第2話 応援と嫉妬の狭間で

 二月十四日、来るべきバレンタイン。世間では勝負の日のようだ、だが俺にとっては甘いチョコの塊を渡すだけのイベントという認識しかしない。

 ガトーショコラを渡すだけなのに、どうしてこんなにも如月先輩は熱くなるのだろうか? 心底不思議だが、熱くなっているのは如月先輩だけではない、俺もだ。見た目的には熱くなっているようには見えないが、脈打つ鼓動がいつもよりも少し速い気がした。

 如月先輩といる、二人きり――そう考えるだけでどういう訳か俺も熱くなってしまう。如月先輩とは違う熱量だが、紛れもなくこの熱さは如月先輩に向けての熱さだ。

(いや、本当はどこか具合が悪いだけかもしれない……)

 人間界に来て大分経ったが、この企業と如月先輩に拒絶反応が軽く出ているのかもしれない。

「ところで如月先輩、あの魔族達はどこで捕まえたんですか?」

「捕まえるも何も、俺等が住む世界に紛れ込んでいただけだ。訊けばどいつもこいつも魔王とやらに一々許可を得て人間界に溶け込み仕事をしてた連中ばかりだ。羽衣石社長が魔王を探してるから全部採用してこっちで引き取って、魔王に繋がる手掛かりを探してるって訳よ」

「そ、そうですか……」

(人間界に下りる許可なんて出さなければこんなことにならなかったのに……)

 だが許可がおりなければ今頃斯うして人間界で仕事ができる環境には就けず、人間界にもいられなかったので複雑だ。

(そうだ、仕事といえば結局、何の仕事なんだろ?)

 製薬は作っているが今一分かっていない。ぼんやり気ままに過ごしてきたせいか、仔細に知らないのだ。前に見たカタログの製薬以外にも色々とやってそうだ。

(怒られるかもしれないけど、聞いてみようかな……?)

「あの、如月さん。今更ながらなんですが、この羽衣石化学は主に何を生産している企業なんですか? 製薬に関してググっても全く出ませんし、求人票の内容と今やってる業務内容が大分違う気がするんですが……」

 刹那、如月先輩はポカンとした。

「メシア……お前まさか、今まで何も知らないで作業してたのか?」

「はい」

「それでか……ったく、世話がやけるぜ。ま、その方が都合がいいが――知っといたほうがいいな」

 如月先輩はそう言うと真顔になった。

「表向きには一般の製薬会社として貢献し流通させている市販薬もあるが、裏ではある特殊な薬の開発の為に日夜研究している」

「はぁ、なるほどですね。つまり、それは……?」

 如月先輩は一拍置いて口を開く。

「羽衣石社長は魔王に会うのも目的だが、羽衣石社長自らが魔王になる為の薬の研究もしている」

 如月先輩はそこまで言うと嘆息した。

「えっ……」

(あの羽衣石社長が、魔王になる為に……?)

 そんな野望を抱えているようには見えなかったが、どうやら社長は本気のようで――

「羽衣石社長はいつも、俺に魔王になる話を楽しそうに語るんだよ。俺としても羽衣石社長のご意向をできる限り応援したい。だが社長が人ではない者になって、俺の傍からいなくなっちまって、おまけに見ず知らずの魔王の元に行くことを考えたら――俺は、耐えられない……抹殺するしかねぇ!」

 如月先輩は苦虫を潰したような顔つきで言葉を詰まらせるも、不穏な言葉を吐いた。

 羽衣石社長が好きな如月先輩にとっては酷な話だ。人間を捨てて魔王になる――叶わない夢だとは思うが羽衣石社長は本気で追い実現しようとしているのだ。

「だから俺は、羽衣石社長に思い留めてもらおうと、考え直してほしいと思っている――まぁ、言っても意味ないかもしれないがな」

「そうだったんですか……」

 確かにあの優しげな羽衣石社長が魔王になったら――いや、そもそもがなれない話だが、この企業の研究で万が一なれたとしたらやばい。それに俺は曲がりなりにも魔族で、魔王とも顔見知りだ。如月先輩にバレたら魔王と共に無き者にされるかもしれない。魔王は死なないにしても、俺みたいな弱い魔族は死ぬ可能性が高い。それに如月先輩は強い気がする。俺ぐらいの魔族なら片手で一捻りしそうなタイプだ。

(これは、俺の私生活や命に関わる問題だ!)

