第3話 欲望は突然に

 羽衣石社長が一週間出張――そのタイミングを見計らったかのように、ヴィエラ製薬工業が新薬の発表、独占販売を公に宣言した。羽衣石化学の新薬はまだ臨床試験の段階でようやく、試作品第一号ができたばかりだという。

 今からモニタリングの人員を集客するには間に合わないので俺がモニタリング要員として買って出た。魔族の俺ならば普通の人間では飲めない量を治験することができるだろう。

「メシア君、あなたに試すこの治験薬は一般に回る薬なんだけど少し特殊な薬なのよ」

 ひかりは真剣に切り出した。

「特殊……というのは、死ぬ可能性があるということですか?」

「それはないのだけど、でもまぁ……何が起こるか分からないって言った意味では死ぬかもしれないわね?」

「えっ……」

「なんて顔してるのよ! 冗談に決まってるじゃない」

「は、はぁ、そうなんですか……」

 完全博打と一緒だが、今は急を要するので四の五の言っている場合ではない。

「クラゲ、お前、本当に問題ないのか? そんな安請け合いして。ひかりの実験はやべぇ場合があるぞ?」

「うーん、まぁ……問題ないです」

 取り敢えず魔族である事情を伏せて如月先輩に言えば、如月先輩は「まぁ、そこまで言うなら……」と納得し――

「俺はこれから羽衣石社長に問い合わせるわ……。つぅか出張するといつも繋がらないんだよなぁ」

 そう文句を口にしながら去って行った。

「ふふっ、邪魔物は消えたわね。これであなたが魔族であるのも隠さなくて済むし、私も気楽に実験し放題ができるって訳ね! ふふっ、うふふふふ! さぁ、やるわよぉ?」

 ひかりは楽しそうに笑っている。

(気楽に引き受けたはいいが、これ大々的に実験されてしまうのかな……?)

 ひかりの独特な笑い方に一縷の不安が過った。

(俺、どうなっちゃうんだろう……?)


   ➴➴➴


 ひかりに連れてこられて約三十分、矢張り羽衣石社長と同じくアクティブな行き方で研究室に行く羽目になった。トライアスロンをするぐらいなら文明の利器を使用すればいいのに、一切使用せずに研究室に行く。その心を解いてみれば――

「それは勿論、来るべき日に備えてよ?」

 明るい笑顔で返されてしまう。てっきりダイエットをしているのかと思えば、来るべき日という答えが返った。

(ていうか、来るべき日って何……?)

 理解不能だが、一々突っ込んでいては埒が明かない。そこは深堀しないことにした。

「さぁ、メシア君! ここが私の研究室よ! 改めて、私の研究室にようこそ!」

 扉が勢い良くバンと開かれ、声高に言ったひかり――その先にはおぞましい実験をする為の器具がそこかしこに点在していた。

(これが、治験薬を作る場所なのか……?)

 まるで拷問に近い環境だが、ひかりに手を取られて椅子に座らされた。

「じゃあ早速だけど、この治験薬をグイッと一本飲んでちょうだい♡」

 ひかりが笑顔で渡してきた治験薬は、薄いピンク色のいかにもな液体だ。いかにも怪しい液体がワインボトルに似た瓶に入れられて揺らいでいる。

「りょ、了解です……」

 覚悟を決めて一口飲めば、甘い芳香と味わいが口の中で広がっていく。

(あれ、わりと美味しい……?)

「意外と美味しいです……」

「でしょう? ほらほら、もっとグイッといって」

 ひかりに促されるまま一本飲み干したが、今のところ大した変化は見られなかった。

 というより、これは何の治験薬なのだろうか……?

「あのひかりさん、結局、何の治験薬なんですか?」

 しかしひかりはその質問には答えず、首を傾げて俺の様子を訝しげに見遣り――

「変ねぇ、そろそろ効果が出てもいい頃なんだけど……よしっ! それじゃあもう一本いってみましょうか?」

 更にもう一本、治験薬が入ったワインボトルを手渡され、先程と同じく丸々一本のワインボトルに入れられた謎の液体を飲み干すように促された。結局何の薬か分からないまま再び口にしたが、それでも変化はなく――

「おっかしいわねぇ、うーん……じゃ、もう一本いってみましょう!」

 そのまま立て続けに飲まされ、漸く効果が現れた時には俺の中で大事な何かが失われ、一変し、次には研究室を足早に退室していた。


   ➴➴➴


 俺の行き着く先は決まっていた、如月先輩の元だ。羽衣石社長に電話をすると言っていたので恐らく、社長室にいるだろう。

 結局何の治験薬を飲まされたのか、詳細が訊けなかったが、体力が飛躍的に向上していた。今なら何でもできそで、怖いものは何もない――そんな感覚に陥っていた。

 社長室に行くルートは一般通路と隠し通路があったが、あえて隠し通路を通りトライアスロンで行けば治験薬を飲んだ効果なのだろう、たった三十分で着いてしまった。

(これは、筋肉増強剤なんだろうか……?)

