第4話 不穏な訪問者

 それぞれの買い物を終え、会社に帰宅してからキッチンで調理を開始して数分、いや、数分も過ぎない内に事件が発生した――

「クラゲ、蕎麦ってどうやって茹でんだ?」

「えっ……」

 如月先輩は大真面目に聞いてきた。バレンタインのチョコ作りでも調理の危うさがあった如月先輩。如月先輩が手にしている鍋の中を覗くと汁が茶色く濁っていた。どちらかと言えば黒に近い茶色で完全にドブの色合いだ。蕎麦を茹でるだけなのに、一体どうしたらこうなるのか……? この大惨事がどうやったら起きるのか理解不能だ。

「如月さん、この鍋の中身は一体何なんですか?」

「そりゃお前、蕎麦に決まってんだろ? 蕎麦を茹でながら納豆と汁をいれたんだが、なんかイメージと違うんだよなぁ」

「なるほど……」

 全ての行程を一回で済ませようとしていたのが窺えた。二度手間を省こうと行程を一回で済ませ、時間短縮をする――流石はできる男、だが料理の行程は省けばいい物ではない。これではジュルジュルになるし、そもそもが不味い。

「如月先輩、先ずは蕎麦のみを茹でましょう」

 如月先輩の場合、蕎麦を茹でながら他の料理も同時進行でやらせるのは危険だ。ひとつずつタスクを処理させるべきだ。

「蕎麦のみか、分かった」

 取り敢えず自分のメニューは後回しにし、如月先輩のサポートに専念した。ついでに如月先輩は刺身にする為の魚、マグロの切り身も購入していた。マグロを切って盛るだけなら簡単そうだが、蕎麦に合わせるなら丼物を作るのがいいかもしれない。

「如月先輩、マグロの切り身があるならミニ丼が作れますよ。俺、ミニ丼を作りましょうか?」

「おー、いいなそれ。頼むわ」

 如月先輩に託されたので早速マグロを包丁で切っていく。薄切りにした後、薄口醤油と山葵で味付けし、酢飯のご飯を作り、どんぶりに盛り付けてその上にご飯、マグロの順番で載せていく。冷蔵庫を確認してみれば冷蔵庫の袖に山椒のパッケージと共にゴマのパッケージがあった。ゴマのパッケージを取り出して散らし、ついでに小ネギと海苔を付け足して散らした。

「クラゲ、茹で上がったぞ」

「そしたらザルに入れてしめて下さい」

「しめる……?」

「水で洗うってことですよ。水で蕎麦をよく洗って、蕎麦のぬめりを落として下さい。その後に水を切って、お皿に盛り付けて下さい」

「なるほどな」

 如月先輩は早速蕎麦をザルに入れ、ざぶざぶと蕎麦を洗いぬめりを落としていた。その手付きをみれば、器用に何でもできそうな感じだが――

「こんなん感じでいいのか……?」と呟いていた。何も知らないようだが天性の感でそれとなくできていた。

 如月先輩はぬめりを取って平たい皿に盛り付けたので「溶いた納豆、それから調合した汁とネギをかければ完成ですよ」と伝えれば、

「おー、本当だ! イメージ通り!」

 嬉しそうにはしゃいでいる。うん、可愛い。その姿を目に焼き付けてから、自分の調理を始めた。

 豆腐ハンバーグ、酢キャベツに続き、さつまいも、人参、かぶを揚げて調理して盛り付けた。

(そうだ、ひかりさんはどうなったかな?)

