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「……嘘だろ」


 たどり着いたのは二階建ての古い一棟のビル。ビルには「黒屋」と書かれていた。おそらくチラシを配っていた会社の名前だろう。電線に多数のカラスが止まり、千尋を見下ろしながらカーカーと鳴く。


 ……薄気味悪っ。


 あー、もうこんなところ来るじゃなかった、と頭を抱える。このビルの外観や異様に集まるカラスたち。怪し過ぎる。

 でも、十万円のため行くしかない。ここに入るか、腎臓を売るか…。

 千尋は怪しげなビルに足を踏み入れた。

 シンプルなシルバーのドアを開ける。部屋の中は白の壁に茶色のソファーが二つ。ソファーの間に木製の長方形の机が一つある。

 千尋はキョロキョロと周りを見渡す。誰もいないのだろうか。


「すみません。面接に来たんですけど」


 シーン…。千尋はもう一度、大きな声で「すみません!」と言った。出かけているのだろうか、面接時間である十四時はとっくに過ぎている。

 やっぱりここに来るべきじゃなかった。今からでも遅くないからハローワークに行こう。そう思った時だった。背後から「おや?」と低い声がした。


「もしかして面接しにきた人?」


 振り返ると黒髪の男がいた。つり目気味の目は千尋を見下ろす。小麦色の肌で少し強面の千尋よりも十センチ高い目線。千尋は男を見上げた。男は不思議そうに片眉を下げ、千尋の顔からつま先まで何度も目線を往復させた。


「あれ? 今日面接に来る子は確か千尋ちゃんって女の子だったはずだけど?」


 あからさまにガッカリした表情を見せた男。千尋はムッとした表情をした。


「男でも千尋って名前の奴くらいいるだろ。悪かったな男で」

「いや別に。ガッカリしたわけじゃないんだ。八割くらい期待してただけだから、本当に気ニシナイデ下サイ」


 八割ってほぼ期待外れって意味じゃん。ニヤニヤしやがって馬鹿にしてんのか?


「今、ニヤニヤしやがって、馬鹿にしてんのか? って思ったでしょ?」

「え、いや…」

「貴方、分かりやすいですね。思ってることが顔に出るってよく言われません?」

「……言われる」

「正直者はいいですね! 僕は元々こんな顔なんです。決して貴方を馬鹿にしたわけではありません。まあ、ちょっとはしましたけど」


 してんのかよ! 腹立つなコイツ!


「俺は時間がないんです。ふざけてるなら帰ります」


 男はつり目気味の目を細めた。千尋は軽く男を睨みつけた。


「まあまあ。せっかく来たんだし軽く面接しましょうよ。さあさあ、入って」


 軽く面接って、飲み会みたいに言うな。千尋は渋々男の後に続き、事務所の中へ入った。

 茶色のソファーに座るように促され、誘導されるがまま座る。


「千尋くんは、お茶は何派ですか? 緑茶? それともほうじ茶? ちなみに僕は緑茶派です」

「なんでも飲めます」

「分かりました」


 男は湯呑みに緑茶を注ぎ、千尋の目の前のテーブルに置いた。


「自己紹介がまだでしたね。僕はこのような者です」


 名刺を渡され受け取る。明日には「黒屋 代表取締役 黒羽徹くろはとおる」と書かれていた。


「まさか、あんなチラシでくるなんてビックリ」

「もしかして、あのオバケの絵は貴方が?」

「もちろん。自信作です」


 ドヤ顔で言う男に千尋はなんと声をかけたらいいのか迷った。

 小学生が描いた絵じゃなかったのか。絵心のない男を哀れな目で見る。


「さっそく履歴書を拝見させてもらいますね」


 男は千尋の履歴書に目を通す。そして、何かに気付いたのかじっと千尋の顔に目線を向ける。


「貴方、どこかで見たことありますね」


 どこだったかな、と考える男。閃いた様に目を軽く開き、ぽんっと左の掌に右の拳を軽く乗せた。


「そうだ! あの人は今の番組で常連の!」


 男の言葉がグサリと千尋の胸に突き刺さった。芸能界にまだ所属していた頃、仕事のオファーがくるのは大抵「あの人は今」の番組。金欲しさに断らずに出演していたのは事実だが、現実を突きつけられると胸が抉られるほど痛い。


「子役で有名でしたよね! あの頃は可愛かったですね。まるで天使みたいで」

「悪かったな。今は天使じゃなくて」

「そんなことは言ってないでしょう。今も少しは天使の面影はありますよ」


 コイツ、馬鹿にしてるのか?