 些細な疑問が浮かぶ中、社長室の扉が開き、如月先輩と出会した。

「ん? クラゲじゃねぇか、どうした? もう実験は終わったのか?」

 如月先輩を見た瞬間、俺の体はどくんと疼いた。疼き、乾き、欲し、様々な欲が溢れて、次には如月先輩に抱きつき、そのまま床に押し倒していた。

「――!? なんだぁ!?」

 如月先輩は驚いていたが、驚いたのは此方だ。まさか勢いあまって如月先輩を押し倒すとは思いもしなかった。しかし我に返った時には如月先輩は俺の下にいて、物凄い形相で俺にメンチを切っていた。

「おいクラゲぇ、てめぇ……いい度胸してんなぁ?」

 ドスの利いた声がし、我に返った。

「いや、あの……すみません! これには深い事情がありまして……」

「深い事情? んだよそれ?」

「……」

(それにしても如月先輩の体温、俺的にはちょうど良いなぁ……)

 まるでお風呂に入ってる湯加減並にちょうど良い――等と、浸っている場合ではない! 俺は変態か! さっさと退かなければ……。

「も、申し訳ありません……」

 急いで退けば、如月先輩は無言で体を起こし「お前、どうしたそれ?」と指摘してきた。如月先輩の視線は下に向いている。その視線は男としての象徴部分に注がれていた。

(如月先輩に一点集中されている!)

 刹那、俺の体に違和感が訪れた。

(あれっ、なんか痛くね……?)

 下半身の中心地に激痛がやってきた。

「……っ!」

 恐らく原因は治験薬だ、治験薬を飲み過ぎたせいだ。

「クラゲ、お前……ひかりに何された?」

「えっと、治験薬をしこたま飲まされました……。ワインボトル六本分は飲まされました……」

「はぁ!? 六本も!? そうか、そりゃ難儀だったな――って、言ってる場合じゃねぇな。まぁアレだ、ここじゃ不味いからトイレいけ――つぅかこの神聖な社長室に少しでもお前の物をぶちけまけたら容赦しねぇからなぁ?」

 如月先輩の凄んだ声と迫力がダイレクトに俺の耳に届いたが、今の俺にとっては煽り文句で発火材にしかならなかった。

「わ、分かりましたから……! 部屋出ますっ!」

 急いで社長室から退室しようとしたが、何故か腕をつかまれてしまった。

(な、何で……!?)

「クラゲ、スッキリさせるのはいいが、ちゃんとひかりには報告しろよ? アイツわりとうるさいからな。どれぐらいの量でどれぐらいの回数でどれぐらいの時間だったのかを報告しないと、また同じことをやらされるはめになるぞ? 書く・報・連・相な?」

「りょ、了解です……!」

 それから急いでトイレにダッシュし、スッキリさせながら記録をスマホの端末で書いていた。

(ううっ……なんか嫌だな……。これ公開処刑だよ……)

 自分の達した記録を小まめに端末で打つ中、男子トイレの扉が開き、

「おいクラゲ、どうだ? 大丈夫か?」

「――!?」

 如月先輩の声が響いた。その瞬間、収まっていた筈の熱がぶり返してしまった。俺の中心地に熱がじわじわと集中していた。如月先輩の声を聞いただけで、こんなにも元気いっぱいになってしまうなんて……。

「あ、あの……大丈夫ですから」

 そう返した刹那、また男子トイレの扉が開く音がし――

「メシア君! どうなのかしら?」

 今度はひかりの声が響いた。ひかりの声を訊いた瞬間、俺の熱はあっという間に収まっていくが――

「おい、ここは男子トイレだぞ? なんでひかりが入ってきてんだよ」

 如月先輩が突っ込み、またその声で俺の分身は元気になってしまうという、妙なコンボに陥った。

(ううっ、これじゃあトイレから出られない……)

 ちなみに俺が入ってるのは個室のトイレだ。中の様子は覗けやしないが、覗かれなくてもとんでもなく恥ずかしい状況に陥っていた。

「あの、俺は大丈夫ですから……あとで報告しますんで……」

「そうはいかないわ! 研究者としてここで報告を待つに決まってるでしょ!」

 ひかりはそう言って「今、何回目なのよ? 量はどれぐらい?」と事務的な感じで訊いてきた。

(何で話が通じないんだですか!? 鬼畜なんですか!?)