 ひかりがいる方向のキッチンに視線を向ければ、ひかりは盛り付けも終わるどころか、すでに完成させていて、大根おろしとなめ茸の和風パスタ、野菜のコンソメスープ、コールスロー、抹茶とチョコのプリンをテーブルに並べていた。

 俺と如月先輩のも完成したので同じくテーブルに並べた。


   ➴➴➴


「美味しい! 健康! そんでもって魔王も食いつく! をコンセプトにした素晴らしいメニューをイベントで提供って社長に言われてましたが、これでいいんでしょうか?」

 俺の疑問に、如月先輩もひかりも首を傾げていた。

「美味しいと健康はありそうだが、魔王も食いつくってのがなぁ……」

 如月先輩が渋面で言えば、ひかりも頷いたのち口を開いた。

「そもそも魔王の好みなんて知らないわよ」

 と一言。さっきスーパーで魔王に訊いてみたが『私が好きな食べ物は好いた者が作る物のみだ、それ以外は興味ない』と言っていた。そうなればどの料理も食いつくことは先ずないだろう。

(それにしても社長はどうして、魔王なんて注文をしたんだろう?)

「取り敢えず、社長に試食をしてもらったほうがいいんじゃない?」

 ひかりは提案した。試食分の料理を小皿に取り分けていると――

「どうだい進捗の方は? 順調かい?」

 タイミングよく羽衣石社長がやってきた。如月先輩は透かさず社長の傍に近づきひざまく姿勢を取り、今現在の状況説明をしていく。羽衣石社長はうんうんとにこやかに微笑んで、

「なるほど、では試食させていただくよ」

 そう言って、先ずは俺の料理を試食し、次にひかりの料理を試食し、最後に如月先輩の料理を試食した。

「ふむ……」

 羽衣石社長は暫く考えていたが、

「うん! これなら問題ない! イベントはこのメニューで配備させよう!」

 ゴーサインを出した。一発で決まるとは思ってはいなかったが――

「どれも美味しいよ。特に蕎麦と漬け丼の組み合わせはいい」と羽衣石社長はにこやかに口にし、如月先輩に微笑んでいた。如月先輩は丁寧にお辞儀をし「ありがとう御座います」で留めていたが、羽衣石社長が室内から退室した後「――っしゃあ!」と喜んでいた。

 それから数日が過ぎ、イベントの準備に専念する中、ひかりが慌てて俺を呼び出し、再び、ひかりの研究室に連れ込まれてしまった。


   ➴➴➴


「た、大変よ……メシア君! どうしよう……!?」

 ひかりの瞳は恐怖に怯えていた。何が起きたかは知らないが、ひかりの焦り方は尋常じゃない。

「どうされたんですか?」

「魔王が来たのよ……」

「えっ、ひかりさんのとこにも来たんですか」

「――! メシア君のとこにもきたの!?」

「え、ええ……皆さんで食材をスーパーで調達しに行った時に一度だけですが……。声のみでしたけど、軽く事情聴取されました」

「そうなのね……」

 ひかりはそう言って黙り込んでしまった。

「あの、何があったんですか?」

「何って、フフッ……何があったと思う? 私が作っていた治験薬について、魔王が言及してきたのよぉおお!」

「治験薬……」

 思い返すは俺の体がとんでもないことになった治験薬だ。あの治験薬のことだろうか?

「治験薬というと、俺が治験した治験薬ですか?」

 ひかりは首を横に振った。その治験薬でないならば、また新しい治験薬を作っていたのだろう。

「今度はどんな治験薬を作っていたんですか?」

「それは勿論、夢のような薬よ! 相手を意のままに操ることができる治験薬よ! しかも今回のは特別製で、私の魔力を込めているのよ!」

「それじゃダメですし間違いなく言われますよ……。それにあんまり派手にやると魔王だけではなく、魔族であるのも露見しちゃいますよ」

 やんわりと突っ込めば、ひかりは顎に手を当てた。

「それも、そうよねぇ……? うん、分かったわ! 自力で何とか頑張ってみるわ!」

 と切り出した。

 魔王はこの人間界での生き方に違反するような魔族対象に監視し注意しているようだ。俺の場合はひかりの治験薬を飲んだのが原因だが、ひかりは魔力を込めたことが原因だ。

(それにしても、魔族が人間界側で管理されていることに、魔王は何とも思ってないのかな……?)

