に囚われないってだけなんですけど。てかあたしの話じゃないし」


 思わず目を見開いて問い返すセンリに、カーマはムキになってそう言うと、彼女の後ろから小さな人影がおずおずと歩み出た。


「ごめんなさい、急にお邪魔して」


 そう言ってぺこりとお辞儀をしたのは、クーシーだった。相変わらず鮮やかな青髪が目を引く容姿で、金の羽は器用に折りたたまれている。


「あんなあ、俺は忙しいねん。次のイベント終わったら多少は暇になると思うけど、今は他人の勉強の面倒見る時間なんかあらへんで」


 センリはクーシーを見据え、そう言い放った。すかさずカーマが眉根を寄せ、センリを指さして叫ぶ。


「けち! 関西人!」

「偏見やめい! たしかに俺はけちやけど」


 いつものように軽いツッコミであしらうと、カーマはふんと鼻を鳴らしてクーシーに視線を移した。


「まあ、だろうと思ったけど。やっぱ、あれと引き換えにするしかないかー」


 カーマがそう言うと、クーシーは無表情な目を少し伏せてもごもごと言った。


「うーん、別にそこまでして勉強なんか……」

「ダメ! 今のうちに良い点取っておかないと、後々大変になるでしょ!」

「それはそうだけど……」


 どうやら彼女はかなりの勉強嫌いのようだ。見た目は中学生のように見えるが、最近は義務教育の内容も高度化しているので、勉強から逃げたくなるのも頷ける。

 センリは二人が喋っているのを横目に、鍛冶に使うための水桶を取り出し、魔法の氷でそれを満たした。そして今度は炎の魔法で熱して冷却水を作る。


「そもそも今取ってる授業一年生向けの必修でしょ? 今年落としたらもう後がないじゃん」

「うう……」


 そんなやり取りが聞こえてきて、センリは耳をぴくりとさせた。そしてばっと二人を振り返り、恐る恐る尋ねた。


「必修? ってことは、大学生なん?」


 クーシーは口を少しだけ引き結び、指をもぞもぞと動かしながら頷いた。


「はい。一応、三年生です」


 その返答にセンリはぎょっとして大きな声を出した。


「三年!? っちゅうことは俺より年上ってこと!?」

「そうだよー」


 カーマがのんびりと頷いて、驚愕するセンリににやにやと目を細めた。クーシーはその横で居心地悪そうにしながら、渋々口を開いた。


「全く勉強はできないんですけど、情報工学部生なんです。ですので、センリさんの論文を拝読したこともあります。カーマちゃんの知り合いと聞いたときには、本当に驚きました」

「そんな驚いてたようには見えなかったけどねー」


 カーマが茶々を入れてもクーシーは表情を動かさず、金色の瞳でセンリを真っ向から見据えた。


「“ミラーニューロン・プログラム”……心の理論を備えたAI。その存在がもたらす影響は計り知れませんが、センリさんは心理療法との結びつきを示唆しました」


 そしてクーシーは少しだけ微笑みを浮かべた。


「私は、それがとても嬉しかった……。おかげで私も頑張ろうと思えました。それまで私は、悲嘆に暮れるばかりだったんです。今私が学んでいる知識では、人の幸せを奪うことしかできないと」


 それはまるで、センリに人を救う力があると言うかのようだった。

 センリは否定しようとして、しかし何も言わなかった。それは過去の罪に対する贖いでしかないのだと、わざわざ言おうとは思わなかった。


「まだ誉め言葉を受け取れないんだ。お兄ちゃんのことを認めてる人はたくさんいるのにね。これもそうでしょ?」


 カーマはそう言って悪戯っぽく自分の首を指さした。それがセンリに巻き付く首輪を示しているのは、すぐに伝わってきた。


「装飾具が身体的輪郭を成すのと同じで、他人からの言葉は精神的輪郭を表すものなんだよ。今お兄ちゃんはきっと、その人の言葉だけを信頼している状態。その人のくれる言葉だけで自分を構成したいんでしょ」


 そしてカーマはクーシーを後ろからそっと抱き、彼女を愛でるようにその青髪の上に頭を乗せて続けた。


「別にそれもいいと思うけどさあ。一人に依存するのはしんどいよ? そういう不安定な関係は、お互いを強く縛らないと成り立たないもん。藤が木に巻き付くみたいに。ね、クーシー」


 首に腕を回されたクーシーは、表情の乏しい顔をきょとんとさせた。


「お前にだけは言われたないわ」


 そう返したセンリは、作業に戻るふりをしてそっと顔を背けた。

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