 困惑する最中、

「ひかり、セクハラになんだろ。それにひかりがいたらメシアも集中してできんだろ」

(な、ナイス如月先輩!)

 如月先輩が指摘してくれた。如月先輩に盛大な拍手を送りたくなったが――

「それじゃダメよ。私がいてこそ意味があるのよ! それに如月もいたほうがいいわよ――そうよね、メシア君?」

 意味深な問い掛けと共に怪しい笑いがトイレ内に反響した。これでは完全に逃げ場がなく、八方塞がりだ。俺のプライバシーは無いに等しい――コンプライアンス違反も甚だしい限りの所業である。

「分かりました……もういいですよ、いてくださいっ!」

(くそぅ! もうどうにでもなれっ!)

 自棄糞になり、俺は恥を捨て集中した。

 そう、これは仕事だ! 仕事の為に俺は今、死力を尽くして治験者として結果を報告してるのだ!

「うぉおおおおおおお!」

 俺の雄叫びと共に邪な思想が臨界点を越えた。脳内は全て如月先輩一色になっていた。ありとあらゆる思考を如月先輩に当てはめ、夢想し、集中した。

 それから一時間後、無事にミッションコンプリートをし、トイレの扉を開けて出た頃には生気も精気も完全に抜けてしまっていたが、何かを達成した感は拭えなかった。

「俺、ちゃんとやり遂げましたよ……」

。それにしてもメシア君って意外とムッツリなのね?」

 ひかりは妖艶に微笑み、トイレから退室した。

(しまった……完全に心内に思っていた、如月先輩に対する思いを読まれてしまった……)

 だがもう後の祭りで、遅かった。

「クラゲ、お前……体は何ともねぇのか?」

 とんでもない状況に陥っていたというのに、如月先輩は引いた様子はなく普通に心配してくれた。しかも体を気遣ってくれている。如月先輩のあんなことやこんなことを夢想しながらやってましたなんて言えば速攻で引かれるか、もしくはブチ切れられそうなので言わないが「ええ、問題ありません。ご迷惑お掛けしてすみません……」と謝罪した。

 最早色々と夢想しすぎて、本物の如月先輩を目の前にしているのに、すでにお腹一杯になっていた。

「そうか、まぁ……なんだ、大事にな?」

 俺の頭の上に如月先輩の男らしく大きな手が載った。それだけで嬉しいのに、くしゃっと一撫でされて更に嬉しくなったが、先程みたいに性的な意味ではない嬉しさがじんわりとやってきた。

(俺にはこれぐらいが丁度いいな……)

「へへっ」

「気持ち悪い奴だなぁ、なに笑ってんだよ?」

「いえ、別に。何でもないです」

 斯うして体の緊急事態は回避できたが、問題はこの結果で認可されるかが問題だ。


   ➴➴➴


 午前中の業務が終わりお昼の時間になった頃、ひかりが書類と先程の治験薬が入ったワインボトルを持ってきて俺の元にやってきた。ひかりはにこやかに微笑んでいるが、何を言うかが窺い知れない。結果にどぎまぎしながら待つ中、ひかりはおもむろに口を開いた。

「合格ラインに達したわ! メシア君、どうもありがとうね!」

「そ、そうですか……良かったです」

 後は出張から帰ってきた社長の判断に委ねられるが――

「そうだ、ひかりさん、これは結局、なんの治験薬なんですか?」

 気になった疑問をそのままぶつけてみれば、ひかりはにっこりと微笑んだ。

「そんなの、体験したあなたが一番よく分かっているでしょ?」

「いえ、分からないので訊いているんですが……」

「はぁ!? 嘘でしょ……!? 本気で言ってるの!?」

 俺の返しにひかりは目をぱちくりさせていた。嘘もなにも、本当に分からないので訊いたのだが、ひかりは俺の心内を読んだのか、怪訝な表情で見詰めてきた。

「ふぅん、そうなのね」

 ひかりは怪しく笑い「知らないほうがいいこともあるわ、じゃあね」と意味深に笑い去ってしまった。「俺、一応社員なのになぁ……?」

 結局、あやふやにされて聞けずに終わった。

 

  ➴➴➴


 それから一週間が経過して羽衣石社長が帰ってきた。連絡はメールのやり取りのみで、電話でのやり取りはなかったと如月先輩はぼやいていた。

(しかし一週間も出張って、何かの取材かな……?)