「如月さん、俺……如月さんに全面的に協力しますよ。羽衣石社長が如月さんに振り向くように、むしろ如月さんのことしか考えられなくなるようにしましょう!」

「クラゲ……」

 如月先輩は目を見開いて、次には微笑んだ。

「そうか! サンキューな!」

「……綺麗」

「あ? 何だって?」

「い、いえ! 何でもありません……」

 危ない所だった。うっかり口を滑らしたが、如月先輩はうまく聞き取れなかったようだ。

(それにしても、俺もだいぶ重症だな……)

 今度の休みに一旦、異世界に帰省したほうがいいのかな……? なんて思う中、如月先輩が発狂した。

「やべぇっ! チョコが分離しちまった!」

「えっ……」

 見れば湯煎で溶かしたチョコに油が浮き、ボロボロに崩れていた。

「これ、何とかなるか!?」

 如月先輩の形相は必死で、それでいて――……うん、なんだろう、かっこ可愛い。

(かっこ可愛い……?)

 かっこ可愛いという単語がポンと浮かんでしまう。

 いよいよ重症だ。今すぐに、眼科の先生を呼ぶべき案件だ――と思いつつも、チョコの匂いにやられてそう見えただけだと考え、もう一度如月先輩を見ることにした。

 日本人特有の黒髪短髪、クリーニングされてて清潔感漂うスーツから見えるうなじ……

(ん……? あれ、俺、なに考えてんだろ……?)

「おいっ! メシア! いや、クラゲ! 訊いてんのか!? これ何とかなるかって訊いてんだよ!」

 低音ボイスから放たれる怒声は耳障りだが、真剣な目付きで訊いてくる如月先輩からどうにも目が離せない。色香がある。

(いやいやいや! 色香ってなんだよ! 落ち着け俺! これは男としての魅力があるってことで、如月先輩に憧れを抱いているだけだろう)

 そう、決して恋ではない、そうだ、あり得ない!

「おいっ! メシア!」

「はい、聞いてますので一旦落ち着いてください」

 ついでに自分も落ち着かせるように言って「分離しても問題ないですよ、生クリーム加えて整えれば何とか持ち直せます。問題は味と気持ちですから」と付け足した。

「でもよぉ、見た目も大事じゃねぇか?」

 如月先輩は整った眉を顰め「これだとなぁ、渡せねぇしなぁ……」とぶつぶつ呟いている。如月先輩は納得してないようだ。

(俺も如月先輩の立場なら、納得できないかもしれない……)

「如月先輩、その失敗作は俺がもらいますので新しいの作りましょう」

「そうか? え、これメシアが食うの?」

「はい、俺が食べます」

「そうか。まぁ、お前がそれでいいならいいけど……。じゃ、新しく作り直すか!」

 再び作り直すことにした。それからは如月先輩と共にレシピを確認しながら作っていき、一口サイズのガトーショコラが完成した。

「やりましたね。あとはラッピングして渡すだけですよ」

「だな……つぅか、女ってよくこういうのやるよなぁ。尊敬するわ」

「分かります。でも今は男女関係なく、やる人は増えてるみたいですね。それにしても、意外とお菓子作りも楽しいもんですよね」

「まぁな」

 この時間も終われば、如月先輩との休日も終わり、ようやく解放される――だがそう思うと、もやもやとした気持ちが沸き起こる。

(あれ、何でだろう……? 何で嬉しくないんだ?)

 俺の心は嬉しい感情とは異なる答えを出していた。もっと如月先輩と一緒にいたいと思っている。

 これはいわゆる、吊り橋効果現象なのだろうか……?