 管理されていても不当な扱いはされてはいないので、魔王もそこは放任しているのだろうか? 仔細なことは分からない。

「お疲れ」

 そんな最中、如月先輩が現れた。今日はビシッとスーツを着こなし、イケメン指数が上昇しまくっていた。

(料理を作っている時とはまた雰囲気が違って良き……)

 可愛いさは抜け、格好良さが際立っていた。

「クラゲ、行くぞ!」

 クラゲの愛称もすっかり定着してきたが、クラゲ呼びは嫌ではなくむしろ嬉しい。今日もまた呼ばれてしまったと浮き浮きしてしまう。クラゲと呼ばれる度に本来のメシアの名がが霞んでしまうが、一向に構わなかった。むしろクラゲに改名してもいいと思っていた。

(いっそのこと、クラゲに改名してしまおうかな……)

 俺の頭の中で誇大な妄想が始まろうとした刹那、

「クラゲ、なにボサッとしてんだ! 行くぞ! おいひかり、もういいか?」

「ええ、どうぞ。煮るなり焼くなりお好きにしてちょうだい」

 ひかりはにっこりと笑い、また治験薬の研究に取り組み始めた。

 俺は如月先輩に引きずられて研究室を出て、そのまま地下駐車場まで連れていかれ、如月先輩の赤のベンツに乗車することになった。

(それにしても今日はどこに行くんだろうか……?)

 ぼんやりと巡らせる中、運転席に座る如月先輩の口から盛大な溜め息が聞こえた。よくよく見れば元気がない――どうしたんだろう?

「あの、何かありましたか……?」

 ベタだがそのまま訊いてみれば、如月先輩が悪いなと切り出した。

「羽衣石社長が明るいんだよ……」

「はい?」

 明るいのはいつものことでは? という話だが、如月先輩の話は続く。

「羽衣石社長が妙に明るい時は、精神的に何かしらショックを受けた時って決まってんだよ」

「そうなんですか……」

 流石は羽衣石社長の秘書をしているだけのことはある。秘書ならではの分析、ある意味ストーカー並の分析に分類されるだろう。如月先輩の話は更に続いた。

「俺は羽衣石社長の秘書をずっとやってきた。今まで何かあっても直ぐに分かったのに、今回ばかりは皆目検討がつかねぇ……。なぁクラゲ、羽衣石社長は何について悩んでんだろうな?」

「うーん……」

 今朝の朝礼では何時も通りに見えた。そう、俺からしたら何時も通りの明るさにしか見えなかった。

(あ、そういえば……)

 朝礼が終わった後のことだ。俺の肩を叩き、訊かれたことがあった――

「メシア君、君は異世界についてどう思う?」

「異世界……ですか」

 唐突に異世界について訊かれ、ぎくりとしたのは言うまでもない。

(もしかして、バレた……?)

 内心焦ったが――

「異世界って良い場所だよね。なんかこう、異世界をイメージできる場所が日本にもあればいいのにね……。ははっ、急に変なことを言って済まなかったね」

 羽衣石社長は空笑いをして去って行った。魔王にぞっこんなのは知っていたが、異世界の世界観にも興味深く思いを寄せていたことには驚きだ。

 一先ずたった今思い出した話を如月先輩にも話せば、如月先輩はそうかと呟き、頭を抱え、ぶつぶつとぼやいていた。

「魔王と異世界のことしか考えてねぇからなぁ、羽衣石社長は。何とか元気にしてやりてぇけどなぁ……」

 そんな如月先輩は羽衣石社長のことしか考えていない。だがそれは俺も同じだ。如月先輩のことで頭がいっぱいで、落ち込んでいる如月先輩を元気にしたいと考えていた。しかし如月先輩を元気にするには羽衣石社長が元気にならなければ意味がない。

(はぁ……俺にもっと、魔族的な部分があればなぁ……)

 しかし最初から備わっていない物はない。相手を従わせるような支配能力もなければ、誘惑の能力もない低級魔族なのだ。それだったら最初から人間に産まれてきても良かったはずなのに、どういう訳か異世界の魔族として生を受けてしまったのだ。

(俺、どうするのがいいんだろう……?)