 秘書である如月先輩にも打ち明けないのは不思議を通り越して疑問でしかない。

 ともあれ、羽衣石社長が戻ったので再び通常通りの流れになった。

「メシア君、如月君から聞いたよ? ひかり君の治験に貢献したんだってねぇ、ひかりさんは厳しいから大変だったでしょ?」

「いえいえ貢献だなんて滅相もいです、むしろ俺なんかがお役にたてて光栄です」

「そうかい! それなら良かった! これからも頼むよ?」

「はい」

 羽衣石社長に褒められて少し嬉しくなる中、如月先輩の鋭い視線が俺に容赦なく刺さった。

(そうだった。接し方に気を付けないと後で殺される……)

 羽衣石社長に近付き過ぎていた気がし、二・三歩、後退したが――

「そうだ! メシア君!」

 羽衣石社長が思い出したように叫ぶと俺の肩に両手を載せる。瞬間、部屋の空気は殺伐としてきた。殺伐とした空気を漂わせているのは間違いなく如月先輩だ。羽衣石社長の和やかでフレンドリーな態度はとても話しやすいが、その分、如月先輩が嫉妬するのでプラマイゼロになってしまう。いやむしろ、マイナスにしかならない。

(ここは早急に、話を切り出してもらおう! そしてさっさと退室しよう!)

「えっと羽衣石社長、何でしょうか……?」

「うん! 何だったかな? 何だったと思う……?」

 疑問系で訊いてきた。

 羽衣石社長はど天然だ。自分で言っといて忘れてしまうことが何回かあった。だがそこは秘書の如月先輩がいるお陰で完全に忘れることは無かった。

「羽衣石社長、今度わが社で開催されるイベントの件ではないでしょうか?」

「うん! そうだ! それだよ! 流石は如月君!」

 羽衣石社長は納得し、説明が再開した。

「メシア君、今度わが社で食の大切さを伝えるイベントを開催するんだよ。薬も世の中には役立つ物だが、それよりも食事も大事だろう? そこでだ! メシア君と如月君とでタッグを組んでわが社の広告塔として美味しい! 健康! そして魔王も食いつく! をコンセプトにした素晴らしいメニューをイベントで発信してほしいんだ! 最近では企業も動画を使って発信してるが先ずは、イベントでやってからだ! よろしく頼むよ!」

 羽衣石社長が明るく言えば、如月先輩は一瞬困惑した顔をしたが直ぐに整え、

「承知しました。早速、今日から取り掛かります――おらクラゲ、行くぞ」

 襟首を掴まれ、会社のキッチンへ向かうことになった。


   ➴➴➴


 美味しい! 健康! までのキャッチャーは分かるが、魔王も食いつくが今一分からない。分からないがやるしかない。俺は会社の支給品のエプロンを身に付けたが、如月先輩はあまり乗り気ではないようだ。

「何で俺が……」とぶつぶつぼやいている。恐らくだが恋敵の料理を考えるのが物凄く嫌なのだろう。

 如月先輩の恋敵――魔王。羽衣石社長の心を虜にした魔王だ。

「クラゲ、どうしたら魔王という単語を羽衣石社長の口から出るのを防げるんだ?」

 如月先輩は至極真面目に聞いてきた。

「そうですねぇ、うーん……」

(俺なら、どうするだろうな……?)

 熟考が始まる。

(魔王という単語を言わせないようにする為には……禁止措置命令を出す? いや、そういうことじゃないよな……。物理的に言わせないようにするには……)

 そこまで考え過ったのは、口を塞ぐだ。羽衣石社長が言おうとした瞬間に手で口を塞げばいいのだ。

「如月さん、羽衣石社長が魔王と口にしようとしたら口を塞げばいいんですよ」

「はぁっ!? バカやろ! おまっ、そんな強引に事が進められる訳がないだろっ!?」

 如月先輩は顔を真っ赤にし、異様に動揺しだしたので「え、いやだってこう……口を塞ぐだけでいいじゃないですか」

 如月先輩の口を自分の手の平でパッと覆えば、如月先輩は目を見開き数秒、硬直してしまった。

(……ん? あれっ?)