 ギャップ差に脳が揺れて、吊り橋効果現象に陥っているだけかもしれない。しかしそう思うも現状、如月先輩とまだいたい訳で、人間界にきて初めて、魔族ならではの悪巧みが思い浮かび、次には口にしていた。

「如月先輩、一口サイズのガトーショコラを羽衣石社長に渡す時の練習をしときましょうよ」

 我ながら良いアイディアだと思った。これならもっと如月先輩と一緒にいられるに違いない。

「練習か……そうだな、練習しとけば当日に緊張しないで済むよな? うっし! じゃあ羽衣石社長役を頼んだぜ!」と納得した。

「はい、任せて下さい」

 至極冷静に頷くが、内心、飛び上がっていた。何せ如月先輩と一緒にいられる口実ができたのだ、嬉しすぎて興奮気味だ。

 そして羽衣石社長に一口ガトーショコラを渡す為の練習が始まった。


   ➴➴➴


「羽衣石社長」

「はい」

 如月先輩が熱い視線で見詰めてきた。熱視線から放たれる瞳は緊張からなのか、若干潤んでいるような気がした。普段威圧的なのに、今の如月先輩は小動物のようになっていた。

(やばい、かっこ可愛い……)

 圧倒的なかっこ可愛さに、悩殺寸前だ。

「羽衣石社長、今度我が社で開催される医薬イベントで試供品の薬と共にチョコを配るイベントも検討中でして、その試食を是非、羽衣石社長にもしていただきたく……お願いします――ってな感じでどうだ!?」

 如月先輩の顔は真っ赤だ。大の大人が赤面し、普段の威圧的な態度が完全に抜け、恋する男の子になっている。これは天変地異が起きるかもしれない、天変地異の前触れだと思いつつも如月先輩から一口ガトーショコラを受け取った。

「そうですね、もう少しスムーズに言ったほうがいいかもしれません」

 今のでも十分良かったが、如月先輩とまだいたかった俺はOKサインは出さなかった。むしろ出すつもりはなかった。

(人間界にきて初めて、魔族としての性が開花されたのかな……?)

 嬉しいやら悲しいやら、だがこの時間は俺と如月先輩だけの時間だ。誰にも邪魔されたくはなく、如月先輩に指示した。

「如月先輩、俺を羽衣石社長だと思ってもっとアピールしてみて下さい。そうすれば本番、恥ずかしがらずに、尚且つスマートに渡せるようになると思いますよ」

「うーん、つってもなぁ……。相手はメシアだし、お前みたいなクラゲ野郎に羽衣石社長の"う"の字が一ミリも見えねぇしなぁ……」

「見えなくても本気でやって下さい。本気でやらないと当日、失敗するかもしれませんよ?」

「うげ、それは嫌だな……。分かった、じゃあ本気でやるわ」

 如月先輩は深呼吸をし、その場で軽くウォーミングアップを始めた。暫くその場でジャンプを数回したのち、キッと俺の方に視線を合わせてきた。気合い十分な様子に、俺の心臓の心拍数が上がっていく。

 それから暫くし、如月先輩は俺の方に一歩を踏み出して――

「羽衣石社長、お話があります」と低く囁き、勢いよく俺を壁際に追い詰めてきた。

 完全なる壁ドンに俺の心拍数は更に上昇した。近付く如月先輩の整った顔や視線から逸らせず、俺はその場で硬直してしまう。如月先輩の吐息が首に掛かって間も無く、今度は如月先輩の匂いにどぎまぎしてしまう。

 甘いムスクの香りは刺激的で、下肢の中心地に男ならではの自然現象が発生しそうだ――いや、発生してないかこれ……?

(いやいやいや、流石に無いよね……?)

 体の変化に疑問が浮かんで間も無く、如月先輩の甘ったるい声が俺の耳に届いた。

「羽衣石社長、俺の試作品の一口ガトーショコラをご試食していただきたいです」

 吐息と共に吐き出された切ない低音は、更に下肢の中心地の刺激になった。

「羽衣石社長……」

 如月先輩の熱視線と交差し、俺の思考はおかしくなっていた。

「ええ、勿論です。じゃあ、あなた自らの手でこの私に試食させて下さい」

 そう言って、一口ガトーショコラではなく如月先輩の腰に手を回し、今度は自らが近付いていた。

(あれ? 俺、何してんだろう……?)

