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「……はあ」


 千尋は大きなため息をついた。プロデューサーに責められ、堪らず平手打ち。プロデューサーはタコのように顔を真っ赤にして「もう二度と芸能界で働けなくしてやる!」と激怒した。

 次の日、事務所の社長から呼び出されて突然解雇宣告をされた。理由を聞くと言いづらそうな社長にプロデューサーの名前を言うと、何かを隠すかのように目が泳いだ。あのプロデューサーが手を回したのだと直ぐに分かった。

 その後、何社か芸能事務所を受けたが門前払い。千尋は、芸能界での居場所を失ってしまった。

 そして、今に至る。


 芸能の仕事を辞めてから五年。正社員として働いていたが元人気子役で顔が知られているため、一般人として働くのは容易なことではなかった。「なんで芸能人を辞めたの?」とプライバシーのカケラもないことを平気で聞かれることも多かった。それだけなら耐えられるが、千尋は美しい容姿をしているせいか、男に好かれる体質だった。日常的に行われる上司からのセクハラに耐えきれず、正社員の仕事も三年で辞めてしまった。その後、バイトを掛け持ちしながら生計を立てていたが、借金はなかなか減らない。芸能界の仕事で一億あった借金は五千万円まで減らすことができたが、芸能界の仕事がなくなった今、五千万円を返す手段など思いつかない。


(一層のこと、俺の保険金で借金返済でも…)


 そう考えたが、残された母と妹を置いて死ねるわけがない。かといって、このまま金を返せないと妹が夜の店に売り飛ばされてしまう。

 千尋は、大きなため息を吐いた。


「千尋、あの人たちは帰ったの?」


 そろりと居間から覗き込んだのは、母親の美由紀である。美由紀は、千尋の殴られた頬を見て慌てて駆け寄った。


「なんてことなの! はやく手当てしなきゃ!」


 救急箱を手に持ち、美由紀は千尋の前に座った。男に殴られた千尋の頬を軽く温タオルで拭き、傷を絆創膏で覆う。


「ごめんね、千尋ばかりにこんな思いをさせて。お母さんがもっと働けたらよかったんだけどね」


 美由紀は、父親の工場を売却した後も借金返済のために働いていたが、元々体が弱く疲労で体調を崩すことが多かった。今は長時間は働けず、短時間のパートとして働いている。


「母さんは悪くないよ。悪いのは、借金を隠してた父さんだから」

「千尋、前も言ったけど、あれは父さんがした借金じゃなくて、お父さんの友達がしたもので…!」

「父さんが連帯保証人だったんだろ。何度も聞いた」

「まだ、父さんのこと嫌い?」

「……うん」


 人一倍優しかった父親は、困っている人を見捨てられなかったのだろう。その優しさが、今、家族を苦しめている。返しても返しても利子で増えていく借金に心が荒んでいき、死んだ人間を責めたくはないのに父親を恨んでしまう。


「貴方には、父さんを恨んでほしくないの」


 美由紀は小さな声で呟いた。千尋は何も答えなかった。



 千尋は携帯の求人情報を見て何度目かのため息を吐いた。明日までに十万円貰えるバイトなどあるわけがない。あったとしても裏バイトくらいだろう。裏バイトは犯罪に巻き込まれるケースが多い。そのため、今まで避けてきたが今はどうしても金が欲しい。

 腎臓一つ百万円で買い取ってくれるらしい。腎臓は二つあるし、一つくらい売ってしまおうか。


(……馬鹿らしい)


 はあー……。深いため息。腎臓を打ったからといってその場しのぎにしかならない。腎臓の次はなんだ。目ん玉か? 肝臓か? きりがない。

 なにか他にいい求人はないものか。


「……はぁ」


 明日までに十万円貰える仕事なんて都合のいい仕事なんてあるわけがない。

 千尋は、苛立ちながら前髪を掻き上げる。取り敢えず、ハローワークにでも行って仕事を探そうと立ち上がった。

 玄関のドアを開けると、何かがヒラヒラと足元に落ちた。見ると一枚のチラシが落ちていた。DMなどいつもなら目もくれないが、ちらりと見えた「求人募集」の文字に目が行き、千尋はそのチラシを拾い上げた。

 チラシには、「急募! 霊感のある人募集!」と書いてあった。

 「霊感ある人募集! 霊感は立派なスキル! 僕と一緒に働きませんか?」小学生が描いたであろう下手くそなオバケのイラストが載っていた。


 うっさんくせぇ…。


 宗教かなにかだろうか。怪しい匂いがプンプンする。チラシの採用欄に目を向けると採用時の報酬即日払いで十万円の文字に目が釘付けになった。

 給料も悪くない。ただ、仕事内容が雑用としか書かれていない。雑用でこの給料は悪くないが、なにか引っ掛かる。

 千尋は、小さい頃から霊の気配を感じることができた。千尋にのみ霊感があり、他の家族は霊感はない。小さい頃、よく遊んでいた男の子がいた。妹に「お兄ちゃん誰といつもお話してるの?」と言われ、「あそこの男の子だよ」と指差した。妹は「誰もいないじゃない」と言った。後日、遊んでいた男の子が1年前に亡くなった近所の子供だったことを知った。

 最近は霊と生きている人間の区別がつくようになったが、小さい頃は区別がつかず、妹に気味悪がられていた。妹が怖がるから霊の話はしてはいけないんだ。そう思い、霊感がないふりを続けていた。

 千尋は胡散臭いチラシをじっと見つめる。もしかしたら、ネットワークビジネスか宗教団体の仕事かもしれない。人を騙して数珠や壺を売る仕事かもしれない。十万円くれる話も半信半疑だ。千尋は迷った結果、チラシに書いてある連絡先の番号を携帯に入力した。

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