 如月先輩が硬直した理由が分からず暫く観察していると、じきに如月先輩は俺の手の平を剥がし――

「な、なんだ……そういうことか。チッ、驚かせやがって! 口を塞ぐっつったから俺はてっきり、キスの方かと思ったぜ……ったく、ややこしい」

 ぶつぶつと文句を垂れた。

(なるほど、それで真っ赤になってたのか、この人……)

「ははっ」

 思わず吹き出せば、如月先輩は「笑ってんじゃねぇ!」と怒鳴った。

(やっぱり可愛い人だなぁ……)

 思考が中学生ぐらいで妙に安心してしまった。

 ともあれ魔王という単語を言わせない方法は現時点では思い浮かばないので魔王よりも如月先輩に意識を向かせ、それでいて美味しく健康的なメニューを考えることにした。

 考えること三十分、端末で検索したり、会社にある料理本を見ながら調べて見たが、これといった情報が見当たらなかった。

(魔王よりも如月先輩に目を向けさせる方法、なんかないのかなぁ……?)

 真剣に考える中、部屋の扉がカラリと開いた。やってきたのはひかりで、何故かフリフリのピンクのエプロンを身に付けていた。

「あれ、ひかりさん? どうしたんですか?」

「どうしたこうしたもないわ! いい? これは戦争よ! 食という名の戦争に今、私たちは巻き込まれているのよっ!」

 ひかりは謎の珍言をした為、如月先輩も「はぁ……?」と懸念した。

 ていうかこの企業はいつから戦争をしているのだろうか? 初知り事情に目点になる中、ひかりがズンズンと近づき俺の両手を取って握った。

「さぁ! 同士諸君! いざ、行こう! 戦いは始まっているのよ!」

「えっと……?」

 ひかりの言った言葉が理解できず、如月先輩に目配せして助けを求めてみた。如月先輩は面倒臭そうにしながらも、

「おいひかり、どういうことだ。さっぱり分かんねぇ、何があったかちゃんと話してくれ」と告げた。

 ひかりはフッと笑い、

「現代社会を生きる私たちの食生活は乱れてるでしょ? 食生活の乱れは思考の乱れ――そう! つまりは! 思考低下に繋がってしまうわ! 思考低下に繋がってしまったら世の中を俯瞰しないで見て、何でもかんでも受け入れることになってしまうでしょ! そんなの不味いでしょ?」

「うーん、だが別にそれはそれで……」

 如月先輩が肯定的に捉えようとした瞬間、ひかりは「シャラップ!」と机を叩き、如月先輩を黙らせ、再び口を開いた。

「いいこと? 思考が低下したら何が起こると思う? 何も考えなくなって無秩序な規定がポンポン決まって、この羽衣石化学が危うくなる危険があるわ! そうなったらどうなると思う? 倒産よ! と・う・さ・ん! 職を失って、何もかもが終わりになるわよっ!」

 ひかりの言うことは少し飛躍している気がしたが、あながち間違ってはいない。

 効率化を図りオートメーション化が進み楽になる一方で、思考がふる稼働せず、何なら思考する時間も減っている気がした。ある意味良いことであり、ある意味悪いことかもしれない。

(そうか、その理由もあるのかな……?)

 社内の隠し通路に設置されていたトライアスロンができる場所はある意味、思考を活性化、衰えさせない為の物なのかもしれない。

「んで、ひかり、結局どういうことなんだよ?」

「ふっ、ふふふふふ? 喜びなさい! この私も今回のイベントの主催者として大いに貢献することになったわ! 腕によりをかけて、最高のイベントにしてやろうじゃないの! 健康的で! 美味しく! 魔王をギャフンと言わせる料理よ!」

 完全に主旨が変わってしまったが、ひかりはやる気満々で、早速キッチンの冷蔵庫を漁ったが――漁って早々、悲鳴をあげた。

「ちょっと何よこれ!? ろくな物が入っていないじゃない!?」

 ひかりが開けた冷蔵庫の中を覗けば、ペットボトルの飲料水が数本と、調味料が少しにヨーグルトしか入っておらずスカスカだった。基本、この企業は残業してもデリバリーを頼むことが多いので、デリバリーの注文メニューが充実していた。会社の敷地内も広いので、許可を得たキッチンカーからの提供もある。

(わりと食には困ってないんだよな、この会社……)

 会社見学に来た際もキッチンカーが停車して販売していた。社内のランチルーム兼、キッチンに案内された時もデリバリーメニューが豊富だったのが印象的で、食べることが割りと好きな俺にとってはここを第一志望にしてた。