 暫し考え、ふと案が思い付いた。リスクは高いが、やってみる価値はあるかもしれない。

「ところで如月先輩、今日の予定はどうなってますか?」

 話題を変え、仕事の話に移った。如月先輩とコミニュケーションが前より円滑になったからか、羽衣石社長の話になった途端に仕事の話に移行しないケースが増えた。その為、斯うして自らが話を転じるようになっていた。

「今からまた仁枝ひとえ工業に行く。社長が求める物に繋がる物は何も得られないとは思うが、聞き込みだ」

「なるほど」

「表と裏とでやっていることが違うが、これも業務の一貫だからな。しっかり把握しとけよ」

「はい」

 それから間もなくして如月先輩のベンツで出発した。そして俺は、思い付いた案をどのタイミングで実行するか目論んでいた。


   ➴➴➴


 気落ちした羽衣石社長も如月先輩も復活させる方法も、傘下にしている仁枝工業の社内につまっている。

(頼んで引き受けてくれるといいけど……)

 最上階まで行けば捕らわれ管理されいる魔族達がうじゃうじゃいた。前に来た時よりも増えたようだ。

「さて、聞き込み開始だ。俺は向こうにいる奴等から聞くから、クラゲはあっちを担当してくれ」

「承知しました」

 分かれての聞き込みになった。取り敢えず低級魔族の物に声を掛けていく。

「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

 虹色の羽を生やした妖精に声を掛ければ、妖精は首を傾けてじっと凝視した。この妖精は俺が魔族だと瞬時に理解したようだが、告げ口をする様子もなく頷いた。それから如月先輩の目を盗み、このフロアから妖精と共に退室した。

 エレベーターの近くに防犯カメラが設置されていたので迂回して非常用の階段を下り、そこから誰も使用していない一室に入れば、妖精が口を開いた。

「あんた、あたしを連れ出して一体、何がしたいのさ?」

 見た目と違い、偉くぞんざいな喋り方だ。だが威圧感は無く、これから何が始まるのだろう? そんな好奇の目で俺を見ていた。

 俺がいた異世界の妖精は楽しいことが好きだ、楽しい提案ならば間違いなく協力してくれるだろう。

「君の能力でここを異世界のような雰囲気にできるかな?」

「そりゃできるさ! でもいいのかい? そんなことしちまって……」

「うん、構わないよ。異世界のような感じになれば、元気になる人達がいるからさ、派手にやっちゃっていいよ」

「あいよ。派手にやるなら屋上だね」

 妖精と共に今度は屋上に向かった。屋上に向かえば絶景と共に冷たい風が吹いている。妖精はふわりと上空に飛翔し、両手を掲げた。

「この地に根付く息吹を我が手に捧げ、脈々と芽吹いていけ」

 轟音と共にビルの屋上に巨大なガジュマルような木が出現し、根が張り出していく。アスファルトの地をあっという間に緑の絨毯が埋め尽くしていき、そこに小さな水源、池の畔ができた。

 太陽と合間り、水源に反射して光源が放たれていく。妖精が歌うと次々と異世界にある風景が発生した。

(これで羽衣石社長が元気になって、如月先輩の悩みが消えるといいんだけどな……)

 屋上は瞬く間に異世界の風景に変わっていく。

「よし、これなら……」

 "何故、そんなことをしている?"

 刹那、魔王の声が響いた。地を這うような声が頭の中で響き、鼓動が自ずと速まった。

「これは、落ち込んだ人を元気づける為です。決して人間を傷つける為ではありません」

 "……"

 魔王は暫し沈黙した。考えを巡らしているのだろうか――

 "あまり派手にはやるな、良いな?"