 流石に調子に乗りすぎたか? いやそれよりも、如月先輩から怒鳴られるかもしれないと懸念が過るが、如月先輩は怯むことなく一口ガトーショコラの一つを手に取り、俺の口にそっと押し込んできた。その所作は優しくて、普段とは大違いだ。

「如何ですか、羽衣石社長?」

「とても美味しいですよ、ほら如月さん、あなたも食べてみて下さい」

 如月先輩が持っていたガトーショコラの一つを取り、如月先輩がしてくれたように口に持っていけば、如月先輩はその流れを理解したのか、薄く口を開いてくれた。

(何だろ、なんかエロい……!)

 如月先輩の唇はかさつきがなく艶やかで、手入れをしているのが窺えた。

 とまれ、如月先輩の口にガトーショコラを押し付ければ如月先輩は咀嚼して――

「美味しいです」と答えてくれた。怒声はなく、とてつもなくしおらしい。

(やばい、とんでもなく可愛い……)

 如月先輩に見惚れる最中、

「あらあらあらぁ~? あなた達、そういう関係だったのぉ? 休日出勤してわざわざ会瀬? やけちゃうわねぇ」

 幼い女性の声が響いた。ハッと我に返り慌てて離れたが、その前にパシャリという音が響いた。どうやらスマホで写真を撮られてしまったらしく、見ていた女性は殊勝な顔つきでにんまりと笑っていた。

「おい! ひかり! その写真を今すぐに消せ! 誤解だっ!」

 如月先輩はひかりという女性の傍に駆け寄るが、ひかりは如月先輩をヒラリと躱すと俺の傍に近付いてきた。

「あなた……名前は?」

「えっ、新山メシアです」

「そっ、私は黒崎ひかり、この企業で薬の開発をしている研究員よ? よろしくね」

 そう言って手を差し出してきた。背が小さいので俺と握手するのに背伸びをしている。少し屈んでから握手を交わした瞬間、声が響いた。

 "あなた、魔族でしょ? 同じ匂いがするから分かるわ。私は魔女の黒崎ひかり、仲良くしましょうね?"

 クスクスと笑う声が頭の中で響いた。ひかりを改めて見遣れば目を細めて妖艶に笑っていた。

 赤毛のセミロングに黄金色の猫目がキラリと光る。

「よ、よろしくお願いします……」

(この企業、如月先輩が知らないところでも魔族が浸出しているのか……)

 "ええ、そうよ? 如月は私が魔女だと知らないわ。如月は容姿が人間から掛け離れた者しか管理してないし、見れないからね。固定概念が根付いているからバレやしないわ。兎角、これは私達だけの秘密よ?"

 また頭の中で声が響いた。そんな中、如月先輩がやってきた。

「ひかり! 写真を消去しろ!」

「あら、嫌よ? 折角、良い写真が撮れたんだもの、大事にするわ」

「すんなや! さっさと消せ!」

 如月先輩が声を荒げて言うが、ひかりは目を細めて口にした。

「あらあらあら、私にそんなことを言っていいのかしら? 次の新薬の納期が大幅に遅れてしまうわよ?」

「なっ! ざけんなよ!?」

「私、ふざけたことは何一つ言ってませんけど?」

 ひかりが如月先輩にツンとした態度で返すと、如月先輩は唇を噛み締め、ぐぬぬと唸っている。

 どうやら立場はひかりの方が上なようで、如月先輩は逆らえないようだ。

(上には上がいるんだなぁ……)

 なんて思う内に如月先輩は踵を返し、扉に向かってしまった。

「あーもう、勝手にしろ! 俺は帰る! じゃあなっ!」

 如月先輩は帰り支度をサッと整え部屋から去ってしまった。

(えっ、まじですか……)

 折角、如月先輩と一緒にいられる時間が増えたと思えば呆気なく終わってしまった。

「あらあら、残念だったわねぇ?」

 ひかりはクスクスと笑っている。どうやら俺の心内は魔女のひかりには筒抜けのようだ。しかし筒抜けならば今更隠したところで意味がない。どうせならこの気持ちが何なのか、そして今後どうすべきか……ひかりに訊けば何かしら分かるかもしれない。