 ハハハと笑う男を千尋は睨みつけた。


「というのは冗談で、本題に入りましょう」


 男はニヤけた顔から真剣な表情に変わった。


「金城さんは、うちの仕事の内容を理解して面接を受けに来たんですよね?」

「はい」

「うちの仕事は除霊専門の何でも屋です。その点において抵抗はありませんか?」

「ないといったら嘘になりますが、昔から霊は見えていたので、霊に対しての恐怖心はありません」

「ほう。なるほど」


 男は目を細め軽く口角を上げた。


「では、採用試験をさせて頂きます。この部屋の中に霊は何匹いますか?」


 千尋はキョロキョロと部屋を見渡した。目を閉じて隠れているかもしれない霊の気配を探る。目を開けて男に目を向けた。


「ゼロです」

「理由は?」

「なにかが霊を拒んでいる気がします。この部屋の外には霊がいるのに、入ることができないようです」


 千尋の答えを聞き、男は口元を軽く緩めた。


「正解だ。この部屋には結界が張ってある。俺が許可した霊以外入ることはできないようになっている」


 結界って漫画でよく見る透明な壁みたいなやつだよな?


「あんた、特殊能力が使えるのか?」

「まあね」

「凄いな」

「金城さんも使えますよ。僕が伝授しましょう」


 男は花びらが開くように掌を広げ、両手首をつける。千尋に向かって両手を突き出し掌側を向けた。


「僕の真似して手を花びらみたいに、こうして下さい」


千尋も真似して男に両手を突き出した。


「ゆっくり深呼吸して、この手に気を込めて下さい」


 もしや、これは某漫画の主人公がしている全身の気を両手に凝縮させて放つ必殺技ではないか。仙人しか使えないはずの必殺技が使えるのか? 俺にそんな力があるなんて知らなかった。

 千尋はゆっくり深呼吸して、掌に気を集中させた。


 ………。

 ……。

 …。


「なーんてものはできません」


 男はべぇと舌を出した。


「……お前、マジで殺す」


 何度おちょくれば気が済むんだ。ケラケラと悪魔のように笑うニヤけた顔を殴ってやろうか。


「まあ、霊の気配を感じとることは特殊能力の一つです。誰にでもできることじゃない」

「それもそうですけど」

「採用試験は合格だ。明日から俺の雑用をしてもらう」


 「じゃあ、明日十時に出勤してくれ」と面接がお開きになりそうな雰囲気。千尋は言いにくそうに口を開いた。


「あの、チラシに採用されたら即日十万円貰えるって書いてあったんですけど」


 千尋はチラシを黒羽に突き出した。今、十万円を貰えないとここにいる意味がない。


「苗字が金城なのに、お金に困っているなんて名前負けもいいところだな」

「余計なお世話だ」

「そんなにお金が必要なのか?」

「父親が借金を残したまま蒸発して、明日までに十万円を返さないと妹が風俗に売り飛ばされるんだよ」

「なるほど。そんな事情が」


 黒羽は顎に人差し指を当て何かを考える仕草をすると、再度、千尋に顔を向けた。


「借金は全部でいくらですか?」

「……五千万円」

「分かった」


 黒羽はつり目を細めた。





 翌朝、黒羽から受け取った十万円を片手に消費者金融の事務所に行った。


「……もう一度、言って下さい」


 千尋は耳を疑った。


「だから言っただろう。五千万円は昨日全額返されたんだよ。たく、利子つけてもっと絞り通ろうと思ってたのによ」

「誰がそんなことを?」

「あ? ジャージを着た黒髪の長身の男だ。昨日、五千万円の入ったアタッシュケースを片手にうちの事務所にやってきた。返金された以上、お前に用事はねぇよ。さっさと帰れ」


 しっしっ、と犬猫を追い払うように手を払われる。

 消費者金融の事務所を出てから千尋は、しばらく現実が理解できなかった。

 千尋は走って黒屋へ向かう。ドアを開けるとソファーに寝転び欠伸をしている黒羽がいた。


「なあ、あんたが俺の借金返済したのか?」

「そうだけど」

「なんで?」


 昨日会ったばかりの千尋になぜこんなことをしてくれるのか分からなかった。黒羽にとって一つもメリットはないはずだ。


「ある人から金を返してほしいと依頼があった。だから返した。それだけだ」

「ある人って誰だよ」

「依頼主から口止めされてるから言えない。金は返さなくていい。お前はもう自由だ」


 お前はもう自由だ。

 この言葉が千尋の胸に響いた。五歳の頃から借金返済のために必死に働き、この二十年間、毎日のように借金取りに追われ、心休まる日はなかった。もう、借金に追われる生活をしなくていいんだ。視界が徐々にぼやけて見えて、生暖かい雫が頬を伝い流れた。


「やった…!」


 千尋は小さくガッツポーズした。


「泣くのもいいけど、働けよ。掃除しろ掃除。ホコリ一つでも残ってたらやり直しだからな」

「わかってる!」


 金城千尋の除霊専門何でも屋としての生活が始まった。

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わたくし、除霊専門何でも屋でございます 陽凪優子 @hinagiyuuko

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