「はい」

 それから間も無く、魔王の気配は消失した。

「はぁ、しんど……」

 寿命が縮むような時間に、心の声が思わず漏れてしまう。魔王の気配、特に怒気の気配は下級魔族の俺にとってはとてつもなくきつい。だがきついのは俺だけではなく、妖精も同じだったようで――

「異世界に連れ帰されると思ったわよ! もう、焦ったわ!」

 脱力しながらもぷりぷりと怒っていた。

「そうだよね……焦るよね、ごめんね? 付き合わせてしまって」

「いいわよ、あたしも楽しかったしさ」

 妖精と和解したところで、屋上の扉が勢いよく開いた。

「クラゲェエエエ! てめっ! 仕事さぼってんじゃ…………って、なんじゃこりゃぁ!?」

 怒声がすっとんきょうな声に変わり、如月先輩は目を剥いていた。

「あ、如月先輩、ここに異世界みたいな風景があるって、妖精が教えてくれまして……」

「はぁ!? つーかここは何もなかった場所なんだが、おっかしいなぁ……」

 如月先輩は疑念を抱いたが、更に補足した。

「でもこれで、羽衣石社長は元気になりますよね?」

「ああ、まぁ~……確かに、なるかもしれねぇが……」

 如月先輩は訝しげにこの風景を見ていたが、直にスマホを取り出して、写真を一枚撮った。恐らく羽衣石社長に送るつもりだろう。それから数十分後、羽衣石社長がこのビルの最上階にやってきて――

「素晴らしい! これこそ異世界!」

 絶賛した。どうやら元気になったようだが、如月先輩の顔は浮かない。何か別のことを考えているのだろうか? 

(どうしたら如月先輩を元気に、笑顔にできるんだろう……?)

 それから暫くして羽衣石社長は会談に向かったが、如月先輩はボーッとしたままだった。妖精を元のフロアに戻し、仁枝化学を出て、本社に戻る帰り道でも如月先輩は一言も喋らなかった。

(どうしたんだろう……?)

 ずっと黙りしたまま車を運転していた。

「如月先輩?」

「あ? どうした、メシア?」

 いつものクラゲ呼びがなかった。

 これは、これは一大事かもしれない……!?

 如月先輩は異世界風の風景を見てからおかしくなったのかもしれない。

(もしかして、妖精の魔法に当てられたとか?)

 しかし魔法は自然の木々や大地から借りた物で、人間のエネルギーから吸収してないはずだが――考えてもわからない、ここは聞くのが手っ取り早い!

「如月先輩どうしたんですか、さっきから変ですよ?」

「いやさ、あの風景を喜んでる羽衣石社長を見てたらさ、異世界もいいなって思えてきてよ」

「えっ……」

 羽衣石社長だけではなく、如月先輩も異世界マニアの仲間入りに!? 刹那、スマホが鳴った。電話の相手はひかりだった。

「はい、メシアです」

『大変よ! 治験薬が盗まれたわ!』

「ええっ!? 盗まれたんですか!?」

 俺の返しに如月先輩が反応し「なんだ、盗みか?」と切り替えて訊いてきた。セキュリティ管理は如月先輩がしていたが、それを掻い潜って盗む――誰がそんなことをするのだろうか?

「ちなみに盗まれた物は何ですか?」

『前にメシア君で治験した治験薬よ!』

「……」

(あの治験薬なら盗まれてもいいような……)

 そんな考えが浮かぶ中、如月先輩が訊いてきた。

「メシア、盗まれた物はなんだ?」

「前に俺が大変なことになった治験薬だそうです」

「それなら別にどうでもいいだろ」

 如月先輩も俺と同じ意見だったが、その声がひかりにも聞こえてしまったようで、「どうでも良くないわよ!?」と透かさず反論していた。如月先輩は「もう切っていいわ」と指示を出したので、指示通りに切った。

(後でひかりさんにどやされそうだな……)

 何気なく如月先輩の顔を覗いてみれば、相変わらず元気が無かった。


   ➴➴➴


 本社に戻って早々、ひかりは盗まれた経緯を説明してくれた。防犯カメラには盗んだ者の特徴が映されていたが、如月先輩は「放っておけばいい、その内返却される」と、何故か知っている様子でどこかに消えてしまった。

「何よあれ!? どういうことよ!?」

「さ、さぁ……でもなんか、事情を知っているようでしたね」

「怪しいわね……私の力を発揮して覗いてしまおうかしら!? あ、でも人間にやったらまたお叱り受けて、今度こそ連れ戻されるかもしれないし……」

 ひかりは迷ったのち諦めた。しかし気になったので如月先輩の匂いを追った。この会社内であればストーキング能力は何とか使える。早速、如月先輩のムスクの香りを辿って行けば、玄関を通り越し、表の駐車場に出た。如月先輩を発見したが、如月先輩の他にも誰かいた。羽衣石化学とは異なる黒いカッチリとした軍服に近い服を着た男性だった。如月先輩もだが、相手の男性も何やら深刻な雰囲気で話しているようだ。

(誰だろう……?)