「あの、如月先輩に対する俺のこの気持ちは何なんですかね……?」

「あら、気づいていないの? そんなの簡単なことじゃない、恋に決まっているでしょう?」

 ひかりは妖艶に微笑んで断言した。

(恋、やっぱり恋なのか……)

 認めたくはなかったが、魔女であるひかりに断言されたのだ、間違いない。

「黒崎さん」

「ひかりでいいわよ?」

「それじゃあ……ひかりさん、俺、初めて男性を、しかも人間界の男性を好きになってしまったようです。けれど如月先輩は羽衣石社長が好きで、羽衣石社長は魔王が好きで……それで、如月先輩は魔王を殺そうとしてて……いえ、それはどうでもいいんです。もし俺が魔族だとバレたら俺も殺されそうで、どうしたらいいですかね?」

 拙いながらも説明していけば、ひかりはニッと笑い口にした。

「そうね、ここじゃなんだし、場所を変えてゆったりとした場所でお話しましょうか?」

 ひかりと共に会社を出て、ひかりお勧めのダイニングバーへ向かった。


   ➴➴➴


 ひかりお勧めのダイニングバーはレトロで落ち着いた感じの雰囲気があり、個室も完備されていた。個室に入り、向かい合わせで座った瞬間、ひかりは口にした。

「さっきの話だけれど、羽衣石社長が魔王に会いたいのも、なりたいのも研究員だから当然知ってるし、如月が羽衣石社長を好きなのも、入社して早々に知ったわ」

「そうなんですか。ちなみにどうしてこの企業に入社したんですか?」

「それは勿論、私が今までやってきた経験が活かせる会社だと思ったからよ? ああ勿論、人間を意のままに操ろうだなんて微塵も思ってないわ。そんなことをすれば一瞬で魔王の逆鱗に触れるだろうし、異世界に戻されてしまうからね」

「なるほど。それじゃあひかりさんも、人間界の職業に憧れてここに来た感じなんですね?」

「ええ、そうよ。私自身、人間が好きだしね。人間の腹黒い感情とか特に好物よ」

 ひかりはにんまりと微笑んだ。どこまでが本当で嘘かは分からないが、俺と同じくこの人間界が好きなのは確かなようだ。

「さっきの話に戻りますけど、俺は最初、病気だと思い込んでいたんですよ。そもそも男を好きになるのは初めてで……」

「そう、でも恥じることは何もないわよ? 好きになった切っ掛けも性別も関係ないじゃない」

「はい……」

「けれど障害があってとても複雑よね? 三角関係というのかしら――けど最後に勝つのは、愛が強い者よ。メシア君、遠慮なんかしていたら駄目よ?」

 ひかりはそう言って、メニューが載っているリストのタブレットをスワイプしていく。

「メシア君は何が食べたい? 好きなの何でも頼んでちょうだい、御馳走するわ、秘密を共有した記念にね?」

 そんな具合で、三時間以上盛り上がることになった。お酒も入って逐一何を話したかは覚えていないが、如月先輩のことと羽衣石社長に魔王の話をしたような気がした。

 三時間喋った後はひかりのフライト魔法で送迎してもらい、次の日を迎えた。


   ➴➴➴


(結局俺は、如月先輩が好きなのは確実なんだろうなぁ……)

 最初は病気だと勘違いしていたが、どうやらそうじゃないようだ。今日も朝から起きて早々、如月先輩のことで頭がいっぱいになっていた。

 しかし――

「どうしようかな、俺……」

 如月先輩を応援すると言った手前、恋路の邪魔はできない。自分の抱える思いを伝えるのも今ではない気がした。ならせめて、サポートする形式で関わろうと考えるも、何となくもやもやした。

「はぁ……。会社行きたくないな……」

 しかし会社に行かなければ如月先輩にも会えず、他の社員に俺の負担が行ってしまう。

「はぁ、めんど……」

 そう巡らす中、スマホが鳴った。画面をスワイプすれば如月錬次という文字が表示されていた。俺の目は完全に醒め、次にはスワイプしタップしていた。

「は、はい、新山です」

 言った瞬間、怒声が響いた。

「おいクラゲ! てめぇさっさと出社準備をしやがれ!」

 何の用件も言わずに怒鳴り散らす、俺が好きな思い人、如月錬次――朝から物凄い剣幕だ。

(あれ、俺……何かしましたっけ?)