「うーん、食材は後で買い足すとして、それよりも先ずは、メインや副菜を決めたほうがよくないですか?」

「そうね! 決めてから買いにいきましょう!」とひかりが言い、

「そうだな、あと人気で健康そうなメニューリサーチしとくわ」と如月先輩も言い端末で早速検索していた。

 それから各々で調べる時間を三十分と決め、調べた結果を発表した。

 俺がメインに選んだのは豆腐ハンバーグで副菜は酢キャベツにし、後はさつまいも、人参、カブを揚げた物を選んだ。如月先輩は蕎麦を選び、蕎麦と共に食べる山芋と納豆等を選び、刺身も選んでいた。ひかりは米粉でできたパスタを選択した上で大根おろしとなめ茸の和風パスタにし、野菜のコンソメスープ、コールスロー、デザートは抹茶とチョコのプリンに決めていた。各々違うメニューで、和洋折衷になった。

「これなら被ってないし、いけるんじゃない?」

 とひかりが。

「そうだな、これで作って試食してから、魔王ブッ飛ばせる策略をすればいいよな?」

 主旨がずれているが如月先輩が言った。

 大体の構想が決まったところで、買い出しに向かった。


   ➴➴➴


 如月先輩の愛車、ベンツに相乗りして走ること十分、近場のスーパーが見えてきた。全国の野菜もだが地元の野菜も並んでいて、値段も手頃な物が売っている、比較的安価で財布にも優しい場所だ。

 早速、豆腐ハンバーグ、酢キャベツ、さつまいも、人参、カブを購入しようと野菜コーナーに向かうった刹那、漂う空気が急激に冷たくなってきた。

(ん? 空調設備がおかしいのかな……?)

 天井を見上げようとして、視界が一瞬で暗くなった。

(あれ、この空気……)

 独特な空気は随分前にも経験したことがあった。俺が人間界に許可をもらった日――そう、魔王と直面した時の空気と同じだった。

(まさかここに、魔王がいるのかな……?)

 そう予期した時、どこからともなく声が響いた。

 "久しいな、メシア。息災に暮らしているようだな?"

 だが魔王の口調は冷たく鋭い。

(あれ、俺、何かやらかしたっけ……?)

 そう巡らした最中、詰問された。

 "時にメシア、人間に危害を加えたのは何故だ?"

「――!?」

(もしかして、あの時の……?)

 思い返すはひかりの治験薬を飲み、如月先輩を押し倒した時分だ。間違いなく魔王はその件について聞いてるのだろう。あの件を正確に説明しなければ即刻、異世界に戻されてしまうかもしれない……

「実は会社の治験薬を大量に飲みまして……。それで一時的なんですが理性が暴走し、人間を押し倒すことになりました、申し訳ございません……」

 "では全くの殺意や危害を加える考えはなかった――そういうことだな?"

「はい」

 暫しの沈黙後、魔王は口を開いた。

 "ならば良い。これから先も人間界で励め"

「あ、待って下さい! 伝えたいことがあります!」

 "何だ?"

「人間界で魔王に興味を持つ人間がおりまして……男性なんですが……」

 刹那、魔王は嘆息し――

 "興味はない、話はそれだけだな?"

 話を早急に切り上げようとしていた。

「えっと、あ、あと好きな食べ物は……?」

 "何故そんなことを聞く? 私が好きな食べ物は好いた者が作る物のみだ、それ以外は興味ない"

「ですよね……」

 それから暫くして気配が消えた。矢張りというべきか、分かりきった結果が待っていた。

「取り敢えず今は、美味しく健康的な物を作ることに専念しよう……」

 俺は買う物をかごに容れてレジに向かった。

 会計を済ませて袋詰めをしていると、如月先輩もひかりも無事に食材を買えたようで、同じく会計を済ませて袋詰めをしていた。

(そうだ、ひかりさんも魔王に会ったのかな……?)

 魔王は常に此方に住んでいる魔族の動向をチェックしているのかもしれない。

(あれっ、そうなると、羽衣石社長が魔王に会いたがってるのも、人間界に来た魔族を管理してることも本当は知ってるんじゃ……?)

 そんな疑問が浮かび、ある結論に辿り着いた。

(もしかして魔王も、この世界のどこかに拠点を作ってるとか……?)

 ありえなくはない話だ。人間界の移住許可を出すということは、人間界に拠点を築いているのかもしれない。

(意外に近くで、事業を開いたりして?)

 予想してみたが堂々巡りになった。

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