 雰囲気的に如月先輩とは親しい感じだが――……

「あー! あいつよ! 盗んだ犯人!」

 そこにひかりが現れた。ひかりの声が反響し、如月先輩に気付かれてしまった。相手の男性は逃げようとしたが、ひかりの行動が早く、あっという間に相手の男性はひかりの手によって取り押さえられた。

「治験薬を返しなさい! この盗っ人が!」

 ひかりが鬼の形相で言えば相手は背負っていたバックパックからワインボトルを取り出し、ひかりに渡した。

「戻せば良いって問題じゃないわよ! この男! しょっぴくわよ!」

 ひかりが連行しようとしたが、如月先輩がそれを遮った。

「連れてくな、それにこいつは盗んだんじゃない。成分を調べてくれたんだ」

「えっ? はぁ? どういうこと……?」

 ひかりが疑問をぶつけたが、俺も同じく疑問が浮かんだ。

(成分を、調べる? 見知らぬ人が……?) 

 意味不明な話に、見知らぬ男性が口を開いた。

「自己紹介が遅れました。永冶ながやはじめと申します」

 永冶は丁寧に告げると名刺をひかりに渡した。ひかりはその名刺を引ったくるように受け取ったが、見る間に態度が変わり、背がピンと伸びた。

「ひかりさん、どうしたんですか?」

 名刺を貰っただけでこんなに態度が変わってしまう物なのだろうか?

 ひかりが永冶から貰った名刺を覗けば、その名刺には【魔導執行省局長 永冶はじめ】と記されていた。

「魔導執行省の、局長さん……」

 魔導執行省は噂で聞いたことがあった。この世で起きた不可思議な現象を調査し時に執行する企業だ。成績優秀の者しか入社できないとか何とか……。

「どうも初めまして」

 にこりと微笑んだ顔を改めて見遣って間も無く、同族だと気付いた。しかも俺よりも完全に格上で下手をすれば魔王クラスに近いかもしれない。俺がいた異世界とは異なる異質な雰囲気が永冶から漂っていた。

「は、初めまして……新山メシアと申します」

「そう、良い名前だね」

 永冶は微笑むと握手を求めてきた。手を差し出せばソフトに交わしてくれたが――

 "君はとても美味しそうだ"

 テレパシーで囁いてきた。

「うへぇっ!?」

 悪寒がし、思わず手を振り払った。

「おいメシア、どうした?」

 如月先輩は怪訝な表情で見詰めてくる。

「い、いえ……何でもありません。その、手の温度差に少し驚いてしまって、お騒がせしました」

「そうか」

「ふふっ、さっき冷えた場所にいたから驚かせてしまったかもね? それより錬次、また遊びにくるよ? またね」

「ああ、また……」

 名前呼びをしているので親しい間柄なのだろう。

 如月先輩はその場で見送ったが、声のトーンはやや低めで沈んでいた。

「あの、今の人は……?」

「ああ、あいつは学生時代からの友人なんだ。お互いに別々の場所に就職しちまったが、今もこうして会ってるんだよ」

「そうなんですね」

 刹那、ひかりが口を挟んだ。

「ちょっと! それよりどうしてあたしの許可無く治験薬を盗むような真似したのよ!?」

「悪い、抜き打ちだったからそうなっちまったんだよ」

「抜き打ちでも許可証とか説明とか、一言あってもいいでしょうよ!?」

 ひかりは納得がいかない様で、如月先輩に食って掛かった。如月先輩は少し逡巡したが切り出した。

「はじめはそういう奴なんだよ、昔っからな……なんつぅか周りと馴染めないし、そういう病気なんだ。今日、あの治験薬をわざわざ調べたのも意味があったんだよ。はじめはEDイーディーでな――って言えば分かるか?」