 疑問が浮かんで間も無く、如月先輩は更に怒鳴りつけた。

「今日、羽衣石社長が出張すんだよ! さっさとガトーショコラを渡さないと一週間は渡せなくなる!」

 刹那、俺が住まうアパートの下でクラクションが鳴った。恐らくだが、赤いベンツがすでに待機中のようだ。

(ていうか何で、わざわざ迎えに来てるんだろう……?)

 理解不能な如月先輩の行動に目点になる中、受話口から声が響いた。

「さっさと準備しやがれってんだ!」

「は、はいぃっ!」

 五分で支度を済ませて階段を下りていく。下りるとすでにベンツの助手席の扉が開いていて「ほら、乗れ!」と急き立てられた。

「はい」

 返事をし、シートベルトを装着して間も無く、急発進で車が駐車場から道路に飛び出し荒ぶる運転と走行が始まった。

「ったく、まじで遅ぇぞ!」

「いや、意味が分からないんですが……。何でわざわざ迎えに来たんですか?」

「そんなの決まってんだろ! お前がいなきゃ意味ないだろうが! 俺一人で渡したら怪しまれんだろうが!」

「なるほど……」

 どうやら羽衣石社長に思いがばれないように、俺で偽装工作をしたいようだ。相変わらずだが、可愛く思えてしまった。

 とはいえ、渡す瞬間に立ち会うのは俺的には避けたかった。如月先輩が思いを込めるのは俺ではなく、羽衣石社長なのだ。

(このまま間に合わなければいいのに……)

 またもやネガティブな考えが浮かんでしまう。

「はぁ……」

 思わず溜め息を吐けば「何だよ、何か文句あんのか!?」と声が返った。文句があるといえばあるが、言えない――まして如月先輩が好きだとは絶対に言えない。

「別に無いですよ、少しだけ車酔いしただけです」

 そう誤魔化せば、如月先輩は直ぐに窓を開けてくれた。心地良い風と共に、如月先輩が付けている香水の匂いも俺の鼻腔を掠めていく。

(相変わらず良い匂いだなぁ……)

 染々と浸っていると、如月先輩から声が掛かった。

「どうだ、気分は良くなったか?」

 どうやら本気で心配してくれていたようだ。

「ええ、少しだけ楽になりました。どうもありがとう御座います」

「おう。気分が悪くなったら遠慮なく言えよ」

 優しく気遣う如月先輩の声。しかし如月先輩の声は何時もより落ち着きがない。落ち着きがないのはバレンタインだからで、それが悔しく、俺の心はどんよりとし、やきもきしていた。


   ➴➴➴


 荒っぽい運転だったが早めに会社に着いた。しかし肝心の羽衣石社長の姿も車も見当たらなかった。

「遅かったか……」

 如月先輩は落胆した。そもそも俺なんかを迎えに行かなければ間に合った話だ。

「残念でしたね……」

 しかし内心、嬉しく感じていた、ちっとも残念だとは思わず安心していた。だが落胆した如月先輩の顔を見ている内にそんな気分も一瞬で吹き飛び、喜べなくなった。

「はぁ……まっ、仕方ねぇよな。付き合わせちまって悪かったな」

「……」

 如月先輩は苦笑し「それよりメシア、車酔いの気分は晴れたか?」と相変わらず気遣ってくれた。気遣いは嬉しいが、これで良いのかと疑問が浮かび――

「如月先輩、まだ諦めるのは早いです。羽衣石社長を追いかけましょう!」

「えっ? いやしかし……」

「追いかければまだ間に合うと思いますよ。フライトまでどれぐらいですか?」

「あと三十分ぐらいだが……」

「如月先輩の運転ならまだ間に合いますよ、急ぎましょう」

 次には如月先輩を急き立てていた。それから空港へ向かい、二十分ぐらいで辿り着いた。

「ほら、急いでください!」

 いつの間にか如月先輩を先導していた。如月先輩も「おう」と言いながら追いかけてきた。

(緊急事態だし、いいよね……?)

 俺は魔力を使用することにした。俺の眷属の魔力は一度覚えた匂いの者をストーキングできる能力だ。ただあまりに離れていると追えないが、空港内にいるならば何とかなるだろう。

 羽衣石社長の匂いを思いだし辿ってみれば、まだ空港内にいた。

「あっちにいるような気がします、俺の勘ですが!」

 そう誤魔化し、如月先輩の腕を取って走り出した。

(どうか間に合ってくれ!)

 必死の願いは通じたのか、羽衣石社長の姿を発見した。ラウンジに座り、コーヒーを飲んで新聞を広げて寛いでいた。

「ほら如月さん! いましたよ! ラウンジにいますよ!」

「おお! ほんとだな……クラゲ、お前すごいな!?」

「たまたまですよ! ほら、如月先輩! 急いで!」

「おうっ」

 如月先輩を送り出し、ラウンジから離れた場所に移動した。

 それから暫くして、ラウンジから羽衣石社長と如月先輩が揃って出てきて、俺の方に視線を向け、直に羽衣石社長がにこやかに手招きした。

(何だろ……?)

 訳が分からないが、呼ばれたので直ぐに向かった。すると羽衣石社長はにこやかに微笑み、

「メシア君もわが社の為に協力してくれていることがとても嬉しいよ! ありがとう!」

 お礼を告げた。俺がしていることと言えば、恋する如月先輩に協力しているだけで何もしてないに等しい。

「いえ、俺なんて全然まだまだで……」

「君は随分と変わったねぇ、最初の頃と全然違って良い。矢張り如月君と組ませたのが正解だったかな? これからもよろしく頼むよ?」

 羽衣石社長はそう告げると颯爽と去った。どうやらバレンタインはうまくいったようだ。

「良かった……ですね?」

「ああ、クラゲのお陰だ、ありがとな」

 如月先輩はニッと笑い、俺の肩に手を回してきたガシリと組んだ。それだけで心臓が跳ねてしまうが、俺の意中の如月先輩の熱い視線は去っていく羽衣石社長に向けられていた。

(いつかこの視線を、俺の方に向けることができたらいいな……)

 そう誓ったこの日、事件が起きた。


   ➴➴➴


 空港から会社に戻って早々、ひかりが思わしくない表情で玄関に立っていた。

(何だろう?)

 疑問を投げ掛ける前に、ひかり自らが口にした。

「ちょっと大変よ! 大手ライバル社のヴィエラが新しい新薬を開発して独占市場を立ち上げたわ!」

「なに……?」

「しかもうちに対抗して速効性をアピールしてるし、こうなると株価の変動待ったなしよ?」

 株の動きもだが、今後の取引にも影響しそうな問題だ。

 となれば、新薬の開発を急ぐ必要性がありそうだ。

「ひかりさん、新薬の進捗具合はどうなんですか?」

「そんな簡単にはいかないわ、やっと治験薬ができたばかりよ」

「そうですか……」

 "メシア君、あなたの能力で何とかならないものかしら?"

 ひかりの声が頭の中で声が響いた。しかし俺の能力は鏡から人間界を覗くこととストーキング能力で、治験薬の役には立たない。だが魔族なので普通の人間とは違い、幾らでも試せるかもしれない。

(俺ならできるかもしれない、速効性があるかどうか、俺の体なら耐えることができるかもしれない)

「俺、手伝いましょうか?」

 聞き返した時には、ひかりは俺の心内を読み取ったようで頷いた。

「助かるわ。ねぇ、メシア君をモニタリング兼、治験者として使ってもいいかしら?」

「ああ、クラゲが構わないならいいが……お前、いけるのか? 車酔いするぐらいの貧弱なのに、大丈夫なのか?」

「問題ありません、いけます」

「そうか……それならいいが」

 如月先輩がそう返すと「決まりね?」とひかりが返す。

 そして俺はモニタリング兼、治験者としてひかりの研究室に派遣されることが決定したが、その研究室であるまじき事態が発生するとはこの時、思いもしなかった。

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