「――! そう、そういうことならもう何も言わないわよ。だけど今度からはちゃんと許可を取ってよね! いい?」

「わーったよ」

 ひかりは去った。

(あんま立ち聞きしないほうがいいような内容だったな……)

「如月先輩、なんかすみません。勝手に立ち聞きしてしまって……」

「別に問題ねぇよ。それよりクラゲ、今日、会社が終わった後の予定はあるのか?」

 ようやく元のクラゲ呼びに戻り、会社が終わった後の予定を訊かれた。

 勿論予定はなく、空き放題だ。

「ありませんけど……」

「そうか、じゃあ、飯でも食いにいくか?」

「はいっ!」

 如月先輩とご飯――! こんな嬉しいことはない! 二人っきりなのだろうか? どこでご飯を食べるのだろうか? 浮き浮きとした気分が訪れる中、如月先輩が俺をじっと見ていた。

(おん……?)

 如月先輩の熱視線を暫く受けたが、直に視線が逸れていく。

(何だろう……? でもご飯! 楽しみだなぁ!)

 獣のような耳があったらピコピコ、尻尾があったらフリフリしているかもしれないが、獣人のようなもふもふ要素はないので、心内で小躍りで終わっていた。

「クラゲ! 書類整理もまだ終わってねぇだろ? ちゃっちゃとやってけよ! 定時までに終わってなければ飯は連れてかねぇからなっ!」

「了解です! 定時までに終わらせます!」

 如月先輩に宣言すれば、フッと笑った。

(うん、良い笑顔。いただきました!)

 心内で拝みながら、如月先輩の後を追いかけた。


   ➴➴➴


 そして社内では魔道執行省の局長が抜き打ちで訪れた話題が瞬く間に広がっていた。恐らく発信源はひかりだろう。ひかりを拠点にして広がったに違いない。

 とまれ、永冶はじめという男は人間ではない、人間ではないことに如月先輩は恐らく気付いていない。

 如月先輩は昔からの友人と言っていた。如月先輩に気付かれることなく接してきた永冶はじめ……

『君はとても美味しそうだ』

 不意に思い出してしまった、言われた言葉を――。

(美味しそうって……俺、栄養源として食べられてしまうとか……?)

 捕食する魔族がいる話は魔王から訊いていたので、もしかしたらと想像し、身の危険を感じた最中、

「おいクラゲ! 手が止まってんぞ! 仕事に集中しろっ!」

「はいっ!」

 如月先輩にどやされ仕事に引き戻された。しかし仕事が終われば如月先輩と楽しいご飯が待っているのだ。

(二人きりのご飯……!)

 それを考えるだけで俺の心は羽のように舞い受かれてしまう。如月先輩と二人きりのご飯というアフターで俺の処理力は倍に上がり、あっという間に仕事を完遂した。むしろ就業時刻のチャイムが鳴るまで余裕があり、日報書いて提出してもまだ余裕があるぐらいだ。

 鼻唄を歌いながら日報を書き、上司である如月先輩に渡していく。

「如月さん、書けましたよ」

「ああ」

 如月先輩は受け取ると日報を確認していた。日報をめくる如月先輩の手や仕草を目で追う中、不意に視線が合った。

(ん……? 今日はやけに、如月先輩と視線が合うなぁ……。ラッキーデー?)

 それならば、今日という日を大切に忘れずに明日を迎えよう! そう巡らしている内に、如月先輩が日報を閉じ、椅子を引いて立ち上がった。帰り支度を始めるのかと思えば、俺の傍に近付いてきて、片腕を引かれ、いつの間にか如月先輩の腕の中にスッポリと収まっていた。

(――!? 何が起きたし……!?)

「えっと、如月さん……?」

 俺の心臓の鼓動はバクバクと煩く鳴り続けていた。

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